同窓会に行ってきたでござるの巻

高校卒業からほぼ二十年ぶりになる卒業時クラスの同窓会があり、たまたま東京で仕事があったこともあり、顔を出してきた。
場所はもちろん、われらがホームグラウンドの池袋。クラスのおよそ半分、二十数人が集まった。ちなみにうちは男子校。中には互いにちょこちょこ会ってる奴らもいたようだが、こちらはほとんどの奴と完全に卒業以来。いやオレ、ホント、来るもの拒まず去るもの追わずで、過去のつながりを大事にしないので、こういうときに反省しきり。未来志向とかいうといっちょまえだが、全然そんなのでなく、単に怠惰なだけ。連絡が来て予定が合えば会うけど、自分からはまず連絡しない、自発的に企画もしない。ホント、申し訳ない。幹事や連絡を回してくれた諸君には全面的に感謝。
二十年ぶりにお会いして、ああお変わりないなあと思った恩師(担任で英語教師)が、開会の自己紹介でいきなり「吉田君のブログを見てるけど、これがあまり更新されない」とのたまわって、なんだよもう、最近はこれだからなあ、と脱力。こういうときインターネットやブロクはじつに興醒めなツールである。
それにしても二十年ぶりに一同に会しても、皆いたってノーマル。自己紹介もとくに必要なし。「お前○○かよ! いやー全然変わってないなー(肩をバンバン)」的な再会は無かったのかと、後で嫁さんから聞かれたのだが、全くなし(つーか、そんなステレオタイプ的な再会劇が本当にあるのか?)。立ち振る舞いとか話し方とかキャラとか、みんな全然変わってない。むしろお前らもっと変われよ、というのが最初の感想(あっ、それはオレか)。齢十八にして人間はできあがることを全員が痛感。
われわれは年齢的にいえば、大卒で社会人になって十五年目くらいの年代。聞けば、ほとんどの奴らが、すでに二つ、三つ目の会社や職種とか。渡り歩いた銀行や証券が(時代のせいで)悉く破綻して、いま商社。ビール会社から米国公認会計士を経て、いま都市銀の国際部門。フリーターやってホテルマンになって弁護士資格取って、いまマチベン。とか大抵そんな感じ。そう言えば、われわれは「これからは転職の時代」と言われて社会に出た最初期の世代なのだった。大卒で入ったところにそのままいる奴は、官庁や役所やNHKなどごく少数。大学教員などは(所属が変わっても転職とは言えないから)どちらかと言えばこちら側か。ことさら変化無く、学生(高校)時代からほとんど同じノリで生きている自分がちょっぴり恥ずかしかったす。「吉田は変わんねーな」とさかんに言われても「いや、実際やってることも変わらないから」と返答する他なし。帰宅後、オレ「いやー、みんなさ、もう三つ目の会社とかなんだよね」、嫁さん「こちらは京都に来てからまだ三年目よね」。実にそんなところ。
ちなみにうちは文系クラスだったから大学で理系に進学した奴はいない。同窓生に医者やエンジニアや建築家が一人もいないのは、考えてみれば偏っているな。
その中に大学教員が四人。上から(?)東大、東北大、法政、そして立命館。これは一クラスとしては多い方かもな。東大の奴(ブンガク屋)はこの歳で駒場の准教授だからアカデミズム方面の出世頭だね。東北大の奴は経済で岩井克人の弟子。法政の奴も経済でこいつは日銀から転職したエコノミスト。そして最後、立命館の奴だけが何をやってるのかよく分からない給料ドロボー。で、この同窓会のために作られたMLを傍観してたら、会場をどういう雰囲気のところにするかで一悶着あり、「大学の先生とか社会的地位のある方もいらっしゃるし」ということで結局ホテルと居酒屋の中間を取ったような場所(?)で開催。ふざけるなと。蓋しそこでの(企業の人間が使う場合の)「社会的地位のある方」というのは、インターネットで検索すれば名前がヒットするような類の、高級官僚や政治家、弁護士、医者、大学教授などのことを指しているのだろうが、そして事実そういう奴らも多いのだが、少なくとも「大学の先生」はホテルではなくむしろ居酒屋の側に所属しています。何とか商事とか、何とか生命とか、何とかマンサックスの人間に、「センセー、すごいっすねー」とか言われると完全にバカにされてるようにしか思えないのだが(というか、実際にバカにされているのだが)。いいからお前らのカードを貸せと。
というわけでここを見ている諸君は認識を改めてください。というか、バカにしないでください。というか、次回は奢ってください。
また、行く前から薄々、どうしてこのタイミングで(初めての)同窓会?という疑問があって、当日何となく幹事周辺のハラを探ってみたら、「われわれもそろそろ(日頃直に持っているものとは別の)ネットワークが重要になってくる世代」とのこと。なるほど、確かにオレも、ここに集まっているような業界・職種・役職の人間と、あらためて懇意になることはあまりないよな。社会人になって十五年も経つと、きっと趣味とか階級の問題もあって、知らず知らずのうちに、かつ不可避的に(仕事をこえて)付き合う人間も限定されてくるわけね。それに、仕事上で知り合った(だけの)人間には、いきなり本音の(ヤバい)相談しない(できない)しね。保険や金融、法曹(殊にマチベン)は日常的に必要(でかつ大体がヤバい話)だからありがたい。他方、来年、企業からのヒモ付きで(専門職)大学院に行く予定の奴がいて、「社会人院生ってぶっちゃけ教員から見てどうなの?」と質問され、私見と実情を述べておいたが、そういう何でもない情報も巷では貴重なのだ。持ちつ持たれつ、ということ。こっちも保険なら誰彼、法曹なら誰彼、商社なら誰彼、報道なら誰彼などと即座に(しかも誠に血肉を伴ったプロファイリングとして)インプットされたし。知財関係で本を書いてる弁護士の奴とか、ひょっとしてそのうち本当にお世話になるかも。なるほど、同窓会組織が強いと、こういう利点があるのか、とちょっと新鮮な経験。
一点、完全に意外だったのは、思ったよりも妻子持ちが多かったこと。こいつら絶対に結婚できないだろと思ってた奴らばかりなのに、八割くらいが既婚で、そのうち八割くらいが子持ち。子供も二人、三人いる奴がざら。一方で、私が日頃付き合っている同年代の人間(友人や仕事仲間)は既婚が五割くらいで、そのうち子持ちが五割くらいの印象なので、同窓会でもそんなものだろうと何となく思い込んでいた。ああオレは、いま現在周囲にいる人間よりも、どちらかと言えばこいつらと同じ人種なんだな、こいつらの一部なんだなと思うと、不思議な反面、日頃の違和感が少し解消した気分に(結婚した年、第一子が生まれた年、第二子が生まれた年のすべてがオレと同じ奴までいて驚いた)。
最近あまりブログを書く気分にならないのだが(時間はそこそこあるのに)恩師から促されたこともあり、久しぶりに更新。今日はこれから学生の企画で祇園に行って初めてお座敷遊びを体験。その前に行くロシア料理店は、嫁さんが長年行きたがっている店らしく(初耳)、こちらがあっさりと行くことになってチト視線が冷たい。