名誉ある不名誉?

とある音楽評論家のブログを読んでたら「吉田秀和柴田南雄から渡辺裕、吉田寛まで、東大出身の音楽関係者の身の処し方への不信感」について書かれてあり、自分の名前に行き着いたところで、ここでオレかよと驚いた。自分では最近すっかり音楽プロパーではなくなっているつもりなのだが、そういう視点というか解釈がある(ありうる)ことは現実として自覚しなくちゃならんのかなと、少々考えさせられる。しかも「身の処し方」とは。
あと、私のヴァーグナー本について「根本的な欠陥がある」と書かれており、是非それが何かを教えてもらって今後の仕事にいかしたい、つなげたいと思うが、「根本的な欠陥」と言われるではどうにも応じようがないので少々歯痒い。どんな本でもそうだと思うが、「根本的な欠陥」なるものは著者でも(著者こそが)分かってる(少なくともそのつもりな)わけで、「もう一声」欲しいところ。
「大論文の後半だけちょんぎって出版」したことが「根本的な欠陥」なら、私も同感(笑)。残りもこれから出しますのでご容赦、という問題では(きっと)なく、本当は一冊として読めるかたちが理想的だったわけですが、(私個人の努力・力量不足も含め)諸事情によってかなわなかったのです。
[2010.10.25追記]このエントリーを踏まえて、さっそく新たなコメントがなされており、それを読んだら良く分かりました。また、初めは「知り合いの…」と書いていて、後でそれを消して(現行のように)修正したのは、こうした内容なら「知り合い」と書くことで(いっそう)ご迷惑だろうと思ったからか、あるいは「知り合い」か否かはこの場合あまり関係ないなと後で思ったからでしょう、多分。良く覚えてませんが。最初にそう書いていたこと自体、指摘されて初めて思い出しました。私、一度アップしたエントリーをちょこちょこいじる上に、過去のログとかを一切記録・記憶しないので。ただし、そのせいで引用や議論をする側がハシゴを外されちゃうことがあるとマズイですね。