読売新聞での書評、その他諸々

本日12月6日の読売新聞朝刊書評欄に『ヴァーグナーの「ドイツ」』の書評が載っています。私の尊敬する片山杜秀さんが書いてくれました。嬉しいです。そしてありがたいことです。さっき買ってきて今読んだところ。
ヴァーグナーにおけるユダヤとドイツという「記号」を、今日のグローバリズム反グローバリズムに置き換えて、ヴァーグナーを(ナチ思想から)「解放」しようという論調。私はそこまで考えつかなかったし、当然書いてもないので、流石です。
今回の件は編集者の方が事前に知らせてくれたので、今日は徹夜明けのまま未明にコンビニに買いに走ったのですが、近所のコンビニを五、六軒回っても、どこにも読売新聞は無し。大体どこのコンビニでも一般紙は朝日(十部位)、毎日(二部位)、日経(五部位)あたりが置いてあるのだが、口を揃えたように「読売は入れてないです」との返事。これって京都だから? 東京では読売のプレゼンスはもう少し上のような気がしたのですが。ちなみにもちろん京都新聞はどのコンビニもどっさり。結局、大宮の駅の売店が開くのを待って手に入れたから良かったものの、危なかったな。朝、新聞を買いに自転車で走り回るなんて、2007年にドラゴンズが優勝したとき以来だな。しかも読売なんてそんな時でも絶対に買わないもんな。
そのうちこちらのサイトにも載るのだろうか。[12.7追記:こちらに掲載されました。]
せっかくの更新なので、ついでにたまっていた諸々をば。
N響『フィルハーモニー』11月号に「ベートーヴェンからワーグナーへ──「進化した交響曲」としての楽劇」という私の文章が載っています。例の「返す刀で切った」やつです。
あと、来年の2月7日にワーグナー協会(関西)で講演を依頼されました(私は非会員ですが)。題目はまだ決めてないのですが(そういえば11月中にとか言われていたような)チューリヒ時代、とりわけ1849年から50年のあいだにヴァーグナーに起こった一つの Kehre(訳すと「転回」とか)に焦点を当てようと考えています。主催者側(藤野さん)が、私の本を良く読んで下さっていて、「この Kehre(=『未来の芸術作品』と『オペラとドラマ』のあいだの断絶)はこれまでドイツでも誰も指摘してませんよね」とおっしゃっており、自分でもあまり意識しなかったけど確かにそうなので、この際、そこを掘り下げた話をしてみようかと。関西のワーグナー協会には、三光さんなどもおられるので、大変緊張しますね。ただでさえ「○○協会」って、学会とは一味違って、信仰の総本山みたいで怖いんですが(笑)しかもワーグナーですから。
「トランスレーション・スタディーズ(翻訳学)」という現在進行形で成立しつつあるディシプリンがあるそうで、それに関連する国際会議「日本における翻訳学の行方」を来年1月9日〜10日に、うちの研究科(立命館大学先端総合学術研究科)主催で開催します。私自身は深く関わっている訳ではなく、その中でのメディア系のパネルの司会をするだけなのですが、『冬のソナタ』の翻訳とか、テレビ・ゲームの海外移植とか、どう考えても面白いとしか思えないパネルです。サイトはこちらおよびこちら。事前申し込みが必要ですが、どなたでも参加可能ですので、ぜひお誘い合わせの上、いらして下さい(参加申し込みは何と本日(12月6日)までです)。おそらくこれが新年一発目に人前に出る場になるかな。
諸感覚間の「翻訳」(文字放送とか映画の字幕とか野球解説における副音声(笑)とか)の問題なども「翻訳学」の対象になるのなら、私も自分の関心から今後コミットできそうではある。今現在は新しいディシプリン(自分にとって)に関わることにとくに魅力と必要を感じていないが。
目下、某学会誌の締切に向けて、秋に学会発表した聴覚論の原稿を論文に直しているところ。これが脱稿すれば、2009年の(公的な)書きものはすべて終了かな。あとはいくつかナイショの(人目に触れないというか組織内的な)ものが残ってはいるが。
というわけでこれから寝マース。