「いつかゲームの博物館を」だそうです

本日(10月7日)の朝日新聞(大阪版)夕刊の「テーブルトーク」という欄に「いつかゲームの博物館を」という見出しで私の紹介記事が載っています。関西方面の方はご笑覧いただければ幸いです。
二週間ほど前に行われた取材をもとにした記事です。
新聞記事の何が怖いかというと、自分で書くわけではない上に、出る前にこちらでチェックができないので、フタを開けてみないと(その日に紙面を開いてみないと)どういう風に書かれているのか分からないことです。これは物書きを仕事にしている人間にとっては耐え難い不安です。自分で書けるのならば無給でいくらでも書きますから、と言いたくなるくらい(笑)。だいたい一〜二時間くらい(今回は三時間超)記者と話したことが400〜600字程度にまとまるので、切り取り方によってはこちらの真意や力点と違った方向性の記事になってもおかしくない。しかも、もしもこちらが喋ったことと違うことが書かれていても、それがそのまま(私自身の弁明の余地無く)大きな社会的影響力を持ってしまうわけです(もっとも、断片的な発言を映像・声と共に流してしまうテレビよりは「危険性」が少ないでしょうが)。記者の責任は重大というわけです。
今回の記者の方は以前にも一度取材を受けたことがあり、私のことをよく理解していただいている方なので多少安心でしたが、それでも上記のような不安は拭えないので、取材の際には幾つも資料を用意(そのためにわざわざ新規作成)して、ゲーム研究の歴史/現在の(日本の)ゲーム研究の現状/その中で私がやろうとしていること、の三つをきっちりと切り分けて理解していただけるように努めました。
今日、実際に「フタを開けて」見たわけですが、とても良い(上手な)記事でしたので、結果的に杞憂でした。ひとまずホッとしています。苦労して準備して時間をかけて丁寧に説明したかいがありました。そのお陰で徹夜明けだったので写真は顔が変ですが。
写真ではなぜか私が『ドラゴンクエスト剣神』の箱を持って写っていて、完全に意味不明なのですが、これは「Wiiのような擬態インターフェイス(mimetic interface)はいつ頃ゲームの世界に登場したのか?」という話題の中で、わが研究室の秘蔵アイテムとして持ち出したもので、その流れでこんな古くて特殊でマイナーなゲームが写真の中央にドカンと鎮座ましましているわけです(笑)。
また記事の中では「デジタルゲーム」という語が用いられていますが、これは直前まで「コンピュータゲーム」になるはずでした。「デジタルゲーム」の語は社内的にあまり馴染みがないらしく、朝日新聞の過去のデータベースでも「コンピュータゲーム」の語の使用回数が圧倒的である(つまり読者に一番通りやすいと推測される)というのが第一の理由であり(この指摘はこちらにとっても勉強になりました)、またウィキペディア日本語版に項目があるのは「コンピュータゲーム」だけであり、「ビデオゲーム」も「デジタルゲーム」も項目がない、というのが第二の理由でした。取材の中で私は(ふだん通り)主として「ビデオゲーム」という語を総称として使っていたのですが、記事が出る直前に記者の方に相談されて、上記のような理由に基づき、社内の判断で「コンピュータゲーム」になるかも知れない、と告げられました。私としては、「コンピュータゲーム」は間違いではないがいかにも古くさくて含意が違ってしまうかも知れないのでできれば避けて欲しい、また「ビデオゲーム」は確かに一般的に通りが悪いかも知れないが、「デジタルゲーム」はすでに日本語で書名や学会名になっているので、せめて「デジタルゲーム」にしてもらえないか、と返しましたが、「コンピュータゲーム」の語でも積極的な誤解が生じるわけではないので、一般的に通りがよいと貴社が判断されるならそれでも良いですよ、と最終的にはお任せしました。結果的に記者の方は、あえて「デジタルゲーム」の語を使い、しかも「デジタルゲーム」研究が学問分野として認知されるのに少しでもお役に立てれば、とまで言ってくれました。社内でも粘って周囲を説得してくれたそうです。私は大いに感謝・感激しつつ、次は(英語でのスタンダードである)「ビデオゲーム」の語を日本でも流通させたいのでご協力下さい、次回までに私も何とか(本を出すなりして)「既成事実」を作っておきますので、と申し伝えました(笑)。
この用語問題はきわめてどうでもいい微細な話にも思えますが、新しく領域やディシプリンを作っていく、そして一般にも認知してもらう過程では避けて通れない問題だなとあらためて痛感し、今回の記事を象徴するエピソードとして私の記憶に残りそうです。
また見出しの「いつかゲームの博物館を」は、強い持論や結論として言ったわけではないですが、確かに私が言った台詞です。少し大きく出過ぎました。利害関係者各位(いるかどうか不明ですが)にはご迷惑をおかけします(笑)。
とはいえ、来週金曜日(14日)が立命館大学ゲーム研究センター(RCGS)のキックオフカンファレンス(USTREAMでの中継もあります)ですので、本当にこの上ないタイミングで良い記事を載せてもらって良かったな、少しはアテンションや集客の向上に役立つかな、と思っています。
そういえば前回新聞に載ったときは雑多でありながら(辛うじて)音楽学者としての紹介でしたが、今回の露出で完全にゲーム研究者にシフトしてしまった感がありますね(笑)。「感性学」というアプローチ(立場)は強調していますし、音楽研究からゲーム研究に至った経緯も記事の中で軽く触れられていますが。どういう方面からどういう反応があるか今から楽しみ(怖い)です。
それと最近思うのですが、新聞記事というのは別業界の人への名刺代わりというか、自己紹介のツールとしてはとても便利ですよね。研究者でない人に論文を渡して「読んで下さい」と言うのも酷ですから(私はよく言ってますけど)。そういう意味でも「平易な言葉」が持つ力は大事だと思います。あえて他人(記者)の言葉に自らを委ねる、という経験も(怖いですけど)たまには重要ですね。