リマスター&オーセンティシティ問題再訪

日本ポピュラー音楽学会JASPM)の第24回全国大会が今週末(12月8日〜9日)に武蔵大学(江古田キャンパス)で開かれます(→JASPM24(第24回日本ポピュラー音楽学会年次大会)のサイト)。
で、参加予定もないし、そしてそもそも学会員でもない私が、どうしてここでそんなことを書くかというと、この大会のワークショップ「ポピュラー音楽の美学と存在論──今井論文をめぐるオープン・ディスカッション」で、私が過去に論じたことがある「リマスター」の問題が取り上げられそうだからです(詳細は増田聡さんのサイトを参照)。
リマスターについて私は二度ほど論じたことがあります。

吉田寛「2007年の音楽シーン──音=音楽の所有と管理をめぐるポリティックスの諸展開」『artscape[アートスケープ]』(2007年2月)(→artscapeのサイト)
吉田寛「われわれは何を買わされているのか──新リマスターCDから考えるビートルズの「オーセンティシティ」」『ユリシーズ』No. 2(2010年4月)(→Google Document

(ちなみにココのリストは商業誌に関しては網羅的ではないので、上記の二つは載っていません。)
とはいえ「論じた」というほど大袈裟なものでもなく、日頃リマスター問題に(消費者として)悩まされているロック・ファンの立場から、最近の「リマスタービジネス」(という言葉があるかは知りませんが)をちょろっと冷やかし、その中で「指揮者としてのリマスターエンジニア」説(前者)や「複数のオーセンティシティの衝突」説(後者)という見方を提示してみたにすぎません。美学や音楽学等の先行文献をきっちり押さえて考えていたわけではありませんし、その後もそれを深める作業をとくに行ってきませんでした。他方で、昨年頃からジャズ・ファンとしても諸々のリマスター版(RVGなど)に手を染めて業ばかり深めております(笑)。
そんな中で今回このワークショップの主催者の方々が「今さら」私の書いたものを読んで(読み直して)くれていると知ったものですから、驚きました(後者はそれを知って慌ててアップしたものです)。作品概念やリミックスについては色々あっても、リマスターについては少なくとも日本語で手近に読める文献がないみたいですね。どちらもエッセイ程度のものですが、考えるきっかけくらいになってもらえれば幸いです。
なお後者の中で「オーセンティシティの基準は「対象」の性質ではなく、実はわれわれの「内側」にある」と「言った音楽学者がいる」と書きましたが、これはリチャード・タラスキンのことで、テキストは"The Limits of Authenticity" (1984) です。もともと『Early Music』という古楽の雑誌に出たもので、今では彼の著書『Text and Act』(1995)で読めます。数日前に久しぶりに読み直しましたが、「音楽の自律性」の主張者には「抽象的内的連関」派と「物理的音響」派の二つの流派があり、前者はグールドやワルター・カルロス(「スイッチト・オン・バッハ」)らで、後者はケージや「正しい楽器」に固執する古楽器奏者らである、などとジャンル不問に斬りまくっていて、面白いです。なおタイトルにある「Limits」は「限界、境界」ではなく「(有効)範囲」の意味です。
リマスターと作品概念、オーセンティシティの関係についてはここ数日twitter上でも幾人かと議論してきましたが、いろいろ面白い問題が含まれているので、ぜひ当日の議論で深めていただきたいと思っています。今井晋さんの「On Authenticity 正統性について」と題されたこのブログエントリも有益な情報を含んでいます。
最近では私は、もっぱら認知や情報処理の方向から感性にアプローチしているために、観念的(形而上学的)視点がすっかり抜け落ちていますが、オーセンティシティは今日の音楽文化を作り上げているロマンティック・イデオロギーの一つとして「掘りがい」のあるテーマだとあらためて思いました。