立命館大学×京都シネマ《ファッションが教えてくれること》明日です
立命館大学×京都シネマの共同企画「挑発する女たち──アートの臨界」の第三回《ファッションが教えてくれること》が明日土曜日(3月5日)に迫りました。
立命館大学人間科学研究所のサイトはココ。チラシはココ。
詳細は以下です。
公開講座 シネマで学ぶ「人間と社会の現在」
シリーズ7「挑発する女たち──アートの臨界」
◇2011年3月5日(土)
『ファッションが教えてくれること』(R・J・カトラー監督、2009年、90分)
対談:平芳 裕子氏(ファッション文化論、表象文化論・神戸大学大学院人間発達環境学研究科講師)× 吉田 寛(美学=感性学、表象文化論・先端総合学術研究科准教授)
・作品サイト http://www.fashion-movie.jp/
*13:00開場/13:30開演(16:15終了予定、終了後16:45までロビーにて茶話会)
◆会場:立命館朱雀キャンパス 5F 大講義室(ホール)
参加費:800円(京都シネマ会員:500円)
アメリカ版『ヴォーグ』の鬼編集長アナ・ウィンターを撮ったドキュメンタリー作品です。何かごもっともな邦題が付いていますが、原題は"September Issue"、つまりファッション界の新年にあたる九月号の誌面(一年間の『ヴォーグ』で一番分厚い)をどう作っていくのか、という部分に密着したもので、もちろん issue は雑誌の「号」と「問題、ごたごた」という意味をかけています。
(そういえば昔、多摩美の人たちが『Issues』という雑誌を作っており、私も原稿書いたりしました。いい名前です。それはさておき。)
「ファッション文化論」がご専門の平芳さんは私の駒場時代の学友です。といっても(確か)私と入れ違いに芸大から表象の院に来られたと記憶しており、同級生(あるいは先輩後輩)だったというよりは、何かと一緒になる機会が多かった、という感じです(この辺の記憶全般が最近急速に風化)。
今回の対談の準備として幾つか彼女の著作を読ませていただきましたが、これまでのファッション史を「相対化」すべく、「19世紀」の「アメリカ」の「雑誌」を主な資料にして研究をされている方です(括弧で括ったのは、彼女によれば、どれも既存のファッション研究史の中で抑圧されてきた要素だから)。ファッション研究において実は「19世紀アメリカ」が抑圧・無視されてきた、という彼女の指摘は私のような素人にとっても十分その意義が認識できるもので、ヴェブレンの『有閑階級の理論』がアメリカのファッション文化を前提に書かれたという事実を思い出してごらん、という論の運びは見事です。ちなみにその論文はコレ。
今回の対談では、まずはこの映画をきっちり理解するためにファッション界や『ヴォーグ』という雑誌についての基本的知識・情報を確認し(私もド素人ですから)、そこからファッション(モード)とは何か、消費とは何か、そして最終的にはそれらをステップにして「アメリカ(的なもの)」とは何か、というところまで到達できればいいな、と考えています。
ちなみに私は(無知で恥ずかしい)『ヴォーグ』って、パリのモードを発信するためにパリで生まれた雑誌だとばかり思い込んでいたんですね。ですから今回、ニューヨークで創刊された雑誌と知って少々びっくり。でも創刊当初(20世紀初め)から海外(ヨーロッパ)進出をもくろんでいて、その辺りにはアメリカの「後進国性」が露骨に出ているのですが、これが単に「フランスのモードの受容」に終始すると思いきや、シャネルの「コピー品」(アメリカ産の複製品、要するにパチもん)を積極的に容認したりとなかなかのクセモノ。ある意味で(さっき適当に思い付いた言葉でいえば)「アメリカ的ジレンマ」、つまり「旧大陸的伝統文化へのコンプレックス」と「新大陸的資本主義への邁進」の間の葛藤というか、後者の原理で前者を換骨奪胎しちゃうことの後ろめたさというか、そういう大きなフレームでの大陸間の「文化闘争」まで『ヴォーグ』からは読み取れる気がしています。
編集長のアナ・ウィンター(イギリス出身)をはじめアメリカ版『ヴォーグ』の主要メンバーの多くが(生粋の)「アメリカ人」ではないわけですが、その辺りも(以上の背景に照らせばいっそう)興味深いですね。また雑誌メディアとして考えても面白くて(というか「異常」で)そもそも19もの国と地域で毎月これだけ刷られている雑誌が他にありますかね?
とまあ、そうしたことをネタに、専門家の平芳さんに色々とお伺いできればと思っています。
前回同様、招待券をご希望の方は吉田までメール等でご遠慮なくお知らせ下さい。あと今回は(私担当の三回分が終わるということで)打ち上げもやりますよ。打ち上げは朱雀キャンパス周辺で18:00頃くらいからやります。関係者には連絡済みですが、ここを見ている方の中にご希望の方がおられましたら是非。会場の都合上、事前にご連絡いただく方がありがたいですが、当日(茶話会の際などに)お申し出いただいても数人なら何とか対応できると思います。
しかしそれにしても、司会とか対談の聞き役とかばかりこうも続くと、自分は「研究者」というよりも「タレント」ではないかと思えてきます。しかもタレントといいながらその実 without talent なところまでホンモノそっくり(笑)。すみません。これが終わったらしばらくおとなしくして、研究者に復帰します(予定)のでご容赦下さい。