「ゲームは芸術か」(『京都新聞』11月21日)
私が企画した文化庁メディア芸術祭京都展のエンターテインメント部門のシンポジウム「メディア芸術の中のゲーム──これまでとこれから」(11月5日、京都国立近代美術館)について、先日ご案内した毎日新聞に続き、京都新聞でも記事が出ました。私この新聞をチェックしていないので、本日知らされました(取材を受けたのでそのうち出るかもなとは思っていましたが)。一応まとめておくと、
「メディア芸術の中のゲーム──左京でシンポ 教授ら変遷紹介」『毎日新聞』(京都版、朝刊、2011年11月12日)→コチラ
「ゲームは芸術か──作者の思想、内面の表現手法に 京でシンポ」『京都新聞』(朝刊、2011年11月21日)→コチラ
このシンポジウムはけっこうアテンションが高かったようで、企画者としては嬉しい限りです。というより、他の部門に何とか顔向けができたかなと、ホッとしています。今思うと「メディア芸術の中のゲーム」という(あえて初心者向きにキャッチーに付けた)テーマも良かったのかも知れません。最近の私はほとんど「アート」の文脈で日頃モノを考えていないので、このテーマだと責任取れないよなーと少し不安だったのですが、分かりやすいですよという事務局の後押しもあり、今回は「メディア芸術祭の中でどうしてゲームなの?」という素朴な問いをそのまま表に出しました。
(なお私が言うところの「感性学」とは、認知科学や人間工学とも共通するテーマに人文系の視点からアプローチしようとするものです。これまでの「美学」(としてのエステティックス)はこれを怠ってきた、というのが私の見方です。そういう訳で最近はほとんど芸術(アート)に関心が無くなってしまいました(単純にアートがよく分からない、ということもあります)。ただし今回最新の動向に触れてみて、メディアアートは面白いな、先が開けている業界だな、作家の活動の場もますます(いわゆるアートの外の世界・文脈に)広がっていきそうだな、と思いました。)
記事の最後にあるコメントは後日私が電話取材でお話しした内容です。もう少しオブラートに包んで言ったはずなのですが、あまりに直截的なので企業の方がご覧になったら怒られるかも知れません(笑)。ただし「面白さを直接表現していた初期の作品の分析やデザインの研究」は自分の仕事だと本気で思っていますし、実際少しずつ着手しています。多分そのなかで、私がこれまで美学(としてのエステティックス)や芸術学から学んできた概念やメソッドが活かせるはずだと信じています。
(ですが、この冬は東京芸術大学(音楽学部・研究科)での集中講義やドイツ音楽本の執筆などがあるために、しばらくは音楽学者モードに戻ります。)