そういえば京都といえばケージだった

先の週末は連日パフォーミングアートを観た。
先日の甲南大学での授業後、一人の学生が近づいてきて「授業とは関係ないのですが、能の舞台をやりますのでよろしければ」と言って、招待券を一枚手渡された。それが上田宜照さんで、後で分かったことだが、代々「シテ方」である上田家のご子息である。そう言えば立命館(うちのゼミ)にも狂言方の学生が一人いるなあと思い出し、彼のことを上田さんに話したら(当然だが)お知り合いだった。考えてみれば、東京時代にも多くの大学で芸術系の授業を担当していたから、よく学生からこうした案内やチケットを頂いたが、演奏会やライブや絵画や写真の個展など(あとは学園祭企画など)がほとんどで、中には変わったものも随分あったが、いわゆる伝統芸能はまったくなかった気がする。さすがに阪神間は伝統文化が豊かだなあと思わせる一件であった。今日において日本の伝統文化・芸能はどれも消費文化に乗っかりつつそこから差異化することで成立しているわけだが、そうした観点から阪神間(狭くは阪急沿線)の文化を捉える必要が(も)あるのかなと思った。
そんなわけで、土曜日は他の用事(研究会等)も色々あったのだが、せっかくのご招待である上に、能楽を観る機会など滅多に無いと思い、大阪の大槻能楽堂まで出掛けてきた。上田拓司主宰「照の会」第15回公演というもの。能の定番(とはいえ私が生で見るのは今回が二度目くらい)「卒都婆小町」をメインに、舞囃子高砂、松風)、狂言(腰祈)、仕舞(合浦、賀茂)を配した、バランスの取れた、教育的な(門外漢である私の印象ですが)好演目。この能楽堂に行くのも初めてだったが、よく手入れされていてきれいな舞台だった。
日曜日は昼間に嵐山辺りに観光に行く予定だったのだが(2009年は家族での「京都観光」を全然やっていないもので)下の子が朝からひどく咳をするので急遽予定変更し、安静にさせることに。京都観光はまたしばらくお預け。この日も大学関連のイベントなど色々あったのだが、その中で私が選んだのは、京都芸術センターでのコンサート John Cage Countdown Event立命館の隣の学部で事務をやっている方が企画者の一人で、その方が(面識の無い私にいきなり)案内をくれたのだ。
私は卒論をジョン・ケージで書いた(ということを最近人に話すとたいてい驚かれる)のだが、そのきっかけになったのは、大学二年の時に(前年にケージが亡くなったのだが)新宿の P3 art and environment で行われた一連のケージ企画に企画者・演奏者として参加させて頂いたことであった。ケージの幾つかの作品の日本初演(という語がこの作曲家の場合にいかほどの意味があるかは謎だが)にも携わり、遠い昔、アーチスト志望の時代(というまとまった時期があったわけではないが)にはそんな経歴も前面に出していたものだった(今となってはむしろ隠蔽したい恥ずかしい過去に属する)。この時の「P3」の責任者で、私もたいへんお世話になったのが村井啓哲さんで、この人がいなければ私は今の仕事をしていない、という意味での人生の恩人(とこっちが勝手に思っているだけだが)の一人である。彼がその後もケージ関連のパフォーマンス・企画を精力的に続けていることはあちこちから耳に入り知っていたのだが、私がその世界から遠ざかってしまったこともあり、かなりご無沙汰しており、そんな中、今回のチラシの中に彼の名前を見つけたので、京都でやるのなら(しかもうちからすぐの場所だし)ぜひ行かねばと思った。
日頃忘れているのだが、私にとってそもそも京都と言えばケージであり、それは彼が京都賞を受けたとかそういう理由ではなく(文脈としてはそれも重要だが)、「P3」企画の直後に、私(たち)は京都大学の学園祭に招聘されてケージ作品の演奏旅行に来たからである。それは私にとって(修学旅行を除いて)初めての長期の京都滞在の機会となった。この年(なぜか、とある事情で)私は京都大学の学園祭(NF)実行委員をしており、企画立案もある程度私が行ったように記憶している(「P3」企画の翌年と記憶していたが、今さっき川村さんのサイトを見たら同年の秋とあった。だとすれば相当忙しかったはずだ。「P3」企画(森本さんのサイトなどを参照)と違い、この京都企画に関する公式記録の類は無く、少なくとも私においては、パーソナルな歴史と記憶に埋没してしまっている)。そんなわけで、京都とケージという組み合わせは私にとって特別な意味を持つ。
今回の演奏会は、コンタクトマイクを使って音(木の枝に触ったり爪を切ったりするときに出る非楽音)を電気的に極限まで(ハウリング寸前まで)増強させる作品(《0' 00"》や《枝》など)がメインであった。卒論を書いていた頃には、モダニズムというイデオロギー(の解体)にばかり気が取られていてあまり深く考えなかったが、これらの一連のコンタクトマイクによる諸作品は、知覚(聴覚)の拡張というマクルーハン的主題に直接関わるもので(ケージ自身がよくマクルーハンの言葉を引くわけだが)、現在の私の研究テーマからももう一度見直してよい作品群であると今回改めて気付かされた。実際に演奏(パフォーマンス)を観ないとそのコンセプトや意味が理解できず、人に話したりCDを聞かせたりするだけでは何も伝わらない点が、研究の上では難点だが。またプリペアド・ピアノの諸作品(今回演奏されたのは《プリミティヴ》と《スポーツ:スウィング》)は、ぜひうちの上の子にも聞かせてやりたいと思った。むしろ今回連れてきたら良かったなと少し後悔した。ピアノの基本的仕組みを知っている人間に、そこからの前衛的発想による逸脱、新たな創造性、かつユーモアのセンスの「衝撃」を与えるには、ケージのプリペアド・ピアノは打ってつけであり、しかもその「ショック」を初めて受ける年齢は低ければ低い方が良い(私は十六、七くらいだったが)と私は信じているからだ。
そして今回私が何より驚いたのは観客の多さである。三百人近くいただろうか。ほぼ満席である。東京で今ケージのコンサートをやっても絶対こんなに集まらない気がする(東京といっても広いし、同日に同種のイベントも多いから public が分裂・分散してしまうのだ)。広報も成功したのだろうが、なるほどこれが京都という街の「地の利」なんだろうと思った。この種の企画に興味を持ち、かつ実際に足を運べる人達が、狭いエリアに密集して棲息している(もちろん市外から来ている人も多いだろうが)ということなのだろう。芸術系大学の学生とおぼしき層、および外国人の姿が目立っていた。
公演終了後、村井さんにご挨拶して、十五年以上ぶりに話をした。今仕事で京都に住んでいるということと、この企画の続き(ケージの生誕100周年=2012年までのカウントダウン企画なのである)をぜひまた京都でやってくださいよ、と言ったら、いきなり、実はまだ来年の場所が決まってないんですよ、立命館でどうですか、また改めて連絡します、と言われてしまった。私としては今度また京都でやる計画があるなら、ぜひ娘を連れて来ようという程度の腹づもりで聞いただけなので、向こうも冗談のつもりにせよ、予想外の言葉だった。多分実現可能性はないと思うが、こういうのも全部含めて御縁だから何が起こるか分からないのが人生だ。あるいはケージ風にいえば偶然性だ。なにしろ私にとって京都といえばケージなのだ。