大学の先生自体が下流である

だから彼らに教わる学生はどんどん下流化するのが当たり前。
三浦センセの新著『下流大学が日本を滅ぼす!』によると、そういうことだそうです。

【大学の先生自体が下流だ】だいたい大学の先生自身、下流っぽい人が多い。自分の好きなことだけやっていたい人たち。で、収入は低くてもいいやという人たち。下流の条件を満たしてる。だから、大学で4年も過ごせば学生がどんどん下流化するのは当然だ。それと、大学の先生に会って名刺交換しようとすると、「今、名刺を切らしてまして」とおっしゃることが多い。サラリーマンならまずありえない。社会常識がないんだ。あいさつも苦手、話すのも苦手、まさにコミュニケーション力がない人が多い。アキバのオタクと変わらない。こういう先生たちが、いま社会が求めるコミュニケーション力のある若者を育てられるわけがない。(p. 128)
[参考]:「大学の先生よりも所得の高い親なら(…)大学の先生は役に立たないけど好きなことだけ研究してるから給料が低いんだよねと笑う余裕があるんだけどね。」(p. 90)

この本には、大学の将来を考える人は全員が目を留めるに値する、様々な極論暴論が展開されてます。もう滅茶苦茶です。でもこういうの大好き。読んでてワクワクします。ワクワク度は、不覚にも、一緒に買ってきた『現代思想2008年9月号 特集=大学の困難』を上回ってました。それも私が「下流」たるゆえんでしょう。
ただし、大学の世界に今から身を投じようと希望している人は読んじゃ駄目です。脱力必至。大学業界と心中を覚悟している人か、あるいはむしろもうそろそろそこから足を洗って別の進路・職業を考えようかな、という人は絶対読んだ方がいい。あと大学に入る年頃の子供を持つ親は必読。とはいっても、大学の経営側には一般的に言ってできれば読んで欲しくない。変に真に受けて「教員にも社会人教育を」とか言い出すところが出てきかねないので。
ここで一つだけ取り上げた「大学の先生=下流」説にしても、三浦センセの「下流」の定義自体がもはや相当怪しくなってることはおいておき、ものすごいパラフルな立論だよな。さすが。見習いたいぐらい。でも、これにきちんと反論する、とはいかないまでも、ツッコミを入れられないくらいでは駄目、即下流なわけです。
私もじっくりツッコミ方を考えていきたいと思ってます。すぐには無理なんで三年くらいかけて。その間とりあえず、名刺だけは切らさんように頑張ります。
でももしそれが無理だったら、これ以上「下流」として周囲に御迷惑をかけられないので、大学業界から撤退し、好きじゃなくても別の世界に入ってもっと上流を目指します(笑)。
なにせ「好きだからやってる」という論理がすでに下流の指標なわけですからね、三浦センセによれば。いかにかせむ。
[追記]「石原慎太郎田中康夫三浦展の三氏の発言・思想から「一橋大学的なもの」のエッセンスを抽出し、その効用と限界を論ぜよ。」というレポート向けの課題をいま思いついた。竹中平蔵なんてのもいるけど、別に思想とか無さそうだから除外。