ようやく一息
ヴァーグナー本の校正で幕を開けた9月、10月の怒濤の日々がようやく終わりました。
22日のヘイドン・ホワイト企画(おかげさまで大盛況となりました)、25日の日本音楽学会(於:大阪大学)のシンポジウムと続く、ラストスパートは本当にきつく、音楽学会前日の諸委員会は(勤務先での会議+シンポジウムの原稿書きが終わらず)やむなくというか案の定というか全て欠席と相成り、関係各位には多大なご迷惑をおかけしました(会議欠席のツケは、学会期間中の「ロビー活動」で取り返す羽目に…)。今年は大会実行委員でもあったので、朝から会場に張り付かなくてはならず、そのためいっそうスケジュール的にしんどかったですね(結局、一日目の晩は京都に戻らず十三の安宿に泊まりました。無論、遅くまで呑まなきゃ帰れたわけですが)。
私はある程度寝ないと仕事に集中できないタイプ(二十代の頃は二日くらい徹夜しても平気で、布団以外では絶対寝なかったのに、最近は睡眠不足で集中すると机の前で眠ってしまう)なので、仕事を片付ける上でどうしても「日数」が足りない時には、七時間睡眠(私にとって最低限の睡眠時間)と九時間労働(机に向かって休憩無しで集中力が続く限度の時間)を三回繰り返すことで「二日を三日に増やす」などの工夫をしていますが、休み中ならいざ知らず、通常の学期中なので、この裏技も限定付きでしか使えず、今回は難儀しました。
おかげでようやく先週は平穏なる日常が回復されまして、京近美のボルゲーゼ展の内覧会&レセプションに家族全員で出掛けるくらいには余裕ができまして(レセプションでは子供が迷惑かけまくりでしたが)、週末には子供の幼稚園のバーベキュー大会や(上の子にとっては初めての)ピアノの発表会にも同行することができました。どちらも先週までの週末だったら父は自動的に不参加でしたから、うちの子も強運ですね。あと、長らく保留にしていた下の子の誕生日プレゼントを一緒に玩具屋に買いに行ったりしました。上の子に対しては(母親抜きで)私と二人で向き合う時間(といっても買い物やお茶に出掛けたりする程度なのですが)をできるだけ作ってきたのですが、下の子の場合、私が忙しくなってなかなかそうはいかないので、今はその部分に意識的に時間を割いています。授業や校務等のない平日の時間(休日もですが)が自由に使えるのって、本当に久しぶりなので、家族と過ごす時間を含め、溜まっていた用事を一気に済ませた感じです。昨日は、前から何とかしなくちゃと思っていた靴を二足買いました(笑)。あと秋物の服が(去年辺りから)無いのですが、これも近々何とかしたいですね。
秋は研究者にとって死ぬほど忙しい時期であるだけでなく、世間一般でも行事が多い季節でして、今回私が参加した諸学会でも、「子供の運動会」を理由に学会を途中退出あるいは欠席した(同世代の子を持つ)知人が数人おりましたが、まあ日が重なってしまった場合は(とくに子供が小さいうちは)仕事よりも家庭優先で致し方ないでしょう。たまたまうちの子供の幼稚園は(以前ここで書いたように)毎年、平日に運動会を行っているので、むしろ私のような職業の人間にとってはありがたい限りで、そのおかげで私は今年も奇跡的に参加できたわけです。
(目先の)締切がない状態というのがほんの数日でもあると、十分な睡眠時間や休息が取れたり、家族との時間がたくさん持てる(私の場合、忙しいとまず家族との時間が犠牲になるので)だけでなく、自分が本当にやりたいこと、やるべきこと、これまでやり残してきたこと、等々に思考をめぐらす精神的&時間的余裕が生まれて、研究活動の上でも必要なオリエンテーション(目標の再設定)の機会となりますね。PCで言えば、再起動だったり、メモリから全データを一旦解放する感じですかね。もっとも私の忙しさなど、客観的には世の中の人達の平均以下だと思いますが、世の中のすごく忙しい人達が「充電期間」とか呼んでいるのはこういうことなのか、と今回勝手に理解できたつもりになりました。多分忙しい人ほど、こうした時間を上手に(強引にでも)作って、結果的に、質的にも優れた仕事を量的にもたくさんしているのでしょう。目先の締切につねに追われている状態は、「充実している」と自己を錯覚させるかも知れませんが、しばしば単にワーカホリックになってるだけで、決してそこからは真に「画期的」な仕事は生まれないような気が(私の場合はですが)します。数日後には、本や論文の執筆や研究会等の企画といったいつものペースの仕事に「復帰」するわけですが、もうしばらくの間はこの状態を楽しみたいなあと、楽しませてほしいなあと、思ってます。買っただけで観て&聴いていないDVDやCDも山ほど溜まってるので(本に関してはここではあえて言及しません)。
というわけで皆様、良いお年を(おいおい)。