ポニョからジジェクへ/ジジェクによるポニョ

目下、ヴァーグナー論を鋭意執筆中です。私の最初の単行本となる予定です。来春には出る(出したい)予定です。
先日、東京から両親が遊びに来た折に、上の娘と一緒に『ポニョ』を観に行きました。娘にとっては初めての映画です。
絵本はすでに買い与えており、私が何度も読んで聞かせていたので、親子共に予習はバッチリ。
ポニョの本名が「ブリュンヒルデ」という時点で、すでに大方気付いてましたが、波の上を走るシーンで、ヴァーグナーの《ヴァルキューレの行進》が引用(というより、アレがほぼそのままで久石アレンジ)されており、ビンゴ!という感じでしたが、左の席の娘に言っても、右の席の母に言っても無意味なので、仕方がないので帰宅後、嫁さん(=音大出身)に言いました。さっきネットで検索したら、皆さん気付いているようです。あと人魚姫の話も混ざってますよね。
しかしそういう他愛もない時間中に仕事(「未来の音楽学者」としての)のことを思い出しちゃうのはホントは勘弁ですね。先だっても、幼稚園のイベントでBGMとして(明らかに親世代を意識した?)懐かしのアニメ曲集がかかっており、「キャンディ・キャンディ」の主題歌をウン十年振りに聴いたのですが、そういえばどうして最初と最後にチェンバロが入っているんだろう、ということが気になって仕方なくなり、あの話はどういう背景・時代設定だったっけ、と小一時間(誇張)考えてしまいました。答えは依然不明です。誰か教えて下さい。どうしても分からなければ、娘に「子供電話相談室」に電話をかけさせて、その筋の専門家に尋ねてみます。
ところでここ数日、大昔に買っていながら途中で放擲していたジジェクのヴァーグナー論「Why is Wanger Worth Saving?」(2005年、アドルノワーグナー試論』の英訳新版のために彼が書いた序文)を読み、これは日本語に翻訳されるに値するテキストであることが判明しました。誰かやってくれないかな。私がやってもいいですが。短いし。ちなみに「Worth Saving」にジジェクは「救うに値する」と同時に「無くて済ます」という意味をかけています。すなわち、

ヴァーグナーの近代性への態度は、単純にネガティヴなものではなく、それよりずっと両義的である。彼はその所産(fruits)を堪能しようと欲しつつ、同時にその破滅的結果を避けようとしている──簡潔に言えば、ヴァーグナーはケーキを所有したいと欲しつつそれを食べたいと欲しているのだ。(p. xi)

この両義性がわれわれのヴァーグナーに対する関係自体においても反復される、というのがタイトルの意図だと思います。ああもう分かったからいいや、例のラカンのやつでしょ(私も普通はそう思いますが)と思わないでください。内容はアクロバティック度が少なく、それなりにまとも(笑)です。
周知のようにジジェクは(彼の大好きなヘーゲル同等、あるいはそれ以上に)アドルノを高く評価する。かつ彼は、クラシック・オペラをまるで映画を扱うような手つきで(大衆的イデオロギーの対象として)分析する。なので、ジジェク/による/アドルノ/による/ヴァーグナー、みたいなトリオロジーというか入れ子構造がこのテキストには内在していて面白いよなーと思ったわけです。少なくともこの英訳書の序文をジジェクに頼んだ編集者は(学術的にも営業成績的にも)慧眼ですな。
ちなみに『ポニョ』の話に戻ると、「宗介=ジークフリート」までは子供にも分かりやすい設定ですが、「フジモト(実は登場人物中で最も「正気」の人間)=ヴォータン」という設定には、『ナウシカ』の作者らしい捻りを感じました(ポニョの母親のグランマンマーレ=ヴォータン解釈も出されてるようですが、また別のややこしい話になるので、ここでは措きます)。ジジェクによれば、

ヴォータンは象徴的権威のフィギュア[言葉=神の契約]であり(…)一方、アルベリヒはいかなる法にも縛られない不可視のエイジェントとしての全能者である。(…)ヴァーグナーの決定的洞察は、もちろん、この[両者の]対立がヴォータン自身に内在するということだ。法の規則を打ち立てようとするまさにその身振りが、その崩壊の種子を含んでいるのだ。(p. ix)

ということですから、フジモトという現代的=自壊的キャラクター設定はまさにジジェク的な「脆弱なる」ヴォータン像とも言えるでしょう。「父」としての顔と「(マッドな)科学者=(偽)神」としての顔のヤヌス的葛藤。さらに、ここ四半世紀のエコロジー思想の展開=転回を下敷きにして「ナウシカから(反転したナウシカとしての)フジモトへ」というミヤザキ読解も可能かも知れない(ミヤザキ作品のうち半分も観てない私の仕事じゃないが)。
なんて書いておくと、ウン十年後に「ミヤザキ[2008]はジジェク[2005]の影響を受けて…」とか言い出すオモロメン(by SDP)が出てくると。
まあいずれにしても面白いんで、誰か早く訳してくれないかなあ。詳細な注釈付きで。えっ、それはお前の仕事だろうって? だったらそのうちやります。もうちっと勉強してから。