今年の夏は暑そうな予感

上の娘が幼稚園に行き始めて、そろそろ一ヶ月が経とうとしている。
この春の転勤と引越のゴタゴタは何とか力業で終わらせた訳だが、唯一気がかりだったのが、娘の幼稚園だったので、途中入園で入ることができて、ホッとしている。
東京時代の最後の時期、自転車の前のカゴに娘を入れて走っているときに、彼女が「どうしたらトモダチってできるのかなあ…」と振り返らず前を向いたままつぶやいたのを聞いたときには、私のせいで辛い思いをさせてるなと、ホントに涙が出そうになった。昨秋頃から、近所の同い年の子供達の話題は、すっかり春からの幼稚園生活のことで独占されていた。だが、もうすぐここを去る運命の彼女は、つねにその話題から排除されている。それを自分で知っている。普通「友達」など、「作り方」を意識しなくても出来る年頃だろうに、そして実際、いつも遊んでいる仲間達はたくさんいるのに、彼女には未来を、そして未来にオリエンテートしている現在を、共有できる人が親以外に誰もいなかったのだ。そうした状態では大人とて「トモダチ」を作るのは難しいだろう。京都に行けばすぐにたくさんできるよ、と真実を告げてみても、時間と土地の観念が未発達の彼女には、何の意味も持たない。
そんな訳で、年度の後期からとか来年度からとか大人の都合を言わずに、新生活が一段落したら、中途半端でもいいから一日でも早く、娘を幼稚園に行かせてやりたかったのだ。
最初の数日は「これでトモダチが四人になったよ」とか言っていたので、まだ変に「意識」してるなと思ったが、もうそんなことも言わなくなったので、殊更に意識しないでよく普通に一緒にいるのがトモダチだ、ということが分かってきたようだ。もう放っておいても大丈夫かな。後はケンカでもハツコイでも、こっちは口を出さないので、勝手に色々経験して早くオトナになって下さい。人に迷惑をかけるのだけは駄目だけど。
ともかくこれでようやく、三月からの一連の引越作業が完了した気分である。

私が家にいる日はできるだけ迎えに行くことにしているが(朝の送りはたいがい寝てるので嫁さんまかせ)、他にもけっこう男親が迎えに来ているのが目につく。
東京にいた頃は、平日の昼間に子供と行動を共にする男親は他にはほぼ皆無で、男性の育児参加とか言っても実態はまだこんなもんかと思ったものだが、京都では少し印象が異なる。
家がお商売さんをやっているのか、住職近接の自由業なのか、いずれにせよ、時間が自由になるのはとてもいいことだ。精神的にゆとりがある証拠だし、何より子供のために絶対いい。
ただし、あまり「積極的」な父親だと思われて、何かの仕事(行事の委員とか)をふられても困るので、ちょっと警戒しつつ顔を出すことにしている。大学教員ということが「ばれる」と幼稚園・学校で色々やらされるから気を付けた方がいいよ、というのが諸先輩方からのアドヴァイスでもあるし。

私がいま住んでる中京区の堀川通以西・千本通以東は、オフィス街や中心商業地から数ブロック離れており、都心ながら下町っぽさを兼ね備えたエリアだ。古くからのお商売さんも多く、商店街も充実している。
東京と無理矢理比較するなら、麻布とか神田とか、そんなところか。かなり無理がある気もするが、とにかく、都心部なのに古くからの街並みが残り住みやすい、穴場的なところ。
ただし東京では、いくらそうした住職近接の都心部でも、男親が午後二時に幼稚園に迎えに行くケースはそう多くはない。直に自由のきかない、サラリーマン的雇用形態が多いからか。あるいは街全体が広いため、住職近接と言っても、けっこう距離があるためか。
まあ、産業構造といい、ライフスタイルといい、平均的家族構成といい、東京と京都はまったく違うものと考えた方がいいのだろう。比較不可能。どっちがいいかも判断不能
そもそも人口も全然違うし。Wikiによれば、中京区の人口は103,287人。春まで住んでいた東京都北区は333,851人、その前(結婚する前)に長く住んでいた世田谷区が861,120人だ。
ただし中京区は圧倒的に狭いわけで、今調べたら、わずかに北区の1/3、世田谷区の1/8の面積しかない。
で、今分かったことだが、三つの自治体とも、実は人口密度は似通っている。

       総人口      面積    一キロ平米あたり人口
中京区   103,287人   7.38キロ平米  14,000人
北区    333,851人  20.59キロ平米  16,210人
世田谷区  861,120人  58.08キロ平米  14,830人

人口密度が似てるくらい何だ、とも言えるが、私が京都での新生活にあまり違和感がないのも、一つにはそのためかも知れない。人口密度が似てると、交通網の発達(歩いていける駅の数、路線の数、駅前の規模)や商業施設の密集度、学校の数などが似てくるのではないか。というより、都市部どうしを比較する場合、人口データだけでは何も考えられない気がする。「世田谷区はそれ自体で100万都市と同じくらい人がいるですよ」と言われても、「へえーそうなの」としか言えない。

ちなみに京都市には、建物の規制(高さの限界など)があるので、それがなければ、この辺りも無計画にバンバン高層マンションが建って、人口も増えると思う。これはやはり規制して正解だろう。東京も(景観という理由でなくとも)何らかの規制をすべきだろう。臨海部(豊洲とか)の辺りはとくにひどいことになってるのだから。

そういえば、職場の年長の知り合いに聞いた話だが、左京区に住んでた頃、子供の小学校のクラスのうち半分近くが親が大学教員、ということがあったそうな。あまり少ないと目立って(何か仕事をやらされる確率大)困るけど、そんなに多いのはそれはそれで嫌ですね、と答えた記憶がある。中京区のこの辺りは、どの大学からも中途半端に離れているので、それほど極端なことはないだろうが。(インテリは左京区に住むという伝統があるのは知ってたが、最近知り合った阪大の先生の多くまでもが左京区に住んでいるのには驚いた。京大出身だからかも知れないが、それにしても豊中は大分遠いと思うのだが。)

昨日は近所の三条会商店街で夕方夜市という七夕の祭りがあり、さっそく娘の幼稚園のお友達家族とたくさん顔を合わせたが、新しい土地に来たせいもあり、「近所付き合い=子供つながり」という等号がかつてないほど強くなりつつある。私にとってはかなり新鮮だ。まあでも、近所付き合いがないよりははるかにいいので、その意味でも子供が幼稚園に入れてよかったと思う。

通勤時間(自転車で二十分)は東京時代(地下鉄で二十分)とそう変わらないのだが、やはり職場と家の距離が近い(あまり近すぎないのもポイントだが)のは、小回りがきいて何かといい。
遅くまで仕事をしていても、また学生達と飲んでいても、終電とかを気にしないでいいし(学生も大抵近所なので同じ条件)、忘れ物をしても途中で戻れるし、職場でも家でもピンポイントで時間を決めて待ち合わせができるし。なにしろ時間が無駄にならない。電車通勤だと、乗っている時間自体は短くても、待ったり、乗り換えたり、あと最悪の場合事故で止まったりとか、結構ロスやリスクが多いから。
毎日電車に乗る生活にはもうカラダが戻れそうにない。もっといえば、かつて自分がそうしていた、あるいは、今も日本にはそういう生活をしている人が大勢いる、という現実まで忘れそうだ。

京都に来て唯一(でもないけど一番)困っているのは、子育て支援の行政が、東京(二十三区)と比べ、大いに遅れていることだ。具体的には、医療費援助とか定期健康診断など。これについてはそのうちまとめて書きたい。

もうすぐ祇園祭が始まるので、街全体がうかれはじめており、うちにもその気分が伝染しています。
京都の夏は暑そうですが、楽しそうですね。特に今年は最初なので。
ただし今これを書いている、エアコンのない仕事部屋の暑さは、何とかしたいですが。週末でも大学の研究室に行って仕事すればできるのですが、家族(特に子供)に申し訳ない気がして、何となく家にいます。これは近さとは別の問題ですね。

今日はオチがなくてスミマセン。暑いので許して。