近況その1(新年度の授業編)

先週は上の子の入学式とヤマハの発表会、下の子の入園式とリトミックの発表が、それぞれ平日にばらけて入っていたので、父親稼業で手一杯。上の子のために机を導入したりと家も大幅模様替え。うちの子らは三つ違いなので、またそのうちこういうハードな春がありそうです。そのお陰で(多分どこかの過程でウィルスに感染したと思われ)下の子が先ほどから急性胃腸炎[追記:ロタと判明]で嘔吐をはじめまして、休日深夜なので休日診療所にタクシーで運び込み、座薬をもらってきて打ったのだが、嘔吐が止まず、計四回吐いたので、もう布団・パジャマの替えがないという、いわゆる修羅場的な状況を呈しております。さらに先週は、授業期間外であるにもかかわらず勉学熱心に、先端研表象領域のゼミが始まり、新歓コンパもありました。これも深夜二時まで西院で若いモノに負けずに頑張りましたよ。つうか学生に混じって最後まで残ってないで、早く帰れ、という話です。週末は出張で東京にも行ってきました。
そんなこんなであっという間に一週間が過ぎ、気が付けば、年度があらたまってもう10日も過ぎているので、もういい加減たまりにたまった近況報告をせねばと。一気に書くと量が膨大になりそうなので分けて。その3か4くらいまである予定。
まず今年度の授業がいよいよ今週から始まります。
前期の講義は二つ(どちらも先端研)で、一つが「文化と芸術の経済原則」を扱うもの(火曜二限)で(1)芸術の社会経済的位置、(2)芸術経営・政策、(3)著作権制度の三つの軸に沿って、演習形式で進めていきます。もう一つが「触覚論を読む」で、これはもう本当に、生理学/心理学/認知理論/人間工学/デザイン理論/文化人類学など、できるだけ幅広い分野から、触覚に関する論考を(一回読み切りで)みんなで読んでいく予定。ベンヤミンの触覚論を論じた前川修の論文や、港千尋『考える皮膚』所収のイレズミ論などから始めるつもり。こちらは水曜三限。いちおう参考文献にはマクルーハンとかデリダとか中村雄二郎とかあげていますが、私としてはできるだけ日頃「縁遠い」ものをこの機会に読んでみたいと思っています。生理学・心理学のヒストリカル・リーダーから触覚に関係するものを拾って読んでいく、という構想もあったのですが、この手の本には日本語のものがないのでちょっと保留しています。
以上、私の先端研の授業は、学部生や学外の人の聴講も(常識的な範囲内で)歓迎いたします。科目履修生のような(かなり自由な)システムもありますし、ご関心のある方はどうぞご遠慮なくお尋ね下さい。
また文学部の宮本直美さん(音楽社会学)のゼミが、彼女のサバティカルの関係で今年度は「宮本=吉田ゼミ」として開講されます。私の担当は後期ですが、前期のガイダンスのときにご挨拶に伺います。学部生のゼミを持つことは滅多にないので、勉強させてもらうつもりで、楽しみです。
後期はというと、学内の講義はない(学部と院のゼミだけ)のですが、他大学での集中講義が二つあり、一つは京大(総合人間学部)で、一つは東京芸大音楽学部・音楽学研究科)。ちなみにどちらの大学もいつもお世話になっていますが、講義をするのは初めて。前者は「メディア・スタディーズIIB」という科目で、主に記号学会系の方々と行うリレー講義で、私はビデオゲームの担当です。私が講義するのは一日ですが、全教員が顔を揃えてのパネルディスカッションみたいなものも最終日とかにやりたいよね、という話になっています。後者は今さらオーソドックスな音楽学者としての依頼でちょっぴり嬉しかったりしたのですが(笑)中味は(色々迷ったあげく)「音楽学にとって歴史/作品/聴取とは何か?」という題にしました。私自身にとって最もクリティカルな音楽(美)学的問題群を、そのまま並べてみました。それぞれ色々な文献を使いますが、あえて古典的な文献でキーになるものを(三つの順で)言うと、ダールハウス音楽史の基礎概念』、インガルデン『音楽作品とその同一性の問題』、クック『音楽・想像・ 文化』です。最近、諸々に手を広げすぎている罰で、音楽学の最新研究文献サーベイができていないので、この三つの問題については講義が始まるまでに何とかします。シラバスココからダウンロードできます。他方、京大のものは学外からは見られないみたいです。
あと知人の哲学者ニック・ザングウィル(イギリス、ダラム大学)が(本当に突然)今月後半に来日することになり、いま諸々バタバタ調整中です。「朋あり遠方より来る」のは「また楽しからずや」なのですが、もう少し前もって言ってくれると助かります(笑)。せめて一ヶ月前くらいには。明日また続きを書きますが、立命館では4月21日(木)に二つのセッション(それぞれ音楽美学と哲学について)をやりますので、参加できそうな方は予定を空けておいていただければ嬉しいです。