訃報

音楽学者で放送大学教授の笠原潔さんが亡くなられたとの連絡を受けました。
本当に偶々ですが、昨晩(30日)妻と二人でWikipediaの日本の音楽学者一覧を見ていて、笠原さんの項目を見たら、「1951年-2008年」ってなっていたんですね(今もですが)。
ええっ、と思って、ネット上で色々調べたんですが、舌癌の手術後、回復してリハビリがうまくいってると聞いていたし、放送大学でも2008年度後期も講義をもたれているようだし、Wikipediaの間違いにしても悪い冗談だね、と二人で話していました。
そうしたら、今朝(31日)国立音大の助手の方から訃報が。
亡くなられたのは28日だそうです。
それを最初に知った人も、Wikipediaをいち早く更新する前にもっとやるべきことがあるだろうて。まあそれも大事なことだとは思いますが。
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笠原さんは学部は駒場で、大学院から本郷の美学芸術学研究室に進んだ方で、まったく私と同じパターン。
そのせいもあるのか、私が修士に入ったばかりの頃から、よく声をかけてくださりました。当時は、いくら研究室の先輩でも、エスタブリッシュされた研究者にこちらから話しかけるのは気後れしたので、ありがたかったです。
私が国立音大で教鞭をとるようになってからは、年長の同僚として、よくディスカッションや食事や飲酒を学生達を交えて一緒にしました。ちょうど私が日本研究にも手を出し始めた頃で、彼とはもっぱら日本音楽の話をした記憶が濃密です。彼が『黒船来航と音楽』(2001年)を出したのはその直後くらいです。
いわゆる「駄話」が好きな方で、どんな話題にも独自の視点で口を出すので、私が相手だと話が終わらなくて、周りがいつも困っていました。
西洋音楽と日本音楽をどちらも柔軟にこなす幅広い研究スタンス(最終的には音楽考古学という分野まで打ち立てました)は、おそらくは放送大学教員という職責と結びついたものだったのでしょうが、つねに私自身の研究の(数少ない)モデルの一つでした。
通常のように楽譜と演奏と聴取がセットになった音楽文化の研究者にはまったく無縁で必要のない、豊かで独特な「音楽的想像力」を持った方でした。例えば近代日本研究では、『米欧回覧実記』等を手がかりに、文字史料のみから楽器や音を想像して、音楽史的事実を再構築する。また音楽考古学(彼が考えた学問名ですが)では、どうやって使われたのか分からない楽器、ときには楽器かどうかも定かではないオブジェ(石器等)から、その音、その鳴らし方を想像する。といった具合です。彼と話したことがある人で、その「音楽的想像力」に強く感銘を受けたことが無い人はいないのではないでしょうか。
心よりご冥福をお祈りいたします。