東京から戻った

国立音楽大学で行われた日本音楽学会全国大会で久々に会ったタニグチさんから、「吉田さんには最近言いたいことがたくさんある。だって[だけど:タニグチ訂正]ブログにコメント書けないから」と言われて、初めて、このブロクがそういうおかしな状態になっていることを知りました。そういえば最近誰もコメントしないなあと感じていたのですが、単に誰も書くことがないだけかと思い込んでました。こんなに「ツッコミどころ満載」(ユースケ・ワジマ氏曰く)のブログなのに、その長い沈黙の「不自然さ」に気付かないほど、鈍感で怠慢でIT弱者な私でした。ご不便をおかけしてすみませんでした。
どうやら以前、デザインを一新したときに間違えて変な設定にしてしまった可能性があります。しかも、自分のコメントだけは記入・閲覧できるという意味不明な状態になっていました。一応、直したつもりですので、そのうちコメント欄をお試し下さい。というか、これでもし直ってなかったら、皆様のなかで最も親切な方が、電話なりメールなりmixiのメッセージなり口頭なりで教えてくれることを切に期待いたします。とりあえずタニグチさん、サンクスでした。今回あなたと話さなかったら、来年の全国大会(大阪大学)であなたが教えてくれるまで気付かなかった可能性が大です。
さて、学会の話だが、発表&シンポジウムは総じて良かった。最近、音楽(学)から頭が離れつつあるので、そのせいもあって、どれも新鮮に聞こえたのかも。どれも集中して聞けたのは、こっちのコンディションが良かったと言うより、内容が良かったからだろうと推測。初日朝一の秋吉康晴さんの発表が聞けなかったことが無念だが、また論文等でフォローする機会があるだろう。ヴァーグナーのパネルは池上純一さん(初めてお顔を拝見)と伊藤綾さんを見に行った。伊藤さんのプレゼンを拝見するのは、以前ベートーヴェンピアノ曲の分析をやったときに続いて、今回が二度目だったが、この人のメトリーク論は、本当にすごいと改めて感心。池上さんの《マイスタージンガー》分析も秀逸だった。ヴァーグナー作品は本当に気持ち悪いくらい深い、すごい、そして怖い。
私自身が、最近割と「コンテクストに注目」系の研究(学会全体の動向でもあるのだが)ばかりやってるので、しばしば忘れがちなのだが、やっぱりすごい作品(Meisterwerk)というのが存在する。作曲家がすごいのと同時に、分析者がすごいわけだが、作られてから一世紀以上経っても、いくらでも新たな読解・分析可能性が湧いて出てくる、少しずつその作品の真の理解なるものに漸進していると研究者を錯覚させる、そのような作品だ。これは絵画や文学にはあまりない、作品の持つ暗号性が高い、音楽学者ならではの快楽ではないか、という気もする。ヴァーグナー研究はけっして「遅れている」わけではなく、むしろ「やられすぎてる」のに、これだものな。まあ私からみたら、作曲家も分析者もどちらも「天才」なわけで。そうか、すげー、なるほど、とただ感動するだけで、とても自分では近づけない。理解できてる(つもりになってる)だけで僥倖です。そういうことも考えさせられたパネルだった。
そしてユースケ・ワジマ氏のパネルで紹介・解説されたビデオ・クリップもまた(だいぶ違った意味でだけど)Meisterwerkであった。素材(ネタ)と視点の提示、語り口、質問への受け答え、笑いの取り方も含めて、氏のフルスペックが発揮された場であったように思う。「世界音楽」あるいは「ワールドミュージック」という概念自体は、伊東氏も言うようにすでに「終わりの時代」にあるのだが、この概念の歴史性・問題性を再考することはこれからもっとやられて良いと思うし、それはワジマ氏に期される仕事の一つであろう。もうすぐ出るという彼の著作を待ちたい。「世界音楽」という概念・問題系自体がどこまで・どうして「特殊日本的」であるかという点については(私はその場で思い付いてあのように煽ってしまったのだが、一方でそんなはずないとも思っている)さらにきちんと考えなくてはならないだろう。
それとどうやらこの学会の委員選挙では、私が次期委員の一人に選ばれたらしい(まだ公式に連絡来てないけど)。関東支部で前回次点だったので、所属支部を関西に移したらとりあえず大丈夫だろうと思って移籍したのだが(逆に、移さないままで関東で委員に選ばれたら厄介なので)、関西ではそこまで名が通ってないはずだし、絶対誰か(相当数)が組織票入れたな、こりゃ。私は投票用紙を捨てましたが(忘れているうちに締切過ぎてたので)状況が分かっていたら対立候補に一票入れたのになあ。委員をやりたくないという理由で学会を退会した人の前例を知っているが、それは流石に非道い話だと思うので、まあこのままいけばやるほか無いのか。困った。務まるのか不安。まあ随分とお世話になってきた学会なので、年貢の納め時か。