田口卓臣ディドロ──限界の思考』(風間書房、2009年11月)[Amazon.co.jp]
久保田裕之『他人と暮らす若者たち』(集英社新書、2009年11月)[Amazon.co.jp]

以上、それぞれ著者の方から御恵投頂きました。ありがとうございました。
田口さんは私の駒場時代からの同窓生で、フランス文学専攻、今は宇都宮大学で教員(県内唯一のフランス語を専門とする教員として諸方面で大活躍とか)をしています(面と向かうと相互に呼び捨ての親友に「さん付け」はわれながら不自然ですが)。ディドロは『盲人書簡』や『聾唖者書簡』など、私も取り組まなくてはならないテキストがあるのですが、思想(著作)の背景やエディションの問題などは門外漢にはなかなかアクセスしにくいので(文学者や哲学者を扱う場合には全般にそうですが)身近に専門家がいるとありがたいものです。
久保田さんは、家族社会学が御専門で、関西に来てから私が知り合った方。私にとってはゲーム論をもっとも熱く語れる仲間の一人でもあります。というか、まったくの畑違いなので、これまでは会うといつもゲームの話ばかりしてきました(笑)。まだ阪大の博士課程在籍中のお若い方です。
最近では(とびきり優秀な人だけかも知れませんが)人社系でも、博士論文を仕上げる前に、あるいはその過程で、新書を出版する、というケースが多いみたいですね。とくに社会学は、テーマが時代に密着していることが多いので、自分の問題関心や切り口がどのように受け容れられるのかを「試す」意味でも、博士論文執筆前の新書出版というのは、研究者のキャリアとしてかなり有効に機能しているのかもしれません。哲学系や表象系ではそういう新書はあまり見ないような気がしますが(批評/アカデミズムという不毛な二分法の効果かしら)。ところで、その際の教員の指導は、どんな調子なんでしょうかね? 博士論文が終わらないうちは書かせない、書けとは言わないが書ける学生には勝手にどんどん書かせる、あるいは自分から編集者を紹介してでも書かせる、とか。よくありがちな共著の一章ぐらいであれば(無益)無害ですが、新書となると、下手すると(編集者・企画次第では)学生の将来がつぶされちゃいますよね。博士論文仕上げる前に、トンデモ本を出してしまった暁には…。
何てことも考えちゃいましたが、修士論文を元にこの新書を書かれた久保田さんには無関係な話です(笑)。そう言えば、私も修論のハンスリック論を出版する計画があるのですが全然進めてないや。

今日は、某広告制作会社から大学経由でコンタクトがあり、来年のバンクバー冬期オリンピック関連のCMの題材としてオリンピックの芸術競技を使いたいのだが云々という取材を受けた。私の論文もご丁寧に読んで頂いているとのこと(こう告げられた段階で研究者としては無条件で協力せざるを得ない)。先方の話を伺うと、どうやら「オリンピック芸術競技」という言葉の響きが持つ華やかなイメージが欲しいようだが、残念ながら実態はかなり地味なものだし、また取材はとりわけ資料が少ない時代・出来事に集中したので、あまり期待に添った(色気のある)答えが返せずに残念だったが、まあそれは仕方がない。まだ企画段階とのことだが、もし実現したらどんなCMになるのか楽しみである。

最近、研究室では時間を見つけて、昔の自分の講義資料を整理している。だいたいどの講義資料も、カリキュラムの進行順(年度開始から年度末まで)に適当にファイルに投げ込んであるので、それを正しく並べ直して、通しで日付を入れて、スキャンして、一つの授業ごとに一つのPDFファイルを作成する。その後、もう使わなさそうなものは処分し、使いそうなものは(カリキュラムの進行順を解除して)テーマごとに新たにファイリングする、という作業。コレ(発売当初は無かったMac用ドライバが今はあるので助かる!)でガンガン読み込んでます。もうちょっとですべて終わりそう。これでダンボール一箱分くらいは紙を減らせる。
PDFファイルのデータは、一授業あたり100MBくらいになって決して軽快とは言えないが、授業の進行が一覧できてとても便利。このデータをいつも持ち運ぶPCに入れておけば色々な使い方ができる。文献カードのようにPDFファイルを並び替えながら、新たな授業カリキュラムを構想できるし、ある程度の画質で取り込んであるので、資料のプリントアウトもそこからできる。授業中にそのままプレゼンも可能。例えば「五年前のあの授業のあの配付資料が欲しい」とき、紙だと(私の場合は)絶対に管理・把握できないため、結局また元の本からコピーや切り貼りをするはめになり、しかも本がどこにあるか分からない等のアクシデントが付き物だが、データだといつでもどこでもすぐに容易に目の前に呼び出せる。
その作業をやっていてつらつら思ったこと。私は随分長く(25歳=D2のときから10年)国立音楽大学で講義をやらせて頂いたのだが、そこでの授業の中身が明らかに自分の博士論文の研究に結びついた。直接、自分の研究上の主題を授業の題材にしたことは一度もないが、音楽美学の通史や演習を持つ中で、膨大な数の近代(ドイツ)音楽文献(とくに一次文献)にアクセスしてきたことが、私の足腰を作ってきた。次の本の「謝辞」にはぜひそのことを書かなくてはと思う。一方、国立音大の次に長くやった多摩美術大学での講義は、今の私の研究に直結している。「秋山(邦晴)さん亡き後、タマビの芸学には音楽の授業がないので、一つよろしく」と依頼されて始めたのであったが、「美術大学で音楽を教える」という稀有な経験が無ければ、今の私はない。音楽という芸術ジャンルの成立要件・構成原理を批判的に見つめ直したり、視覚と聴覚(または五感相互)の関係を考えたりすることはなかっただろうし、テレビゲーム論や「感性学」の構想なども自分の中に芽生えなかったように思う。学生達にもすごく多くを教わった。というより、多摩美を「経由」しなかったら、今でも(音楽大学的な)音楽研究しかやっていなかった(できなかった)気がする。良し悪しは措くとしても。だとしたら今の仕事はしていないわけで、当然京都にも住んでいないはず。などなど。
自分がいかに過去に規定されているか、という当たり前のことを再発見し、じゃあ将来のために今(来年度)は何をやるのか、ということを考える時間としても、こうした書類の整理は悪くないかも。億劫だけど何年かに一度やらなきゃだめだな。紙類がだいぶリサイクルできて部屋がすっきりするだけでなく、授業の中身もけっこうリサイクル(≠手抜き)できそう(笑)。まあ、あまり過去の蓄積にばかり頼って、自分がリサイクルに出されることのないよう、注意しなくてはならないが。
それにつけても、幾つかの原稿がどうしても進まない…。