メディア芸術祭京都展トークイベント

文化庁メディア芸術祭京都展もいよいよ残すところ一週間を切りました。
私が参加する最後の企画として、20日(日)に京都芸術センターで開催される、プロジェクトチームメンバーによるトークイベントがあります。

文化庁メディア芸術祭京都展プロジェクトチーム・トークイベント
日時:2011年11月20日(日)14:00〜15:30(終了時刻は予定)
場所:京都芸術センター フリースペース
パネリスト:
吉岡洋(京都大学
森脇清隆(京都府立文化博物館)
吉田寛立命館大学
山本麻友美(京都芸術センター)
司会:
小林昌廣(情報科学芸術大学院大学
内容:
・メディア芸術とは何か?
パラレルワールドというテーマ設定について
・プロジェクトチームがどのようにメディア芸術祭(およびメディアアート)について考えているか
・地方展における独自性と魅力
・今後のメディア芸術祭(およびメディアアート)の行方

当日は例によってUSTREAM中継がありますので、遠隔地の方はコチラからどうぞ。
また、私がナビゲーターを務めたエンターテイメント部門(すべて終了済)の記録動画は以下で視聴することができます。

・シンポジウム「メディア芸術の中のゲーム──これまでとこれから」(2011年11月5日)吉岡洋/渡辺修司/桝山寛/吉田寛
http://www.ustream.tv/recorded/18317438
・ワークショップ「ゲームはどうやって動くのか?──ニンテンドーDSと『プチコン』 で遊ぼう!」(2011年11月5日)小林貴樹/吉田寛
http://www.ustream.tv/recorded/18319766
・シンポジウム「カジュアル化・ソーシャル化するゲーム──エンターテインメントの未来」(2011年11月6日)井上明人/小林賢治/水口哲也吉田寛
(パネリスト報告1)http://www.ustream.tv/recorded/18342740
(パネリスト報告2)http://www.ustream.tv/recorded/18344364
(ディスカッション)http://www.ustream.tv/recorded/18344590

なお11月5日のシンポジウムの様子は『毎日新聞』(11月12日朝刊、京都版→コチラ)と『京都新聞』(11月21日朝刊→コチラ)でも紹介されています。
。どちらも内容が的確にまとめられたとても良い記事だと思いますので、当日いらっしゃれなかった方もご覧いただければ幸いです(後者には後日私が電話取材で話した内容も含まれています)。

いよいよ明日!〜メディア芸術祭京都展「ゲームってアートなの?」

私がプロジェクトチームの一員を務めている文化庁メディア芸術祭京都展「パラレルワールド京都」がすでに始まっております。
http://plaza.bunka.go.jp/kyoto/

その中で私が企画・統括をしてきたエンターテインメント部門が、いよいよ明日5日から二日間の日程で、京都国立近代美術館にて開催されます。
5日(土)と6日(日)の二日間で、三つのゲーム関連企画を行います。
皆様お誘い合わせの上、ぜひ足をお運び下さい。

5日のワークショップ(『プチコン』企画)は定員が20名(DSを20台用意するため)ですが、まだ若干空きがあると聞いています。詳細は後述のサイトからお尋ね下さい。
なおこの企画の開催にあたっては任天堂さんのご厚意により Nintendo DS をお借りすることができました。

文化庁メディア芸術祭 京都展「パラレルワールド 京都」
エンターテイメント部門
「ゲームってアートなの?──エンターテインメントのいま・これから」

日時:2011年11月5日(土)〜11月6日(日)
会場:京都国立近代美術館 講堂
料金:無料
(※ワークショップ(定員20名)は要事前申込。ワークショップ参加者以外の方も会場での見学はできます)

【企画1】11月5日(土)13:00〜15:00
シンポジウム「メディア芸術の中のゲーム──これまでとこれから」
パネリスト:吉岡洋(京都大学)/渡辺修司(立命館大学)/桝山寛(コンテンツ・プロデューサー)
ナビゲーター:吉田寛立命館大学

【企画2】11月5日(土)15:30〜17:00
ワークショップ「ゲームはどうやって動くのか?──ニンテンドーDSと『プチコン』 で遊ぼう!」
インストラクター:小林貴樹(株式会社スマイルブーム)
ナビゲーター:吉田寛立命館大学

【企画3】11月6日(日)14:00〜17:00
シンポジウム「カジュアル化・ソーシャル化するゲーム──エンターテインメントの未来」
パネリスト:井上明人(GLOCOM研究員)/小林賢治(株式会社ディー・エヌ・エー取締役・モバゲー統括)/水口哲也キューエンタテインメント取締役CCO)
ナビゲーター:吉田寛立命館大学

なおそれぞれの企画の趣旨につきましては以下のサイトをご覧下さい。
http://plaza.bunka.go.jp/kyoto/mok_00.html

また5日の『プチコン』企画については、ご協力いただきますスマイルブーム社のサイトにも情報が掲載されています。
http://smileboom.com/

三つの企画とも、パネリストやインストラクターとしてお呼びするのは皆さんスゴイ方々ばかりです。現在日本のゲーム業界を代表するトップクリエイターだったり、今話題のモバゲーの取締役だったり、震災直後に節電をテーマにしたソーシャルゲームとして注目された「#denkimeter」の作者だったり。

では(当日お越しになる方々は)京都国立近代美術館でお会いしましょう。
[2011.11.16追記]
11月5日のシンポジウムの記事が毎日新聞(11月12日朝刊)に掲載されました。執筆者は当日私が会場で対応した記者の方です。当日の内容が的確にまとめられた、実によい記事だと思います(どうでもいいですが「教授ら」という表現に多少違和感が…)。ウェブ版は以下です。
「シンポジウム:メディア芸術の中のゲーム 教授ら変遷紹介」
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20111112ddlk26040501000c.html

「いつかゲームの博物館を」だそうです

本日(10月7日)の朝日新聞(大阪版)夕刊の「テーブルトーク」という欄に「いつかゲームの博物館を」という見出しで私の紹介記事が載っています。関西方面の方はご笑覧いただければ幸いです。
二週間ほど前に行われた取材をもとにした記事です。
新聞記事の何が怖いかというと、自分で書くわけではない上に、出る前にこちらでチェックができないので、フタを開けてみないと(その日に紙面を開いてみないと)どういう風に書かれているのか分からないことです。これは物書きを仕事にしている人間にとっては耐え難い不安です。自分で書けるのならば無給でいくらでも書きますから、と言いたくなるくらい(笑)。だいたい一〜二時間くらい(今回は三時間超)記者と話したことが400〜600字程度にまとまるので、切り取り方によってはこちらの真意や力点と違った方向性の記事になってもおかしくない。しかも、もしもこちらが喋ったことと違うことが書かれていても、それがそのまま(私自身の弁明の余地無く)大きな社会的影響力を持ってしまうわけです(もっとも、断片的な発言を映像・声と共に流してしまうテレビよりは「危険性」が少ないでしょうが)。記者の責任は重大というわけです。
今回の記者の方は以前にも一度取材を受けたことがあり、私のことをよく理解していただいている方なので多少安心でしたが、それでも上記のような不安は拭えないので、取材の際には幾つも資料を用意(そのためにわざわざ新規作成)して、ゲーム研究の歴史/現在の(日本の)ゲーム研究の現状/その中で私がやろうとしていること、の三つをきっちりと切り分けて理解していただけるように努めました。
今日、実際に「フタを開けて」見たわけですが、とても良い(上手な)記事でしたので、結果的に杞憂でした。ひとまずホッとしています。苦労して準備して時間をかけて丁寧に説明したかいがありました。そのお陰で徹夜明けだったので写真は顔が変ですが。
写真ではなぜか私が『ドラゴンクエスト剣神』の箱を持って写っていて、完全に意味不明なのですが、これは「Wiiのような擬態インターフェイス(mimetic interface)はいつ頃ゲームの世界に登場したのか?」という話題の中で、わが研究室の秘蔵アイテムとして持ち出したもので、その流れでこんな古くて特殊でマイナーなゲームが写真の中央にドカンと鎮座ましましているわけです(笑)。
また記事の中では「デジタルゲーム」という語が用いられていますが、これは直前まで「コンピュータゲーム」になるはずでした。「デジタルゲーム」の語は社内的にあまり馴染みがないらしく、朝日新聞の過去のデータベースでも「コンピュータゲーム」の語の使用回数が圧倒的である(つまり読者に一番通りやすいと推測される)というのが第一の理由であり(この指摘はこちらにとっても勉強になりました)、またウィキペディア日本語版に項目があるのは「コンピュータゲーム」だけであり、「ビデオゲーム」も「デジタルゲーム」も項目がない、というのが第二の理由でした。取材の中で私は(ふだん通り)主として「ビデオゲーム」という語を総称として使っていたのですが、記事が出る直前に記者の方に相談されて、上記のような理由に基づき、社内の判断で「コンピュータゲーム」になるかも知れない、と告げられました。私としては、「コンピュータゲーム」は間違いではないがいかにも古くさくて含意が違ってしまうかも知れないのでできれば避けて欲しい、また「ビデオゲーム」は確かに一般的に通りが悪いかも知れないが、「デジタルゲーム」はすでに日本語で書名や学会名になっているので、せめて「デジタルゲーム」にしてもらえないか、と返しましたが、「コンピュータゲーム」の語でも積極的な誤解が生じるわけではないので、一般的に通りがよいと貴社が判断されるならそれでも良いですよ、と最終的にはお任せしました。結果的に記者の方は、あえて「デジタルゲーム」の語を使い、しかも「デジタルゲーム」研究が学問分野として認知されるのに少しでもお役に立てれば、とまで言ってくれました。社内でも粘って周囲を説得してくれたそうです。私は大いに感謝・感激しつつ、次は(英語でのスタンダードである)「ビデオゲーム」の語を日本でも流通させたいのでご協力下さい、次回までに私も何とか(本を出すなりして)「既成事実」を作っておきますので、と申し伝えました(笑)。
この用語問題はきわめてどうでもいい微細な話にも思えますが、新しく領域やディシプリンを作っていく、そして一般にも認知してもらう過程では避けて通れない問題だなとあらためて痛感し、今回の記事を象徴するエピソードとして私の記憶に残りそうです。
また見出しの「いつかゲームの博物館を」は、強い持論や結論として言ったわけではないですが、確かに私が言った台詞です。少し大きく出過ぎました。利害関係者各位(いるかどうか不明ですが)にはご迷惑をおかけします(笑)。
とはいえ、来週金曜日(14日)が立命館大学ゲーム研究センター(RCGS)のキックオフカンファレンス(USTREAMでの中継もあります)ですので、本当にこの上ないタイミングで良い記事を載せてもらって良かったな、少しはアテンションや集客の向上に役立つかな、と思っています。
そういえば前回新聞に載ったときは雑多でありながら(辛うじて)音楽学者としての紹介でしたが、今回の露出で完全にゲーム研究者にシフトしてしまった感がありますね(笑)。「感性学」というアプローチ(立場)は強調していますし、音楽研究からゲーム研究に至った経緯も記事の中で軽く触れられていますが。どういう方面からどういう反応があるか今から楽しみ(怖い)です。
それと最近思うのですが、新聞記事というのは別業界の人への名刺代わりというか、自己紹介のツールとしてはとても便利ですよね。研究者でない人に論文を渡して「読んで下さい」と言うのも酷ですから(私はよく言ってますけど)。そういう意味でも「平易な言葉」が持つ力は大事だと思います。あえて他人(記者)の言葉に自らを委ねる、という経験も(怖いですけど)たまには重要ですね。

立命館大学ゲーム研究センター(RCGS)キックオフカンファレンス

私が事務局長となり、立命館大学内の各学部に散らばっているゲーム関連研究者のネットワークとして今年の四月に設立した「立命館大学ゲーム研究センター」(RCGS)のキックオフカンファレンスを10月14日(金)に行います。平日のその時間帯だったら企業の人間が行けないじゃないか!というお叱りもさっそく頂戴しましたが、USTREAMでの中継(録画)も行う予定ですので、遠隔地の方々も含めて当日いらっしゃれない方もご覧頂ければ幸いです。
RCGSのサイトにフライヤーのPDF版をアップしていますので、そちらもよろしくお願いします(直リンクはコチラ)。

立命館大学ゲーム研究センター(RCGS)キックオフカンファレンス
「ゲーム研究の現在形 Game Studies in Progress」
2011年10月14日(金)13:00〜17:00(開場12:30)
立命館大学衣笠キャンパス)アート・リサーチセンター多目的ルーム
(※参加費無料・事前申込み不要)
・オープニングスピーチ/センター紹介(13:00〜13:30)
上村雅之立命館大学ゲーム研究センター長/大学院先端総合学術研究科教授)
・カンファレンス1「ゲーム研究の現在──その課題と展望」(13:30〜15:00)
パネリスト:井上明人国際大学GLOCOM研究員/助教)/七邊信重(東京工業大学特任講師)/高橋志行(一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程)
ファシリテーター吉田寛立命館大学ゲーム研究センター事務局長/先端総合学術研究科准教授)
・カンファレンス2「ビデオゲームとグローバリゼーション──文化/産業/研究」(15:15〜16:45)
(※使用言語は日本語・英語ですが、英語部分には通訳がつく予定です。)
パネリスト:ヤッコ・スオミネン(フィンランド/トゥルク大学教授)/ジェフリー・マーティン・ロックウェル(カナダ/アルバータ大学教授)/中村彰憲(立命館大学ゲーム研究センター/映像学部教授)
ファシリテーター:稲葉光行(立命館大学ゲーム研究センター/政策科学部教授)
・クロージングスピーチ(16:45〜17:00)
細井浩一(立命館大学ゲーム研究センター/映像学部教授)
※カンファレンス終了後、キャンパス内にて懇親会(会費制)を予定しております。

また10月28日(金)には立命館大学国際言語文化研究所(通称:言文研)とRCGSの共催で以下のような企画も行います。

2011年度 立命館大学国際言語文化研究所連続講座「歴史のなかの感覚変容」
(「グローバル・ヒストリーズ──国民国家から新たな共同性へ」第2シリーズ、全4回)
第四回「グローバリゼーションのなかのビデオゲーム
報告者:ヤッコ・スオミネン(フィンランド/トゥルク大学教授)
コメンテーター:天野圭二(星城大学
コーディネーター:吉田寛立命館大学
企画提携:立命館大学ゲーム研究センター
10月28日(金)17:30〜19:30(17:00開場)
立命館大学衣笠キャンパス 末川記念会館 第3会議室
(※事前申込不要・聴講無料)

このシリーズは学外からのゲストが毎回けっこうすごくて、第一回(音楽メディア編)は東琢磨氏、鈴木慎一郎氏、第二回(マンガ編)は吉村和真氏、第三回(小説、映画編)は李文茹氏、大西仁氏、梁仁實氏です。それに続く第四回がわれわれのゲーム編というわけです。
言文研のサイトはコチラ
シリーズ「歴史のなかの感覚変容」のフライヤー(PDF)はコチラ
ところで私は昨年度まで言文研の運営委員をやっていたのですが、今年はゲーム研究センターの立ち上げに専念するために籍を抜いた格好でした。今後ともこのような提携は積極的に行っていきたいと思います。
なお立命館大学の研究センターは、基本的に学部・研究科から独立の組織で、教員の「クラブ活動」みたいなものです。皆さん本務(正課)とは別枠で行っているので時間の都合を付けるのもけっこう大変です。ですが、学内リソースをフルに活用する(端的に言えば、学部をこえて気の合う仲間とつるむ)のは、「クラブ活動」以外には難しい気もします。単に授業の中で学部横断的なクラスを導入しても、講師が入れ替わりに脈絡無しにリレー講義やってハイ終わり、となりがちですので。この辺りの工夫、他大学の場合はどうなっているのでしょうか。関心があるところです。
明日(今日)は朝から下の子の幼稚園の運動会なのでもう寝ます。後期の授業も明日(今日)から開始です。また時間を見つけて、とくにキックオフカンファレンスの内容の詳細について加筆します。

研究会・学会のご案内【9/21追記あり】

[2011.9.21追記]
台風15号による暴風警報発令のため、本日16時から予定していましたRCGSの研究会は中止(順延)となりました。新しい日程が決まり次第、お知らせいたします。

今週は研究会・学会での発表が二つあり、目下準備に追われています。

立命館大学ゲーム研究センター(RCGS)
2011年度第五回定例研究会
日時:2011年9月21日(水)16:00〜18:00
場所:立命館大学アート・リサーチセンター(衣笠キャンパス)多目的ルーム(入場無料・事前予約不要)
「〈複数的世界〉経験としてのビデオゲーム──「フィクション/リアリティ」パラダイムからの離脱」
発表者:吉田 寛(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
発表要旨:これまでビデオゲームをプレイする経験はしばしば「フィクション(虚構世界)」の枠組みの中で語られてきた。その場合、「リアリティ(現実感)」の度合いがそのゲームの経験を理解・評価する上での最大の基準とされる。だが本発表ではそれとは少し異なる観点を提示してみたい。すなわち、ビデオゲームをプレイすることはそれ自体において〈世界の複数性〉の経験であり、それを分析するには通常言われるような(現実との対応の度合いとしての)リアリティとは別種の、いわばビデオゲームの経験に独自のリアリティの次元を設定しなくてはならない、ということだ。本発表では具体的な事例を紹介しながら、ビデオゲームにおける〈複数的世界〉経験を、画面空間の分割(部分と全体/異なる物理的世界の並置)、主客の役割交替、顕在的二重性(可視的レイヤー)、潜在的二重性(不可視的レイヤー)、記号論的二重性(意味論的次元と統語論的次元)など幾つかのケースに分類して提示する。

立命館大学ゲーム研究センター(RCGS)のサイトは以下。
http://www.rcgs.jp/
今まさに準備中ですが、事例の検証と視点の提示はできても、それらを理論的枠組みにうまく落とし込むのは難しそうです。予告用の要旨を書いた時点では割とフィクション理論を一枚岩的に捉えていて、そこからの「離脱」ができるかな、と甘く考えていたのですが、いざ調べていくと、ゲーム関係文献に限定してもフィクション理論はまさに百花繚乱で、離脱どころか「着地」もできない有り様(←というか、もう少し調べてから要旨書いた方がいいですよ)。ただしゲーム研究が参照するフィクション論はだいたい決まっていて(パヴェル、ライアンあたり)そこから出発して(ビデオ)ゲームのフィクションのあり方を独自に理論化した人は少ない(ユールを含めて二、三くらい)ので、今後突っ込みようはあるかな、と。それが分かったのが収穫。
またこの発表の構想を練るうちに、自分のゲームへの関心が以前のような運動/視点/空間構築といった視覚文化論的問題構制から、虚構世界/リアリティ/想像力の問題へとシフトしており、そのためには並行世界/可能世界論やフィクション論といった多少ハードな理論モデルを最低限吸収しなければならない、と自覚し始めたところ。ただし感性学からあまり離れると「他人の褌で相撲」状態になりかねないので要注意。
だがそれ以前に私自身の(というよりゲーム研究全体の)術語が安定しておらず、世界/次元/レイヤー/空間など類義語がたくさん出てきてしまうので、そこを整理しないことにはどうにもならないなと。フィクション理論はだいたい分析哲学の世界なので、術語や概念を確定・精査しないと接合したくてもできませんから。
お次はこちら。

日本音楽学会西日本支部第4回(通算355回)定例研究会
日時:2011年9月24日(土)午後1時30分〜5時
場所:神戸大学大学院人間発達環境学研究科 C棟101号室
(「神戸大学 六甲台キャンパス」内の「鶴甲第2キャンパス」)
司会:大田美佐子
内容:研究発表
1. 木本麻希子(神戸大学)「S. プロコフィエフ『戦争ソナタ』3部作──主題動機と循環構造に関する一考察」
2. 藤田隆則(京都市立芸術大学)・森安未来(大阪大学大学院博士前期課程修了)「能のヘテロリズム──複数の立場の共在」
3. 吉田寛立命館大学)「マールプルクと音楽における「ドイツ的なもの」の構造転換──近代芸術思想における「ナショナルなもの」の一成立過程」

(吉田の要旨)本発表は、ドイツの音楽批評家フリードリヒ・ヴィルヘルム・マールプルク(1718-95)の著作の読解を通じて、音楽における「ドイツ的なもの」の理念が一八世紀半ばに大きな構造転換を遂げたことを明らかにし、そこから翻って、近代の芸術思想にとっての「ナショナルなもの」の価値と機能──決定的に重要とされつつも、その内実は空虚で定義不可能、という逆説を孕むものとしての──を歴史的・批判的に検証するものである。

日本音楽学会関西支部のサイトは以下(本例会の案内に飛びます)。
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/asia/msj/#355
六月に新潟の日本ドイツ学会で発表したテーマの続編のようなものです。芸術家の「生まれながらの気質」と結びついた創造性やスタイルを絶対視する、というのは通常「十九世紀的モデル」と考えられていますが、それが十八世紀半ばにすでに見られる、ということを思想史的に指摘します。この時代のドイツの音楽理論家は概ねフランスの影響を受けており、このモデルも例外ではなくフランスから入ってきたものでした。ではそのフランス人はどこから?と気になりますが、この発表では「起源探し」はほどほどにして、そうした発想がどこまで歴史的に限界付けられるのか(それとも超時代的・普遍的なものなのか)ということも同時に考えてみたいです。そのためにも(音楽学会という枠内とはいえ)色々な時代、国、文化の専門家の人に聴いてもらいたいなと思っています。
明日はゲーム研究の関連で某新聞社から取材を受けます。もしも記事になる(なった)場合にはまたご案内します。
他にも幾つかこのブログでご案内したい(しなくてはならない)ことがありますが、今日ここで一緒に書くと情報量が増えすぎるのと、最近の私は目先のこと(明日明後日レベルの締切)で頭が一杯で、その先のことを思いやる余裕が失われていますので、また次回にします。

メディア芸術祭京都展エンターテインメント部門(11月5〜6日)

以前からtwitter等でポツポツと予告・ご案内しておりました「文化庁メディア芸術祭京都展」のプレスリリースが本日行われました。ようやくここまで漕ぎ着けました。長らくお待たせしました。
文化庁のサイトは以下です。
http://www.bunka.go.jp/
文化庁メディア芸術祭京都展開催」のプレスリリース資料(PDF)は以下です。
http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/pdf/media_geijutsusai_shiryo_110912.pdf
私は京都展プロジェクトチームの一員として「エンターテインメント部門」の企画と統括を担当しています。その「エンターテインメント部門」の企画は以下の通りです(プレスリリース資料14頁より抜粋)。

エンターテイメント部門
「ゲームってアートなの?──エンターテインメントのいま・これから」
日時:2011年11月5日(土)〜11月6日(日)
会場:京都国立近代美術館 講堂(1階)
料金:無料 ※ワークショップのみ料金について検討中
【企画1】11月5日(土)13:00〜15:00(予定)
シンポジウム「メディア芸術の中のゲーム──これまでとこれから」(仮題)
パネリスト:吉岡洋(京都大学)/渡辺修司(立命館大学)/小林貴樹(株式会社スマイルブーム)/桝山寛
ナビゲーター:吉田寛立命館大学
趣旨:平成9年(1997年)に始まった文化庁メディア芸術祭では、デジタルアート[インタラクティブ]部門(平成14年度まで)およびエンターテインメント部門(平成15年度以降)の枠内で、これまで多くのゲーム作品が入賞してきた。メディア芸術の専門家とメディア芸術祭での受賞経験を持つゲームクリエイターを交えて、それらの作品を回顧し、この十五年間の日本のゲーム文化の状況を振り返ると同時に、メディア芸術とゲームが接近・接触してきたことの意味を考える。
【企画2】11月5日(土)15:30〜17:00(予定)
ワークショップ「ゲームはどうやって動くのか?──ニンテンドーDSと『プチコン』 で遊ぼう!」(仮題)
インストラクター:小林貴樹(株式会社スマイルブーム)
ナビゲーター:吉田寛立命館大学
趣旨:われわれはゲームで遊ぶとき、ゲームがどのような仕組みで動いているのかを知らず、結果としての画面・グラフィックスだけを見ている。だがその昔、デジタルゲームが誕生した当時は、プログラムを打ち込んだり、すでにあるゲームの一部を改造したりして、ゲームは基本的に自分で作るものだった。その当時のプログラム言語であるBASICをニンテンドーDS上で動かすソフト『プチコン』(スマイルブーム社)を使って〈作る〉ことと〈遊ぶ〉ことの距離をもう一度縮めてみれば、ゲームの新たな魅力を発見できるだろう。
【企画3】11月6日(日)14:00〜17:00(予定)
シンポジウム「カジュアル化・ソーシャル化するゲーム──エンターテインメントの未来」
パネリスト:井上明人(GLOCOM研究員)/小林賢治(株式会社ディー・エヌ・エー取締役)/水口哲也キューエンタテインメント取締役CCO)
ナビゲーター:吉田寛立命館大学
趣旨:ウェブブラウザや携帯用デバイス上で「カジュアル」に遊べるゲームコンテンツの増加やSNSを介した 「ソーシャルゲーム」の流行、そして身体動作を直接に取り込む入力機器を用いたスポーツ感覚のゲームの 登場などにより、かつては「オタク文化」の一部とされたゲームは今や、年齢/性別/知識を問わず、誰でも/いつでも/どこでも遊べるものになりつつある。こうしたゲームの「カジュアル化」や「ソーシャル化」は、いかなる文化的/経済的/社会的地殻変動を引き起こし、われわれの生活にいかなる影響を与えるのか。そしてエンターテインメントの未来をどう変えるのか。開発、研究、ビジネスの最前線から三人のパネリストを招いて共に考える。

私としては(依頼した側の期待に反して)決して「ゲーム先にありき」ではなかったのですが、そして「メディア芸術=エンターテインメント=ゲーム」という奇妙な等号自体をずらしたかったのですが、やっぱり結局すべてゲームになってしまいました(笑)。とはいえ、そうした(ゲームを現代日本の文化の中に位置づける際の)「枠組み」問題は、すべての企画の底流にありますし、最初のパネルはそれを主題化したものです。
三つの趣旨文を書いたのもパネリストの編成を考えて声を掛けたのもすべて私なのですが、実質一ヶ月強ですべてやったので、たいへんでした(多くの人をつなぐ仕事は、研究や論文執筆といった孤独な作業とはまた別種の苦労がありますね)。ひとえに、ご快諾いただいたパネリストの皆様と事務局(京都芸術センター)のサポートのおかげです。ただこの種のプレスリリースは現状報告の感が強く、私の場合も企画の中身(とくにワークショップ周辺)についてはこれからもっと詰めていきます。
ご覧になって一見して分かる通り、二つのシンポジウム、ワークショップとも超豪華メンバーでお届けしますので、関西地方にお住まいの方はもちろんのこと、それ以外でもゲームに関心がある方はどうぞ奮ってお越し下さい。東京からわざわざ旅費を払ってでも見に来る価値があるはず、と自負しております(むろん私の企画力ではなく、ご協力いただく方々の「ご威光」に完全に負っているわけですが)。
言ってみれば「こんなにすごい《ゲーム》な方々が勢揃いするのは2011年度文化庁メディア芸術祭京都展だけ!」
また今日は偶然にも、私が事務局長を務める立命館大学ゲーム研究センター(RCGS)のキックオフカンファレンス(衣笠キャンパス、10月14日)のプレスリリースの日でもありました。重なるときは重なるものです。こちらも今後色々なルートで情報が回ると思いますので、よろしくお願いします。事前予約不要・入場無料ですので、ぜひお気軽に遊びに来て下さい。公式サイトは以下です(一両日中にカンファレンスの案内も掲載予定)。
http://www.rcgs.jp/
そんなわけで、この秋は完全にゲーム関連企画のキュレーター&ナビゲーターになりきりそうな予感の私ですが、せいぜい今と思ってこの数日必死に論文を書いてます(笑)。ここをご覧になっている研究者の皆さんは是非ともお仕事のバランスにお気を付け下さい。
あと、同じく11月5〜6日に予定されている日本音楽学会全国大会(東京大学駒場キャンパス)は、そんなわけで、参加できません。委員なのにスミマセン。とんだ「踏み絵」になってしまいました…。

顔本デビュー

仕事で諸々のアカウント管理の責任者になる必要があり、「センセイ、facebookのアカウント作ってくださいよ〜」と言われて、To Do Listに加えたまま、はや数ヶ月が過ぎてしまいました、台風の停滞による自宅軟禁状態にも助けられて、昨日の夕方、ようやく重い腰をあげて、facebookに登録してみました。まあ登録自体は一瞬でも、案の定チューンアップ含めて「一日がかり」の作業となりましたね。こういうのはよほど時間があるときにしかできません(今がそうであるというわけではなく)。
学歴とか職場とかのデータを入れるせいだと思うのですが、あちらさんがきわめて精度の高い「お友達候補」を出してくるので、「とりあえずリアルに知ってる人は、目の前に出てきた時点で、何も考えずに友達の申請をする」というルールの、ほとんど『メイド イン ワリオ』のミニゲーム(←今GBAの『まわる〜』にはまってる私)のように、ビュンビュン申請を出しまくりました。
その結果、夕方5時に登録し、あっというまに反応があり、深夜0時の時点でちょうど100人を超えまして、現在118人。こんなに活発(みんなチェックしてる)とは思いませんでした。こちらも少々「やり過ぎた」感がなくはないのですが、最初は誰でもこんなもんだろうと。まあそれでも、これで、リアルに知ってる人でfacebookをやってる人はあらかた網羅した(申請が返ってくれば、の話ですが)のではないかと思ってます。かなり久しぶりのコンタクトで驚かせてしまった人がいましたら、挨拶も無しに、スミマセン。
それにしても、予想した以上に(大袈裟でなく、ホントに)「みんな」がやっていて、こんな世界がこれまで(オレには)隠されていたとは…と仰天し、また感心した一日でした。
その後、いきなりジリリンと電話のような音が鳴り、ハニャ?と思ったらチャットのアラートでした。グレン・グールドマクルーハン研究者の宮澤淳一さん(青山学院大学)からでした。チャット機能があることはブラウザの画面で分かっていましたが、初日から使うことになるとは…。結局、宮澤さんとは、久しぶりの互いの近況報告に始まり、ゲーム依存症とそれを制御する技術の可能性とか、それがマクルーハンのクール/ホットの区分とどう関わるかとか、話が盛り上がり、深夜一時過ぎまで、一時間以上チャットしてしまいました。
まさに「顔本」として、知人の管理のデータベース代わりに使おうかな、携帯電話の番号やメールアドレスを知らなくても(分からなくなっても)いつでも連絡が取れるのは良いな、というのが私の見込み(というか一般的利用法?)です。
mixi、ブログ(hatena)、twitterに続いて、またもや(四度目の)「数年遅れ」での参入となりましたが、皆様には手取り足取り色々と教えていただければ嬉しいです。
よく考えたら、私、新しいコミュニケーションメディアに周囲と足並みを揃えて参入したのは、最初の電子メールとパソコン通信nifty serve)だけですね。腰が重いというか面倒臭がりというか保守的というかメディア弱者というか天の邪鬼というかメカ音痴というか、いずれにしても、いつもやることが遅くてスミマセン。
まあこのペースでいくと、後二年後くらいにはスマートフォン(その頃この単語があるだろうか?)が買えます(笑)。
[2011.9.4追記]昼頃むっくり起きてのぞいたら145人になってました。この辺りでポケモンの捕獲(笑)は打ち止めにします。申請は受け付けますので、ご遠慮なくどうぞ。それにしてもfacebookはサイトも思ったよりも(twitterに比べて)軽くて、いいですね。しばらくは常駐しちゃいそうです。