美学会全国大会について
先ほど発見したのですが、10月の美学会(東京大学)のプログラムが決まったようです(ウェブ掲載と同時に発表者には連絡くらい欲しいっす)。
正式な発表要旨も載っています。
私の発表は10月11日(日)の14:10〜14:50で、その日は中日なので晩には懇親会という、絶好のポジション。いわば今大会におけるポール・ポジション(意味不明)。
昼間喋ったら後は朝まで呑むだけ。もっともそれ以前に、喋ることの中身がまだ全然なわけですが。
ところで今回のプログラムを眺めていて感じたことが一点。
それは、美学会と表象文化論学会が、内容の面でも人材の面でも、だいぶ重なり&混ざり合ってきたなーということ。
シンポジウムの人選を見ても研究発表のリストを見ても、ここは表象文化論学会(あるいは一部分科会は日本音楽学会)ですか?と見紛うほどだ(笑)。
表象文化論学会の設立によってこの業界における研究者の「すみ分け・差異化」がいっそう進むかもな、と思いきや、実際には逆の結果になってしまったということか。
というより、芸術・美・感性をめぐる日本のアカデミズムにおいて、それほどまでの「差異化」は初めから無理だったということかもしれない。そもそもが「狭い世界」だったから、というだけのことかもしれないが。
あるいはもう少し積極的に言えば、「美学(会)的なもの」のメリットとデメリット(あえて私が書きませんが)および「表象文化論(学会)的なもの」のそれ(同様に略)を、若い人達も含めて、皆さんよく分かってきて、まともな研究(発表)をするにはどうすればいいかを、自分の頭で(セクト的思考を無視・打破して)しっかりと考えられるようになった結果かもしれない(実際、自分より若い世代でそういうストラテジーを意識的に実践している人達を何人か知っている)。
いずれにせよ「美学(本郷)か表象(駒場)か?」とかいう出自や所属に今さらこだわってる人間は「ハイ消えた!」ということを、今回のプログラムは明確に物語っているのではないでしょうか。むろんそういう人間は(いないことを祈りますが、もしいたとしても)(研究)内容的にすでに一昔前に死んでるはずですが、今回あらためて(制度)形式的にも消えた、ということでしょう。めでたしめでたし、かどうかは知りませんが。
言いかえるならば、どっちの学会にも首を突っ込んでないと、もはやどっちの学会でのプレゼンスも失うということ。どっちの学会にも出て、双方のメリット・デメリットを自分で吟味せよ、その上でその都度どちらかで勝負せよ、ということだと思います。
基本的にそれは良いこと、歓迎すべきことだと思います。私個人としても、研究者の立場でも、教員の立場でも、その方がやりやすいし。
というより、これがまともな状態であって、何年もかかって(表象文化論学科ができたのが1986年だから、20年以上ですか)ようやくここまで辿り着いた、という感じですかね。この辺りについては、私以上に思うところがある人達が大勢いそうですね。
二つの学会も、そのうち合併・統合しちゃったりして。
とにかくその意味で、今回のプログラムは美学会として(は)けっこうな英断ではないかと思いました。これは本音。研究(者)に若手もベテランもない、良い・面白い研究(者)とそうでないものがあるだけだ、というのが持論の私は、学会における「若手フォーラム」なる企画(教育機関が企画するなら分かるが)には相変わらず批判的ですが。
あとは私が頑張るだけ。これは予定。