美学会全国大会(関西学院大学)

先週末、関西学院大学美学会全国大会が開催されました。
まずその筋に対するお詫びというか「後始末」なのですが、昨日早速、西部会に移籍する手続きをしまして、受理されましたので、ご報告まで。
東部会に籍を残しておけば、当面、雑用が降ってこないだろうという姑息な判断があって京都に来てからもあえて放置しておいたのですが、そんな私は二重の意味で間違えておりました。
第一に、東部会所属でも(知らずにか、知っててあえてか、分かりませんが)委員選挙で私に投票される熱烈な(アンチ)ファンがおられるということ(笑)。今回の委員選挙で私が(わずか数票ながら)次点だったということで、しかも正確には「同得票数の場合には年功序列で上から当選とする」という、日本に生まれて本当に良かったと思わせる素晴らしい規定によって辛うじて、当選を免れたということで、ご心配をおかけしました。今回は投票率が異常に低かったゆえに生じた珍事とはいえ、大顰蹙だったと思います。総会には出ませんでしたが、後で聞いて私もたいへん驚きました。これで向こう三年は選挙がないということで、安心して移籍しましたので(なおも目先のことしか考えていないという)次回は好きにして下さい(笑)。
第二に、いいかげん逃げてばかりいないで、ちゃんと仕事(雑用も)をしろと、然るべき責任を果たせよと、今回(これまでもですが)昔のボスや諸先輩方にそう言われましたが、これはまあ反論の余地無しです。西部会に移って関係も「正常化」したので、今後やることはやります。自分の「身の丈」とか「年相応」を考えるのって苦手ですが、まあ皆さんがおっしゃりたいことは分からなくもない。単純に言えば、うちの大学で全国大会を引き受けろ、という圧力ですよね(笑)。それについては(一ヒラ会員の身分では)何とも言えませんが。
さて本題。
今回の全国大会では私は発表をしなかったので、代わりにという訳ではないですが、自分に関係のあるセッション(音楽系、感覚系)に出て、コメントする、ディスカッションに参加する、という役回りに徹しました。というかそれ程度のことデフォルトとしていつもやれよ、という感じですが、自分の発表が入ってるとなかなか余裕が無くてできないのですよ、少なくとも私は。今回は嗅覚論がありましたが、五感に関する研究者・研究発表が美学会でもここ数年で着実に増えてきたので、そのうち大会でのパネルや研究会でも作れるかなと思ったり。
あと今回数人から質問されたので、ここで予告しておきますが、来年か再来年あたり、美学会ビデオゲームの発表(もしくはパネル)をやりますよ。私としてはそのための下積みというか「外堀埋め」を現在着々と進行中のつもり。
また初日の晩には、現代美術・美学研究者で私が常日頃から公私ともにお世話になっている竹中悠美さんのご自宅が関学のすぐそば、ということで、ご招待いただきまして、立命館(先端研)の学生と東大時代の私の同僚・後輩、その他会場でオルグした数名が「何となく」集まって総勢20人くらいでパーティ。本当によい機会・場所をご提供いただきました。感謝。「何となく」私が冒頭で挨拶をさせられることになり、「一教員・一先輩として、広い意味での〈出会い〉を演出しなくてはと考えておりますが、決して狭い意味での〈出会い〉を排除する場ではありません」と述べましたが、その趣旨がどの程度実ったかは不明です(笑)。いずれにせよ若い人はもっと交わらなくてはダメですよ。とくに研究者としては、別のグループの輪にもどんどん積極的かつ無遠慮に入っていけるような人でなければ、大成しません。これは私の周囲を見ても経験的に真実。というか研究そのものがそういう(積極的かつ無遠慮な)営みなわけですから当然。
幸い初日にそうした場を持てたことで、今回あらためて感じましたが、一般に学会の懇親会は費用が高すぎますよね。あれではお金のない学生は参加できません、というか正直私なども辛いですよ。来春上の子が小学校にあがるわけですが、この懇親会にさえ出なければクラリーノ製ではなく総革製のランドセルを買ってあげられるのに、などと考えてしまった次第。ちょうどその差額くらいなんですわ。もっともクラリーノ製でも六年間十分にもつと思われるので、あとは親の自己満足の世界かなとは思うのですが。また色の多様化も著しいですが、茶色地にピンクのステッチのものをみて「絶対これがかわいー」とか言ってるお母さま方がいらっしゃいますが、子供の色彩感覚は大人とは違うので、そんなものを自分から選ぶわけないのですよ。センスの問題ではなく視覚認知の問題です。味覚において苦みの感覚(味蕾)が発達するのは最後といいますよね。あれと同じことです。また、いざ入学式を迎えて他人のランドセルの色を見て、自分のが途端に嫌になってランドセルを持ちたがらなくなる子も最近はけっこういるとのこと。そんなに細分化されたマイノリティ意識を生み出すくらいなら、かつてのように、オトコ=黒、オンナ=赤というシンプルな暴力のかたちの方がまだ平和です。ちなみにランドセルはオランダ語とのことですが、いまwikiamazonで確認した限り、「ランドセルの文化史」的な本は一冊もないみたいですから、そこそこ売れると思うし比較的簡単に書けると思いますので、何とか新書あたりで、どなたか暇な人はどうぞ。オレは買いますよ。というか、その前に教育学者とかがやれよな。
えーと何の話でしたか、そう、薄給子持ちの身には懇親会も辛いという話でしたね。むろん主催者側もできるだけ安くしたいと考えているし、事前に人数が読み切れない(そういえば私も当日申し込みでした、サイテーですね)ので金額設定が難しいのは分かりますが、もう少し(学会全体の責任として)何とかできないものかと。今回がどうこうではなくて一般論としてですよ。懇親会なんて単に「人」と「場所」(椅子、もっといえば床面積)があればいいんですよ。食べ物、飲み物とかも予め「持ち寄り」と決めればそれでよし。それで文句をたれる「偉いセンセー」がいるとしたら、そういう人は学会的にというか学問的に無価値なので無視。というのは極端にせよ、人と話をしたい&ネットワーキングしたいけどお金が無くて(時間はあるのに)懇親会に参加できない人(実際今回もかなりの数いた模様)を救う方法は本気で考えるべきです。これは学会および主催者側が研究発表やシンポジウムのプログラム自体と同じくらい真剣に取り組むべきテーマであるはずです。学会のリソースをフル活用する上でも、優秀な若者とのネットワークを持てないのは害悪ですよ。皆さん大体、仕事を頼んだり頼まれたりするのも懇親会の場でしょ。効率いいし。以後、願わくば大学院生は全員格安で参加の方向で。

本日の結論:「懇親会問題は、現在の学会システム&アカデミズムを象徴する格差問題である。」

教員はどうせ研究費から出すので、その場では高いなとちょっと思っても、自分の財布が傷まないものですからすぐに忘れてしまうのですよ。私もご多分に漏れずそのクチですが、せめて記憶が新しいうちにここに書き留めて、話題の種を撒いておこうと思った次第。
どうも何を書いても批判っぽくというか愚痴っぽくなるようで、疲れてるのかもしれません、このくらいで切り上げます(笑)。