新潟遠征

今週末から一週間ほど新潟方面に出張します。
まず土曜日に東京で先端研学生の結婚式(実は教員として「学生」の結婚式に出るのは初めてかも。出たのを忘れてたらスミマセン)に出席した後、日曜日に新潟大学「間主観的感性論研究推進センター」の公開研究会「感性と心理」(→コレ)で発表し、その日は長岡に移動して一泊し(温泉宿らしい!)、翌月曜日は長岡散策(陶芸実習があるらしい)&少し休養した後、火曜日から金曜日まで新潟大学人文学部で「美学」の講義を行います。
講義は「錯覚(イリュージョン)の感性学」という題目の下、錯覚をめぐる哲学・科学思想史(エウクレイデス、アリストテレスからデカルト、ロックあたりまで)、十九世紀後半から今日に至る、生理学・心理学的な錯視・錯聴研究の動向と成果を(とくに近年の諸発見を中心に)取り上げます。また前者に関連して、共通感覚論とモリノー(モリヌークス)問題を個別主題として掘り下げます。この両者については以前から一度自分なりにきちんとまとめたいと思っていて、文献だけは揃えて(読まずに積んで)いたので、今回の錯覚論がちょうど良い機会・文脈となりました。
なお当初の予定では「アートとイリュージョン」の話を入れよう(むしろ全体の軸にしよう)と思っていたのですが、そしてあわよくばビデオゲームの問題にまでつなげたいと思っていたのですが、今回調べながら考えた結果、遠近法の理論と歴史(当然かなりの研究蓄積がある)や、リアリティに関する最新の認知科学の議論をきちんと踏まえないと話にならないことが判明したので、今回は外しました。
(しかしながら、アートを「錯覚(イリュージョン)の技法」として捉え直すというゴンブリッチ的観点は、今なお魅力的です(というより、彼の問題意識を誰も継承していないように見える)。この観点からアートにアプローチすることは、私の感性学の構想にとっても不可避かも知れないと予感しています。またそれは「(芸術の学としての)美学」にとっても重要なはずで、今パッとあげるだけでも、「芸術(美術)は自然をもっとも正確に写し取る技術である」と称揚する一方、「芸術は自然以上に人間を上手に欺くことができる」という明らかなパラドックスを隠蔽しつつ、その上に近代的芸術概念を構築したレオナルド・ダ・ヴィンチや、「自然」と「芸術」を高度にトリッキーな論理で──「天才」を媒介にして──結びつけた(言い換えれば、ダ・ヴィンチとは違うかたちでパラドックスを隠蔽した)カントの名が思い出されます。ただしこの辺りは美学史や芸術理論を専門とするどなたかにお任せしたいところ。)
「美学」という科目を担当するのは本当に久しぶりである上に、ここ数年は(たまたま)本務校で講義科目を持っておらず、「貯金」もあまりないので、こういう機会にこそ勉強せねばとごりごりインプットしました。後はうまくアウトプットできるかどうかです。
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振り返れば、昨年も日本ドイツ学会に呼ばれて新潟に行きました。新潟はその時が初めてだったのですが、これで二年連続でのご縁となりました。本当はもっとゆっくり羽を伸ばしてきたいのですが、週末に子どもの運動会があるためにトンボ返りになるのがたいへん残念です。行事の秋だから仕方ないですね。
新潟の皆様、どうかよろしくお願いいたします。