新宿西口のオブジェのどこが問題なのか?

最近学生と話題にしたことで面白かったことを忘れないうちに書いておく。
それは新宿西口にある、かの奇妙な「オブジェ」についてである。
この突起物は、1996年の新宿西口地下道からホームレスを退去させる騒動のなか、突如として作られた。
武盾一郎氏の記録が正確だとするなら、それは「道の外観を良くするオブジェ」(『東京ジャーナル』)として東京都によって設置されたものだ。そして、アーチストとして西口地下道のダンボールハウスに絵を描いてきた武氏は、このオブジェに絵を描いたことで、「政治犯」として22日間の拘留を受けている。
明らかにホームレスの排除のみを目的としたこのオブジェについては、セキュリティ社会を論じる文脈のなかで、すでに度々論じられてきた。例えば五十嵐太郎氏はそれを「排除」という観点からのアーキテクチャー(「セキュリティ戦争の空間」『新現実』vol. 2)と呼び、北田暁大氏はそれを「環境管理型権力」の象徴として捉えている(『限界の思考』)。確かにこのオブジェは、彼らも指摘するように、寝そべれないように手すりが数カ所ついている「ホームレス排除型ベンチ」や、長居ができないようにできている「マクドナルドの固い椅子」と同様の文脈で語ることが可能である。
ただ私としては、この突起物が他でもないオブジェと呼ばれていること、つまり二十世紀的な芸術作品の代表的ジャンルとして提示されていることに、どうしようもない嫌らしさを感じるのであり、その点で、現代の都市にあふれている「排除系設置物」一般とは多少違う違和感を覚えるのだ。
それを口にするのは容易でないが、つまりこういうことだろうか。
そこはもちろん誰かの土地であったとはいえ、当初そこには何もなかった。何もなかったから、人が寝そべり、さらにはダンボールハウスを構築することが可能だったのだ。だが再開発をもくろむ行政か鉄道会社かは知らないが、そこに住む人やダンボールハウスを撤去しようとした。そこで、冒頭にあげた武盾一郎や吉崎タケヲといったアーチストはダンボールに絵を描いて抵抗した。しかし結果的にこの抵抗が、目には目をではないが、狡猾な「オブジェ」の発想を行政の側に与えてしまったように思う。というより、アーチストの抵抗が世論の注目を浴び、計画に少しでも水を差されることを、行政の側は本気でヤバイと思ったのだろう。芸術作品(絵の描かれたダンボールハウス)を撤去して別の芸術作品(カラフルな突起物)に置き換えるというアイデアは、アプロプリエイションの最良にして最悪の例であろう。
この手の排除アートに詳しい都築響一氏が言うように、悪意があるように見せないこと、排除アートだということを市民に気が付かせないようにすることが行政の腕の見せ所だとするなら、どうみても異様な新宿西口のオブジェは明らかに初歩的なミスを犯した失敗作である。それはおそらく、この時点では前例のないオリジナルな試みであったのだろう。だが失敗作であるがゆえに、逆にこの作品は排除アートの本質を示してくれる。
排除アートの作家(そういう人がいるかいないか知らないが)にとって何よりも心強いのは、芸術に失敗はない、という点である。つまりどんなにしょぼくても、芸術作品である以上、美術館の便器と同様、その存在価値が無制限かつ無条件に正当化されるのである。実際、地下道のオブジェが「道の外観を良くする」という行政の主張が、いかに嘘くさくても、そう本気で感じている人がいないと言い切れない限りは、それを論理的に切り崩すのは容易でない。あるいは、芸術には目的はいらない、という唯美主義(l'art pour l'art)の主張や、どんな芸術作品でもその固有の場所を持つという、サイトスペシフィック性の理論も、意味不明なオブジェがその場所を占めることを大いに正当化するだろう。つまり、二十世紀以降の芸術と芸術家が己の正当化のために得意げに主張してきた論理は、ことごとく、排除アートの正当化に力を貸してしまうのだ。
そして何より問題なのは、アートと非アートの区別の無効を高らかに宣言してしまった人々には、アートと排除アートの区別が究極的に不可能なことである。アートを美的価値ではなく政治性や社会性から好んで論じようとする研究者が最近増えていると聞くが、彼らはますます、排除アートをアートから区別する能力を失っていることになる。そう考えてみると、いわゆるパブリックアートはもちろん、美術館という建築物、あるいは究極的には都市環境そのものが、ことごとく、巨大な排除アートに見えてくるから不思議だ。排除アートではないアートってそもそも存在するのか?、という問い方がむしろ正しいのかもしれない。
結局、私が新宿西口のオブジェに対して感じる嫌らしさ、気持ち悪さは、現代の芸術を価値付けてきた言説が、突如その醜悪な半身をさらけ出したかのようにみえるからかも知れない、と思った。あれがオブジェではなく、鉄柵やバリケードだったら、以上で書いたようなことは考えなかったような気がする。