テレビゲーム・フォーラム(神戸大学、11月13日)

以前にもご案内しましたテレビゲーム・フォーラム@神戸大学。13日ということで、いよいよ来週末となりました。各自の発表題名・要旨が出揃いまして、視聴覚文化研究会のサイトに掲載されています(主催の神戸大学大学院教育改革支援プログラムのサイトはココ)。

テレビゲームの感性的論理──ニューメディアと文化
(主催:神戸大学大学院教育改革支援プログラム/共催:神戸大学芸術学研究会、視聴覚文化研究会)
日時:2010年11月13日(土)13:00〜(聴講無料・来聴自由)
場所:神戸大学文学部・A棟一階学生ホール
発表者:
太田純貴(京都大学)「ヴィデオアートとLSD
吉田寛立命館大学)「ビデオゲームにとってリアルとは何か?──〈第三の次元〉の表現をめぐる冒険」
河田学(京都精華大学)「(テレビ)ゲームの存在論
主旨:
1980年代より登場したテレビゲームは、既存の学術領域に収まらない程現代のメディアとして私たちの日常に浸透している。そのような現状において、本フォーラムの狙いは、テレビゲームにおける身体的経験、あるいはそこから生み出される想像力が如何なるものなのかを問うことにある。

そのうち私の報告は次のようなものです。

ビデオゲームにとってリアルとは何か?──〈第三の次元〉の表現をめぐる冒険」
 ビデオゲームは映画やアニメとは違う表現媒体=メディアであるにもかかわらず、そのジャンルに固有のものはこれまであまり反省されてこなかった。そのためビデオゲーム作品の評価やジャンルの進歩をめぐる言説は、つねに基準・立脚点が錯綜し、混乱したものとなってきた。そうした状況に一石を投じるべく、本発表では、ビデオゲームの歴史(主にポリゴン以前の時代)における〈第三の次元〉の表現方法に光を当てつつ、ビデオゲームにとっての「リアル」とは何かをあらためて問うことで、ビデオゲームに固有のもの、その「ジャンルの掟」を理解する第一歩としたい。

私がやろうとしているのは、要するにジャンル論です。〈ビデオゲームに固有のもの〉、あるいは〈特殊ビデオゲーム的なもの〉とは何かを問う、ジャンル論。ただし〈ビデオゲーム〉の定義を示す、といった外堀を埋めていくかたちは(おそらく私以外の人でも)無理なので、「一点突破」型で行こうかと。そこで選んだのが「リアル」「リアリティ」という基準。ただし、これも正面からぶつかるのは難しそうなので、「次元」という要素から切り込もうと。そこに附随するのは空間、視点、距離、運動といった感性的問題群です。非感性的問題群(プログラムとか、作者やメーカーの意図とか)は(なるべく)視野に入れない、という基本姿勢でいきます。
ゴンブリッチが『芸術と幻影(Art and Illusion)』でやったような作業を、ビデオゲームでも(誰かがそろそろ)やるべきでしょう、という問題意識から出発しています。題して『ゲームと幻影(Game and Illusion)』。「感性学」(としての aesthetics)を鍛え直す、という裏のミッション(私自身の長期的問題関心)もあります。
映画やアニメにおける「リアリティ」とビデオゲームにおけるそれは明らかに種類や質が異なるはず、という誰もが経験的に知っている真実を味方に付けます。ただし、それが本当に異なるのか、本当だとしてもどう異なるのか、という問いにきちんと答えることは困難を極めると予想されます(まさに今調べているのですが、virtual reality に関する文献・議論は認知科学、通信・情報技術理論、人工知能理論などの分野で山ほどあり、門外漢がうかつに手を出せない状況です)。むしろ私の役割は問題提起あるいは土俵の設定に留めて、後は他の発表者や会場の皆さんの力をお借りして、一緒に考えたいと思っています。で、もし当日どうにも上手くいなかったら、ビデオゲームに固有なものなど存在しない、それが真実、という結論に鞍替えし、ジャンル論や感性学的アプローチは潔く諦めて、爾後は映像学なりアニメーション学なりの軍門に下ります(ウソ)。
皆さん、是非、歴史的破綻を見に来て下さい(笑)。