ドバッと一気に近況報告

2011年もいつの間にかとうに一月以上が過ぎ去りましたが、当方(ようやく重い腰を上げて)twitterなるものを始めて一ヶ月が経過したところで、ご多分に漏れず、ブログの更新が等閑になるわけです。いかんですね。というわけで、ドバッと一気に近況報告など。
今年の初仕事となった立命館大学主催の国際カンファレンス「Democracy and Globalization」。三人の若手研究者(←これ私は使わない言葉ですよ)のペーパーに対するコメンテーターとして参加しました。私のペーパーは「Whose Democracy?: The Spectre of the Nation in the Globalized Internet Age」という題で、クラウドコンピューティング時代のIT企業が「法」(各国内法および国際法)といかに闘い、それをいかに利用していくのか、ということを(そのときタイムリーだった)ウィキリークスの事例などを交えて論じました。〈ネイションという亡霊〉は、もちろんマルクスをもじっているのですが、ここでは象徴的にはIT文化におけるドメイン名(国名)のことで、アサンジェ氏のいささか「滑稽な」逃走劇を説明するための一つのフレームとして(アンダーソンのナショナリズム論を援用しつつ)提起してみました。最近の日本では「jp」のドメインをブランドにして、欧米企業から顧客を奪い、それを一種の地域活性化にまで結びつけようというベンチャー企業もあるようで(ペーパーの一つがそれを主題としていた)そういう意味でも、ITの時代において〈ネイション〉は法(権利・規制)と経済(税制)の枠組みとしてしっかり生きている、という話です(われわれの年金記録が海外のサーバー上にあったためにデータを回収できなかった、という事実を今回初めて知りましたが、その業界では有名な話みたいですね)。ただし文化的アイデンティティやコミュニケーションの次元では〈ネイション〉はすっかり死んだことになっていて「グローバル」が自明らしいので(そうわれわれがすっかり洗脳されているので)その意味でも〈亡霊〉という語がふさわしかろうと。このペーパー、活字になるんでしょうかね。私も分かってません(笑)。活字にするなら少し手直ししたいので事前に言って下さい(>関係各位)。最近、自分の仕事の「後始末」にまで気と時間が回らず、「やりっ放し」になりがちなので、チト反省気味です。
それと、しばらく英語を喋っていない状態で、不運にも朝一番のセッションだったため、言いたいことがすんなりと英語で言えずに、とくにディスカッションはメタメタ。学生の前でちょっと恥をかいてしまったなあ。私の場合、半日くらい喋らないと調子が出てこないので(それでも普通の人のレベルに比べたら全然ダメですが)今回は夜の懇親会くらいでようやく勘が戻りましたが、時すでに遅し(笑)。これを反面教師に、学生の皆さんは、英語(に限らず外国語)での発表&ディスカッションの際には(私のように直前までペーパー書きで手こずっていずに)前日くらいから耳と喋りを馴らすようにして下さい。前の日の呑み会(レセプション等)に参加するのがベスト(?)。
さて、立命館京都シネマが共同開催しているレクチャー(対談)付きの映画上映会、公開講座シネマで学ぶ「人間と社会の現在」シリーズ7「挑発する女たち──アートの臨界」は、無事に第一回(マリア・カラス)を終えて(当日の模様はココに掲載)、今週末の土曜日(2月19日)が第二回(草間彌生)です。対談のお相手は前・国立国際美術館長で現・京都市立芸術大学学長の建畠晢さんです。建畠さんは1993年のヴェネツィアビエンナーレの時にコミッショナーとして日本館に草間さんをフィーチャーした方で、「草間ルネサンス」の張本人だと私は睨んでおりまして、その辺りのお話しも伺う予定です。第三回は3月5日(土)で、『ヴォーグ』編集長アナ・ウィンターのドキュメンタリー映画『September Issue(邦題:ファッションが教えてくれること)』を観ます。対談のお相手は、神戸大学の平芳裕子さんです。これは準備等はこれから。しかし数週間おきに三回連続で、しかもまったく別のジャンルの映画をめぐって対談するのは(予想はしていましたが)とてもハードで、最近頭ではいつもこの企画のことばかり考えています。すごい勉強になりますし、この歳になるとこういう機会でもないと自分の芸風と持ちネタが広がりませんから、ありがたいことですが。前回は義父が観に来てくれ、毎回地元(二条、朱雀近辺)の人たちもたくさん来てくれます(というか、私もチラシとチケットを配ってるので)。学会や研究者の集まりとは違う、市民講座的な催し、というのを私はこれまであまり経験してきませんでしたが、意外に楽しいものですね。もちろん同時に難しさもありますが。その点も今回は良い意味でプレッシャーになっています。
諸学会の予定も今年の前半くらいまではだいたい見えてきました。五月には日本記号学会の大会(二松学舎大学)でゲーム関係のシンポジウムをするそうで、それに呼ばれています。ご想像の通り、前川さん、河田さんあたりが仕掛け人です。また六月には日本ドイツ学会(新潟大学)がドイツの各時代の文化的アイデンティティをテーマにシンポジウムをするそうで、私も参加します。これは松本さんが仕掛け人。私はどうやら十八世紀(以前?)のことを喋る役回りらしいのですが、打ち合わせがまだなので詳細不明。どちらも私が所属していない学会からの招聘で(特に前者は)入会せずに申し訳ありません。これ以上新たな学会に入るのは生命の危険を感じる、今ちょっとそういう状態ですので。
来年度の授業もほぼ概要が決まりました。立命館の先端研では、触覚論(前期)と文化と芸術のエコノミー(前期)。また後期は臨時で(ピンチヒッターとして)立命館に来て初めてとなる、学部のゼミを持ちます。依頼者からは(「大変です」とは言えない手前でしょうが)「もう、学生の人生相談でいいですからー」とか言われましたが(笑)人生相談はかえって責任が持てませんので(むしろこちらが人生相談をしたいくらいですから)「ピンチヒッター」らしく基本に忠実に一打席一打席を大事にやります(何のこっちゃ)。待てよ、ってことは卒論も私が見るのでしょうか? 今や伝説(あるいは自虐ネタ)になった感もある「注の無い卒論」(正確には二個ある)を書いた私で、本当にいいのでしょうか。
あと来年度の他大学への出講としては、上野の某国立藝術大学と、東鴨川の某国立大学に行きます(どちらも後期・集中)。前者は伝統的音楽学を、後者はゲーム論をやってほしい、とのことでして、私の守備範囲からみれば「最右翼」と「最左翼」からの依頼が同時に来てしまった感じですね(笑)。どちらも後期・集中(12月、1月)なのでまだ一年先だと思っていますが、どうせすぐ来ちゃうんだろうな。ヤダヤダ。
というわけで、今年はどうも「話す」機会ばかり多くなりそうで、「書く」方がおろそかになるのではないかと多少心配ですが、先日ネットを見ていてたまたま、次著がすでに「刊行予告」されているのを発見しちゃいましたので、ウカウカできません。全三巻のシリーズで出す予定で、実は第一巻はほぼ書けているのですが、諸々の戦略上、一つの巻が書き上がったらすぐに刊行、というわけにいかない(らしい)ので、少し「ねかせて」います。今年私が「音信不通」になったら、これをやってると思っていただいて、たいてい間違いないかと(だからといって、どうこうなるわけじゃないですが)。
また昨秋のゲーム・カンファレンスでの発表を元にした論文が、某国立大学の紀要に載る予定です。というか書く予定です。というかそろそろ書き終わってなくてはならない時期です。
あと今年は学内で諸々「ぶち上げ」なくてはならない気配で、それに伴って多少ごっつい書類ワークがあると予想されますが、こういうのを「書く」仕事にカウントするようになったら人間(研究者)終わりだと思いつつ、私もいつか終わるだろうなと思ってます(笑)。
このブログも月に最低二回くらいは(しかも近況報告ではないネタで)更新したいなと思ってます。