加藤智大を「かわいそう」と言ってしまえる唯一の視点の存在

「ショックが大きすぎて、事件に遭った実感も、加藤容疑者への怒りもわかない。むしろ彼が家族にも友人にも理解されなかったというなら、かわいそうにさえ思える。」
「私も店を失敗したけれど、勝ち組、負け組なんてどうでもいい。人に迷惑をかけずに生きていればいいことはある。私はそう信じて生きてきました」
事件後、初めて取材に応じた重傷者(国際自動車のタクシー運転手)の発言だ(朝日新聞による)。彼はトラックにはねられた被害者を介抱している最中にナイフで刺され、意識を失い、四時間の大手術を受けたそうである。
そういう人が「怒りもわかない」「むしろかわいそうにさえ思える」と言うことには、ある種の尋常ならざるリアリティを感じる。この事件に関する報道のなかで、初めて「リアル」な何か、そこからポジティヴな思考を立ち上げることができ、またそうする価値がある何かに出会った気がした。
ここで重要なのは、九死に一生を得た被害者である「にもかかわらず」そのように言っている、という点ではない。
そうではなく逆に、九死に一生を得た被害者である「からこそしか」そのように言えない、という点である。
命を奪われた人、その親族や知人、その他の事件関係者、路上の見物人、そして私のようにただマスコミ報道で事件に関わるだけの大多数の人間のうち、あるいは犯人自身やその親族や関係者、弁護人、そして犯人を祭り上げている(らしい)ネット住人のうち、一体誰が、彼ほどの説得力と正当性を持って、犯人に「怒りもわかない」「むしろかわいそうにさえ思える」と言いうるだろうか。
この人がいまこう言っている(時間が経てば心境がどう変化するか分からないが)ということは、われわれみなにとって発見であり、智慧ではなかろうか。
そういう意味では、このタクシーの運転手にはぜひ、犯罪被害者という立場ではないかたちで、加藤智大と対話をしてもらいたい、そしていずれやってくるこの事件の「総括」(刑の確定と執行を含む)も近くで見届けてもらいたいと思った。