初体験

七月末、前日に前期最後の会議と校務と授業を終えた、私にとっての夏休み初日、京都にフランスからご家族を連れてきたばかりの安田さん宅に遊びに行く。
精華大の寮(合宿所風の広い一軒家)に間借りしていて、その場所が左京区は修学院という「山の中」にあるので、(地下鉄+タクシーで)お宅を訪れるだけなのに、われわれ家族はすっかりピクニックまたはキャンプ気分。ちょっとした高原の避暑地にでも来たような感覚でしたよ。
狭いエリア内に、同じ市内とは思えないほどの多彩な地形、光景。これも京都ならではだろう。中京区のうちの近所だけで生活していたら、よくある地方都市と変わらないなと、あらためて実感する。
今回は単なる家族ぐるみの交流に加えて、私の大学での同僚とその奥さん(カナダ人の夫婦でどちらも英仏のバイリンガル)を安田家に引き合わせて、京都におけるフランス語話者生活事情(学校等)を指南してもらうという重要なミッションも兼ねていたので、私としても柄にもなくセッティング等にけっこう気を使いました。まあすべてうまくいってホッとしています。
安田さんのお二人のお子さんは、うちとほぼ同世代で(あちらがちょっと上だけど)、そのため、うちの上の娘はかなり前から、フランスという遠いところからやってくる新しいお友達に会えることを楽しみにしていた。
彼女は最近、英語に強い関心を持っており(せいぜいがNHK教育テレビ等の影響だが)聞き慣れない言葉を聞くと何でも「それは英語か」、あるいは「これは英語で何というのか」と尋ねてくる。
もっとも、彼女が最初にその存在を知った「日本語ではない言葉」はドイツ語であった。ドイツ語圏には私の友達もたくさん住んでおり、お土産でドイツ語の人形や絵本を頂いたり、誰々がヴィーンとかベルリンに住んでいるという話題によくなったりするので、ドイツという遠い場所があって、そこの人達はドイツ語を話すということは大分前から知っていた(オーストリアという国があることは面倒なので教えてない)。
だからまあ(子供の脳の中身は知るよしがないが)「日本語ではない言葉」が複数あるということは、すでに知っていたはずだ。「ドイツはドイツ語だったら、中国は中国語?」とか聞いてきたこともあるしな。
そこでさらに今回のフランス語である。
安田さんのお子さん(とくに上の女の子)は、彼女が初めて直接に知り合った「外国語を話す(自分の言葉が通じない)お友達」である。ゆくゆくは姉弟ともに完全な日仏のバイリンガルに育つのだろうけど、まだ日本語がおぼつかなく(慣れないので恥ずかしいこともあるのだろうけど)「日本語で話しなさい」とお父さんに促されて、片言を発する程度。もちろんうちの子はフランス語はまったく分からない(挨拶くらい事前に教えたけど、発音を教えるのも覚えるのも日本人の幼児には難しい)。それでもさすがに子供(しかも同性・同年代)だけあって、一、二時間一緒にいるうちに慣れてきて、夕方にはすっかり馴染んで遊び回っていました。子供のコミュニケーションというのは本当に不思議だわ。
夜ご飯の時には大人が増えたこともあり、また大人同士でけっこう話すべきことがあったので(全カップルが初対面同士のようなものだったし)フランス語と英語(私と妻はフランス語をほとんど話せないので、われわれが参加すると全員が英語になる)での会話の時間がずっと続くことになり、その間、子供らは放置されることが多かった。
だが、これがうちの上の子にとっては相当の試練だったようである。というのも、安田家の姉弟は大人同士のフランス語での会話に時折参入できるが、うちの上の娘はフランス語にも英語にも参入できないため、大人と子供の全員のうちで彼女だけが(正確にはうちの一歳児もであるが、彼女はもともと言語的コミュニケーションの外にある)その場の言語的コミュニケーションの外部に置かれてしまったからだ。そのため「お父さーん、何のお話ししてるの?」といって、構って欲しそうにちょろちょろまとわりついてきても、「ごめんね、お父さん今英語でお話ししてるから」とだけ言って、また娘を(膝の上に乗っけておきながら)無視して英語での会話に戻らなくてはならない状況が続いた。可哀想だなと思いつつも、状況的にそうせざるを得なかった。物理的・身体的には接触していても、「言語の壁」によって人は遠く隔てられることがある、ということを、彼女はおそらく初めて体験したのだ。大人でも、こうした(初)体験はかなりストレスフルだ。
彼女にとっては、外国語を話すお友達が初めてできた(別れ際には覚え立てのフランス語で挨拶ができた)以上に、この、両親がずっと外国語で話していて、自分が(両親と共にいながら)言語的に孤立してしまうという初めての状況の方がショックだったようで、帰宅後(すでに帰りのタクシーの中で熟睡したのだが)妻が布団に寝かせるときに「お母さんも、お父さんも、ずっと一緒にいようね」と半泣きになって寝言を言っていたらしい。
まあこの種の言語的ショックは、誰しもいずれは経験するものであり、どうせならできるだけ幼い頃に味わった方が(子供は強いものだから)良いのかなと思ったのですが、どうなのでしょうか。私自身は、両親が外国語を喋らないので、幼少期にこういう経験したことがないのですが。
ともあれ、安田さん、お世話様でした。一家全員で楽しみにしていますので、また遊びましょう。