ロンドンに来ています

ロンドン大学ゴールドスミス校の客員研究フェローとして、一年間の学外研究に従事するため、三月末から家族四人でロンドンに来ています。こちらに到着してからすでに二週間が経過しましたが、家族共々まったくもって元気で過ごしていますので、ご心配なきよう。これまでは住環境の構築や日々の食料の確保など、生活の基盤を確立することで必死でしたが、明日の月曜日からは小学校も始まり、昼間は子どもからも手が離れますので(イギリスの小学校は親による送迎が必須ですが)少しは時間の余裕もできるだろうと思っています。
ところで今回の渡航については、仕事の必要上から(主に日本での仕事をお断りするために)お伝えしてきた方々を除き、大半の方々にご報告が遅れてしまいました。というより、ほとんど何も言わずに出国してしまいました。ということもあり、ここにあらためてご報告いたします。
ご報告が遅れた最大の原因は、ビザの取得が(当初予想以上に)遅くなったためです。イギリスは入国三ヶ月前からしかビザ申請ができないので(という情報も多分どこにも明記されてはいませんが)それなりに前もって準備を尽くして申請したつもりのわれわれも、結局ビザを入手できたのは二月半ばでした。学外研究の行き先は夏頃には決まっていましたが、それから半年近く、本当に行けるかどうか分からない「宙ぶらりん」の気分で過ごしたことになります。その間は、いつどこで何をしているときでも頭の八割くらいはビザ申請や渡航準備のことで占められていたので、人の話を聞いているときにも、だいぶ上の空だったかも知れません。それによって何かご迷惑をおかけしていましたら、お許し下さい。よもやビザが取れないことは無いだろうと信じてはいましたが(周りも皆、心配ないと励ましてくれましたが)、やはり申請(しかも不慣れな)する以上、最後まで何があるか分かりませんし、またビザが取れなければ計画自体を変更せざるをえませんので(大人だけなら観光ビザで半年間滞在、とか簡単にできそうですが、うちは子どもを一年間イギリスで学校に通わせる予定で準備していましたので)ビザが入手できるまでは、四月からの予定を人様にお伝えする気分にはなれませんでした。実際、出国日一つをとっても、どうなるか分からないわけですから。おまけに(また次回以降書きますが)イギリスのビザ申請は本当に謎すぎるんですよ! 通常は二月といえば、次年度(四月以降)の予定がかなりの部分確定している時期ですよね。その時期まで次年度の予定が(というか日本にいるかいないかも)確定しないというのは(私よりも妻や子どもにとって)相当ストレスフルでした。そして逆に──必然的にそうなるわけですが──ビザの入手から出国までの一ヶ月半は、まさに怒濤の日々でした。いろんな物事を投げ出して、ほとんど夜逃げ同然で、こちらに来てしまいました。いやホント、よく出国できたなと。
私も妻も、これまで長期の外国滞在や留学経験もなく、入国のためのビザを取るのも初めて。日本の住民票を抜くのも初めて。子どもたちに至っては、そもそも外国に行くのが初めて。飛行機もわずか二度目。その四人が縁もゆかりもない(ことはないにせよ)異国に生活の拠点を移すなんて、どう考えても、無茶な計画です。しかもメチャクチャ物価が高いイギリスの首都、家賃もメチャクチャ高いロンドン。お金もいくらかかるか分かりません(この不安は現在進行形…)。私の職場の場合、学外研究は日本国内にいてもできるわけですから、おとなしく日本にいた方がよいかも、と(一瞬ですが)考えました。ビザの取得、住居や学校の選定、荷物の移動など、これから味わうだろう苦労は、われわれの人生にとっていわば「余分」な苦労、普通にこのまま日本で暮らしていればおそらく死ぬまで経験することがない苦労だろう、とも思いました。けれども、逆に考えれば、この歳になっても、自分たちが知らない世界がまだまだたくさん残っている、それは実に素晴らしいことではないか。どうせこのまま日本にいても、この先、大した変化や驚きもない無難な人生を過ごして老いていくだけ。だったら、たとえ苦労だとしても、それを知らずに死ぬよりは知ってから死んでやろう、何でも経験してやろう、学んでやろう、という意見で、妻と完全に一致しました(この点がずれていたら、多分頓挫してましたね)。今から思えば笑ってしまうくらい大袈裟な話ですが、われわれにとってはそれくらいの覚悟を伴った決断だったのです。
そして、そういうのはイヤだなーと常々思いつつも、不惑を過ぎてから、私の仕事や人生も安定路線に入り、先が見えてきた気がしています(これはグチですね、スミマセン)。すなわち明らかに生活から「冒険」が足りなくなっています。そしてその感覚は妻も同様だったようです。この辺りで人生にドキドキワクワク感を回復し、また子どもたち(親もですが)の甘っちょろい人生に渇!を入れるため、ここは一つ、知らない土地に長旅に出るしかない! 「苦労を買ってでもする」うちは「若い」と言っていいのだ! ついでに一家まとめて断捨離だ! という程度の安直で発作的な思考回路の上で動いていたことも事実です。
また私自身は、しがらみが雪だるま式に膨らんできた人生に、この辺りで一旦「区切り」を入れたかった、ということもあります。今回の渡航に際して一番辛かったのは、講義や講演、出版など、日本でのお仕事を幾つもお断りせざるをえなかったことです。しかしそういう方々に事情をお伝えしたところ、その多くからとても温かい励ましやお心遣いのお言葉をいただきました。そしてそれはお仕事以外のことでも同様でした。よく考えれば、私自身も、仕事でも遊びでも、自分が心から信頼している方には、たとえ一度や二度、お断りされたとしても、再度お声掛けします。今回はそうしたやり取りを通じて、自分にとって本当に大切な人々がどこにいるのか、分かったような気がしました。これは準備段階から予想外の収穫でした(もちろん一回限りでしかありえないお話も幾つかお断りしてしまい、タイミングの問題とはいえ、申し訳ありませんでした)。他にも、職場や地域や親族関係の中で、自分がいかに多くの人々に支えられて生きているかが、あらためてよく分かりました。そしてそれは、私だけでなく、子どもも含めて家族全員が感じています。一年間のブランクは、戻ってからの人間関係にもかえってよい効果をもたらすのではないか、と(例によって)楽観視しています。
(現在のリトミック講師の仕事を思い切って辞めて渡航するはずだった妻も、上司から破格のお餞別までいただき、戻ったら英語コースを開講して担当するという過大なミッションをいただいてしまった様子。かえって心配です。)
それと諸先輩からは、大学人(に限らず、かも知れませんが)は日本にいたらとても家族でゆっくり過ごす時間は持てないから、ぜひとも家族を連れて日本を離れる機会を持ちなさい、というありがたいお言葉を何度もいただいてきました。私はこの言葉をけっこう真に受けてしまい、これまで父親として子どもに何もしてあげられなかった(というより、ほとんど家にいない、と常に責められている)ので、せめてこの一年間はじっくり子どもと向き合う時間にしたい、と考えました。いわば「失われた家族の絆」(笑)を回復するための一年にしよう、と。実際、日本では、私のことをさて措いても、妻と子どもたちだって相当忙しなくギスギスした毎日を送っているわけですから、日本を離れることは、私以外の家族同士の関係にとっても絶対にいいはず、と(勝手に)思っています。とか言いながら、後になって「またお父さんが私(たち)の人生をメチャクチャにした」とか言われるかも知れませんが、そのときはそのときに謝ればいいとして。
何かこんなことばかり書いていたら、どういう経緯や動機で私がロンドン(イギリス)に来たのか、ここで何をやろうとしているのか、という話にはなかなか行き着きそうにありませんね。ですが次回は引き続いて、きわめて不親切で謎が多いと言われるイギリスのビザ申請について書こうと思います。申請にあたり多くの方々に助言や情報をいただきましたので、その御礼と御報告も兼ねて。また自分用の防備録も兼ねて。肝心のイギリスでの研究活動について書くのは、当分先になりそうです(笑)。