けふここのえに はづかしきかな

東国から上京して苦節丸二年(内実不詳)、私もついに「京(けふ)の人」になれました!
と申しますのも、毎日新聞京都版に「京の人 今日の人」という欄があるのですが、本日3月17日(水)朝刊に、

京の人今日の人:立命館大大学院先端総合学術研究科准教授・吉田寛さん/京都
◇多彩な領域で表象考察 TVゲーム、バリアフリー 思考は足早に
立命館大大学院先端総合学術研究科(表象領域)准教授・吉田寛さん(36)

という記事が載った次第。朝遅く起きたら、嫁さんが近所のコンビニをはしごして六部も買ってきてました。
紙面は京都ローカルなのですが、その他の地域の方も毎日新聞社のウェブサイトで見れます(ウェブでは写真無しですが)。
ご覧の通り、一読して(人としても研究者としても)恥ずかしい紹介記事なのですが、実はこれを書いた記者は私の中学校時代の同級生。
その同級生は中学卒業と同時にドイツに行っちゃって、私の記憶の中では彼はずっとドイツにいた(いる)まま。
で、先日いきなり大学の広報課から取材依頼の電話がかかってきて「その記者の方、先生の中学時代の同級生と言っておられますが…」と明らかに不審げ。だがこちらは名前を聞いてすぐピンときた。彼と同姓の知人・友人がたまたまその後ずっと私にはおらず、彼の(名前の)記憶が「上書き」されずに残っていたためもある(これが佐藤さんや木村さんだったらおそらくアウトだった)。まあ、もちろん知らない人でも取材は受けるわけですが。
数日後、取材をかねて、二十年以上ぶりに再開。聞いたら十年くらい前に日本に帰ってきて、今京都支局で仕事をしているとのこと。
いやー、人のご縁は面白いというか、京都という場所が不思議というか。
京都は狭いから「えっ、オマエいま京都にいるの? オレもオレも。偶然だなー。じゃあ会おう」ということにすぐになる。家も住所を聞けばだいたいどの界隈か目に浮かぶし、たいてい自転車で行けるし。遠くまで通勤してる人もあまりいないので、昼も夜も市内にいるから(うちのキャンパスは少し都心部から離れてるが)、仕事の合間でも仕事の後でもちょっと時間を見つけて会える。
これが東京や大阪だったら、エリアも広いし人も多いので、あまり「偶然で嬉しい」感がないというか、「ふーん、そうなんだ。そのうち会おうね」みたいな口約束で終わってしまう(ことが多い気がする)。
新聞でも「東京の人」とか「大阪の人」って欄はなかなか成立しないのではないか。「京の人」は、ほどよく少なく、かつほどよく多くて、いいんだろうな。
そう考えると、規模の小さな地方都市で、しかしながらある程度、人の流動性と情報の密度が高い、京都という街ならではの再会だった気がする。こういうものは大事にしたい。
それにしても、同級生視点が入っているからいっそう記事は赤面もの。
「中学時代はやんちゃなサッカー少年」とか、取材で喋ったことや今の仕事・研究に関係ないじゃん! オイ! 「演劇に目覚める」とか、自分でも忘れてたよ、そんな過去。
あと「歩くのが速い」っつーのも、自分で恥ずかしい、きらいなクセ。気をつけてるつもりなのだが、初対面の人と歩いてるときとか緊張すると、出ちゃうんだろうなぁ。「足早」って単に「歩くのが速い」(=同行者のことを考えない)だけかい、いやいやそうじゃないんだよねぇ、ってうまいこと言うね、さすがに記者の人は。
しかも彼、ドイツ語が日本語よりよくできる人だから、私が本の献辞にこっそり書いたことをご丁寧に日本語に訳してくれちゃって、最後まで赤面もの。
あっ、しかもこの記事、「京の人」なのに、京都に関することが書かれていませんね。確かにあまり喋らなかった気がするが、もう少しリップサービスした方がよかったかな。立命館の人間ということで勘弁して下さい(笑)。
まあ、出ちゃったものは仕方ないし、私にとっても、おそらく「一生に一度」ものの記事だと思うので、まあいいかと思うことにしました。人はこうして少しずつ鈍感で厚顔無恥になっていくのでしょうか。
私は一応、基本方針として、公になったものは(隠さずに)このブログで(も)晒すように心掛けているのですが、今回は正直いってお恥ずかしいです。今後あまりネタにしないでほしいなあと。