第60回美学会全国大会

東京大学本郷キャンパスで行われた第60回美学会全国大会で発表してきました。
発表題目は「聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統」というもの。ヘルダー、カント、ヘーゲルの哲学における「聴覚」の位置づけを、それぞれの哲学者の五感のシステムに即して/と共に明らかにする、というのがその主旨。私としては当面のテーマ(ひょっとしたらライフワーク)にしようと考えている「五感」研究についての最初のパブリックな発表。
まとまった研究成果の発表というより、今自分が考えていることを考えているところまで話す、という性格が強いものだったのですが、質疑応答も、そのほとんどが私の問題意識とモティヴェーションを共有してくれた上での「前向き」なものだったし、発表して良かったと思っています。原稿はわざとあっさり目に作って(設定された時間より五分くらい短く)その分質疑応答の時間を長く取るという算段。一次文献の引用等はすべて全文(日本語・原典)をレジュメに記載しているが、喋るのは概要のみ、というスタイルでやってみた。
「今はこんなことをここまで考えています」というスタンスをあえて前面に出しての発表だったので、発表後の質疑応答はさることながら、学会期間中の立ち話とか懇親会や飲み会での会話の際に、たくさんの方から有益な助言や励ましの言葉、嬉しい感想を頂けたので、その意味でもこの学会のスペックをフルに活用したパフォーマンスができたかなと満足しています。こうしたかたちで「自分の話を聞いてくれる」場(聴衆)が身近に存在するのは、研究者として本当に幸せなことです。
今回あらためて意識したのですが(比較的)リベラルに思える美学会(文学系の学会とかもっとひどいと聞きます)でも、発表後の質疑応答はやはり「中堅クラス以上」の独占物であって、若い世代はあまり手を挙げられない雰囲気のようですね(その場にいたのにそれに気付かない点ですでにこちらは若手ではないわけですが)。とくに若い世代の人たちとのやり取りに関しては、むしろ発表の場以外(このブログ上も含めて)での「手応え」がたくさん感じられました。私もそろそろというか、いつの間にかというか、自分より若い人達がどう考えるか、ということにいっそう関心が向くようになってきました。
その意味でも学会は、「発表して終わり」だと案外得るものは少なく、多少時間と労力はかかっても懇親会とか飲み会とか空き時間とかでたくさんの人と接するのがいいですね。そうした時間が取れた意味でも今回の学会は理想的でした。私の経験では、逆に自分の地元(日帰りで行ける地域)で行われる学会だと、発表直前まで自宅で原稿を作っていたりして、案外会場での時間的余裕がないんですよね。今回は二晩とも(つまり発表前日もですが)がっつり明け方まで呑めたのですが、それはひとえに旅行客として滞在(会場から徒歩数分の和風旅館泊)していたからです。
発表前日の夜には、一次会が終わって皆と解散した後、コバケン(株式会社ディー・エヌ・エー役員の小林賢治氏NHKの番組「ソクラテスの人事」にも登場。東大美学研究室の出世頭)と待ち合わせして合流し、二人で(途中からサルトル研究のモリ君が参加)社会的有用性の観点から見た人文系諸学問の普遍性とその未来について熱く語り合う。場所はもちろんわれわれのホームグラウンドである白糸(笑)。「ソクラテスの人事」で紹介されたように、彼は短時間で人を見(切)るプロなわけだが、企業の採用人事の視点・ノウハウを(無理矢理、強引にだが)われわれの大学・学問の世界にシフトさせることは、案外「学問的」にも有効・有意義なのではないかという話になった。あと昔某大学でバーベキュー入試なるものがあったらしいが、企業の採用面接や大学院の入試面接では「引越」の能力を見てみたい、これからは集団引越面接だ、とか。われわれの定義する「引越能力」とは、それまで目指していた「ベストな解決」を断念せねばならなくなった時点で、リスクが少ない部分をいかに切り捨てるか、という思考法に頭を即座に転換する実践的判断&遂行能力のことである。
発表が終わった後は、そそくさと会場を後にして歩いて上野に向かう。たまたまこの日に駒場時代の同窓生でスイス在住の建築家キムさん(木村浩之氏)の結婚パーティーがあったので、懇親会の時間までそこに合流することに。会場到着後いきなり、ある男から「オレ、大学一年生の時の自動車学校で君と一緒だった人間だけど」という珍しい声のかけられ方をする。これが街での出会い(あるいは選挙前の電話)なら、詐欺か何かとしか思えないから無視するが、ここはこういう場だからと念のために記憶を辿っていくと、何とかそいつを思い出した。彼も建築家で、愛知で大学の教員もしている。キムさんと会うのもかれこれ十五年くらい振りなので、それに付随する人脈もそれくらいの懐かしい面々。それよりびっくりしたのが新婦さん。今回私は、出立前きわめて慌ただしかったこともあり、奥さんの旧姓やプロフィールをほとんど気にしていなかったので(通常は一通り目を通すのですが)当日ご親族にいきなりご対面だったのですが、会ってびっくり、新婦さんの父君が官房長官経験もある国会議員で、うちの父が仕事上、古くから付き合いのある方だった。うちの妻は、案内を見て、北海道でこの名字はもしかして?と思っていたらしいが、私は全然予想外のことだったので面食らいました。新婦の父君とも世間は狭いですねという話になり、会場からうちの父にも電話して一応事後報告。期せずして新郎・新婦共に自分とつながり、新旧の知人友人が入り乱れたとても楽しいパーティだったので去りがたかったのですが、懇親会参加のために泣く泣く失礼し、タクシーでお茶の水に向かう。何はともあれ、木村君、明子さん、末永くお幸せに。次の機会にはゆっくりお話しできればと思います。
懇親会の後は、前川さん達のグループと日付が変わるくらいまで飲み、その後、東大時代の後輩や門林君達とまた別の店で呑んで、本郷まで歩いて帰り、宿に着いたら確か三時とか四時とかでした。
最終日は、昼過ぎに会場を去って、祐天寺に。私の弟夫婦が最近中目黒に家を新築して、両親がそれを見に行くというので同行することになったからだ。前日に下手に電話したために勝手にそういう展開になってしまった。本当は美術批評のシンポジウムを見たかったのだが。まあしかし、またとない新居訪問の機会なのは事実なので、付き合うことにした。祐天寺で中華料理を食べて、その後、中目黒の新居へ。メゾネット形式の集合分譲住居(この手の名称を良く知らないんですが)のようなもので、デザインがきわめて自由な(というか自分たちでやったわけだから当然だが)かなり広めのマンションといった感じ。話で聞いてイメージしていたよりは広かった。住宅完成前に建設会社が破綻でお金戻らず、とかよく聞くこのご時世なので、建つまでは心配だったが、とりあえず無事に建って一安心。さすが都内屈指の住宅地だけあって住環境は好さそう。それにしても、家具や調度品、電化製品はことごとく、もう、遅れてきたバブル時代のようで、今に始まったことじゃないが、兄弟なのにどうしてこうも価値観や嗜好が違うのかと。
帰りは両親に車でJRの目黒駅に送ってもらい、品川から(いつも東京なので、初めて)新幹線に乗ることに。そしてここで簡単なミスを一つ犯す。行きの新幹線で窓際の席にコンセントが付いていることを知ったので、窓際の席に座ってPC(バッテリーの非力なMacBook Air)で仕事をしながら帰ろうと思い、一時間近く待ち時間があることを承知でわざわざ窓際席を予約。学会発表後の次なるタスクである、締切が間近に迫った某財団系研究費の申請書類と某出版社サイト上のエッセイを書く時間が、どう考えてもこの帰りの新幹線の中しか無かったからです。そしてそれを見込んで、わざわざ、決して軽くないPCを持って旅に出たのでした。しかしショックなことに、時間をつぶして満を持して乗った車両の窓際にはコンセントがありませんでした。ということで、私は観念して、軽く目を閉じました。で(いつもなら)二十分くらい寝たかなという感覚で目を開いたら、もう京都。連日の深酒がたたって、おそらくコンセントがあっても仕事を全うできなかったでしょう。いやむしろ、誰でも分かる真理を言うなら、学会期間中に夜呑まずに宿で書くのが正解だったということです。というわけで、その二つの仕事はその後、私の日常に重くのしかかることに(結局、何とか帳尻合わせましたが)。そのうち誰かに聞けばいいやと思って、今もちゃんと調べてないのですが、東海道新幹線は車両によってコンセントの配置が違うようですね。700系などの新しい車両なら、窓際の席に全部付いているんでしょうか。多くの車両で、一番の前の席に付いているのは知っているのですが。同じミスを二度はしたくないですね。
そして家族(妻、子供双方)へのお土産がないという、第二の、かつ家庭内政治力学的には致命的なミスに気付くのは、狭いながらも楽しいはずの我が家(更新の迫った賃貸物件)に着いてからのことでした。これもまた、この後私の日常に重くのしかかることに(そしてこちらはまだ帳尻が合っていません)。