とうとう始まった
やんごとなき事情により、この後期は甲南大学で授業をやらせていただいております。
今の勤務先が大学院だけで、しかもほとんどが演習形式なので、たくさんの学生(といっても30人強)を前にマイク持って喋る、授業っぽい授業は、東京時代以来、じつに一年半ぶり。
本日が第一回目で、ガイダンス代わりの肩慣らしだったのだが、ものすごく久しぶりなので、どこを見て喋ればいいのか、目の合わせ方とか声の届かせ方とか、勘がつかめず、おそらくは挙動不審な新米教師に映ったと思われる。実際そんなものなので別にいいのだが。
しかし電車通勤は疲れる。これも一年半ぶり。東京にいたときはほとんど毎日電車通勤していたのだが、自転車15分通勤(当初は30分弱かかったが道に慣れると半分くらいになった)に体が慣れちゃうと、電車乗るだけでホント疲れる。しかも帰りは座れないし。移動だけで往復三時間以上かかり、午後丸々つぶれるわけで、この日は京都で仕事が入れられないという意味では、新幹線で日帰りで東京に行くのとさほど変わらないことに気づいた。
駅とか駅周辺で変に時間やお金を使ってしまうのも、特殊現代日本的な何かのワナ(というか端的に鉄道会社系デベロッパーのだが)としか思えない。電車が行ってしまった直後、目の前に売店があり、しかもちょうどいい待ち時間があるとか、絶対あれ仕組んでるよな。とくに阪急電車。岡本の駅前にケーニヒスクローネがあったので(しかもちょうど各駅停車が行ったばかりで急行までちょうどいい時間があるだろうと予想したので)もう田舎者丸出しで嬉々としてさっそく家族にお土産を買って帰る。御影・岡本の辺りは、東京のどのエリアを持ってきても勝てないくらい、本当に洋菓子・パン文化のメッカだから、色々探索しがいがありそう。
ただし、この長距離通勤のデメリットをメリットに転じるべく(むしろさらなるデメリットに転じる可能性ありだが)そのうち神戸・大阪方面の有志達と飲み会をやろうと思っています。神戸大学の某氏(元々ヴァーグナー研究家で今いつの間にか芸術政策・メセナ研究の第一人者)との再会をまず目的にしますが、大阪市や堺市在住の某氏や某氏など、勝手に私の中でメンツが決まっていますので、然るべき時が来たら声をかけます。
あと、今日授業の後に会ってお茶をしたこの大学所属の某PDの方(映画音楽、東ドイツ文化研究で、上記神戸大学某氏の元指導学生)と、映画音楽の研究会をやろうよ、関西に人もいるしと盛り上がり、その流れで、アドルノとアイスラーの某古典的映画音楽論(アレ一つしかないけど)を翻訳したいよね、という話になりました。もしすでにどこかで翻訳が進んでいるとか、どこかが版権を取っているという情報をお持ちでしたら、関係諸氏の皆様、それとなく耳打ちして下さいませ。急に降ってわいたアイディアだし、どうせ私もすぐには動けないので、中長期的なプロジェクトとしてしばらく夢想してみますゆえ。もちろん、訳業により通じた他の誰かが翻訳してくれるのであれば、それが一番ハッピー。
例のヴァーグナー本は校正を終えたので、もうすぐ出ます。一応、ここでは十月上旬書店発売となっているので、うまくいけば、ギリギリで音楽学会には持って行けるかもしれません。
夏休みをたっぷり使って校正をするはずだったのが(元はと言えば誰かさんが原稿を仕上げるのが遅かったおかげで)結局、夏休み終了直前に駆け込みで作業をすることになり、世の中が連休とか言っているのを尻目に、一週間くらい研究室にこもりっぱなしで、飯もろくに食わずに(私は睡眠優先型の生物で、飯は放っておくと24時間以上食わない)一気に片付けました。まあギリギリセーフで終わったので、一応良しとします(出版社の方でも連休返上でお仕事して下さりました。感謝)。この一瞬のタイミングを逃したら、10月は死ぬほど忙しいだけに、ホントに年内刊行も危うかった。
で、それが終わった日の翌日が、某実質国営放送オーケストラ関連誌のベートーヴェン特集のための原稿の締切日。三ヶ月も前から頼まれていて、結局やるのは締切の日かよ(メモは作っていたとはいえ)と、われながらトホホでしたが、ちょうどヴァーグナーのことを絡めて書けたので(このタイミングなのでそうさせて頂いた)結構、入魂です。まさに返す刀で切った感じで、案外こういうのも悪くない(自分で言うなと)。印刷されたら、また御案内します。
そして、秋の日本音楽学会全国大会のプログラムがようやく今日届きました。私の参加するシンポジウムの要旨は以下の通りです(河村さん、山田さん、小石さんの分の要旨は割愛します)。
日時と場所は、
10月25日(日)15:15〜17:15
大阪大学豊中キャンパス 文系総合研究棟3階302教室
です。
シンポジウムIV「メンデルスゾーンの「イタリア」──ドイツ人音楽家のイタリア旅行体験を多角的に検証する」
コーディネーター:小石かつら(関西支部:京都大学)
パネリスト:河村英和(日本建築学会、地中海学会、AIPAI(イタリア工業建築学会):ナポリ・フェデリコ2世大学)、山田高誌(関東支部:イタリア国立バーリ音楽院付属音楽研究所)、吉田寛(関西支部:立命館大学)本シンポジウムは、2009年に生誕二百年を迎えるフェリックス・メンデルスゾーンを中心的事例として、一九世紀のドイツ人音楽家にとってイタリア旅行がいかなる体験であったかを、ドイツおよびイタリアの双方の側から、多角的に検証するものである。
メンデルスゾーンの没後にドイツを席巻した反ユダヤ主義というイデオロギー、さらに戦後の東西ドイツの分裂による資料的な制約という歴史的な要因から、本格的なメンデルスゾーン研究は端緒についたばかりであり、とりわけ自筆楽譜がほとんど手つかずのまま眠っていたことから、近年、メンデルスゾーンの作曲や改訂の過程を明らかにする研究の気運が高まりつつある。しかしその一方で、彼の作曲の背景にあった同時代的連関や社会事情など、「楽曲分析の外側」にある部分については、今日なお、十分な研究が試みられていないのが実情である。こうした「楽曲分析の外」の研究もまた、必要不可欠であることはいうまでもない。楽曲分析と楽曲分析の外の研究とを有機的にむすびつける立体性。これは、メンデルスゾーン研究にとどまるものではない。
周知のようにメンデルスゾーンは、1830年10月からイタリアに滞在し、翌年7月まで九ヶ月にわたってイタリア各地をまわった。しかしながら、彼にとっての「イタリア」が実際にいかなるものであったのかを具体的に──とくにイタリアの側から──検証する試みはこれまで行われてこなかった。本シンポジウムは、彼にとってのイタリアという「場」を具体的に再構成するところから始め[河村英和]、その上で、このイタリアという空間の音楽状況へと考察をすすめる[山田高誌]。そして、このイタリア体験が、どのようにメンデルスゾーンの作品に織り込まれているのかを、楽曲分析を通して考察する[小石かつら]。最後に、メンデルスゾーンの時代のドイツにおいて、イタリア音楽がどのように眺められ、ドイツ人(音楽家)がそこに何を求めていたのかを、音楽の思想および美学の観点から検証することで[吉田寛]、さらなる包括的議論へと展開したいと考えている。
[吉田寛]われわれは音楽史の中で、しばしば理論上の中心的趨勢と実作上のそれとの乖離や矛盾に遭遇する。ダールハウスによれば、1790年代のドイツでは古典主義の美学なしに古典主義の音楽があり、ロマン主義の音楽なしにロマン主義の美学があったが、発表者の見解では、同様なことが1820年代前後にも指摘できる。ショーペンハウアーは『意志と表象としての世界』(第一部)で音楽に固有の「普遍的言語」を賞賛し、いわゆる絶対音楽の美学の先駆的表現を行ったが、彼がそこで例示する作品は――少なからず意外だが──ドイツの器楽ではなくロッシーニのアリアである。またヘーゲルは、ヴィーンでのイタリア・オペラ体験を下敷きにして、『美学講義』では「自立的音楽」の傾向に警鐘を鳴らしながらも、ロッシーニをその代表とみなす当時の論調に反対した。ポスト・ベートーヴェン時代の黎明期であった当時のドイツでは、絶対音楽の美学が成熟し、また希求されていたにも関わらず、それに適合する実例がドイツ国内には見いだせず、結果的にイタリア音楽、しかもオペラ(歌)がその座を占めたのである。そしてこの事実は、ドイツとイタリアの音楽史的(対立)関係を根底から考え直すことをわれわれに迫るものである。
周知の通り、メンデルスゾーンとヘーゲルはベルリンで同じサークルの中にいたので(前者によるバッハの《マタイ受難曲》の歴史的再演にも後者は同席している)私も当初は二人の間に直接線を引きたい・引けると考えていて、小石さんには「メンデルスゾーンとヘーゲル」関連の論文を数本送ってもらったのですが、どれを読んでも些末な、エピソード的なことしか書かれていないので、直接両者を結びつけることはやめて、からめ手から攻めることにしました。それなりに(自己)完結した主題をお話しできると思いますが、シンポジウムの中でうまく機能するかどうかは未知数ですね。
そういえば、もはや経緯を良く覚えてないけど、このシンポジウムのタイトル、どうせオレが(安易に)考えついたのだろうな。だって今気付いたら「ヴァーグナーの「ドイツ」」とパラレルだし。小石さん、スミマセン。
明日は会議もあるし、いよいよ本格始動といったところです。夏休みにやり残したことは睡眠時間削ってやるほかないだろうな(同業者は皆さんそうでしょうが)。
では皆さん、無事に私が発表の準備ができて(これもホントは夏休み中にやっておくはずだったのに)かつインフルエンザになっていなければ、次は本郷でお会いしましょう。