昨日と今日

土曜日は京大の岡田温司さんのところの科研プロジェクト「イメージ(論)の臨界――感性の翻訳と分有」(若手研究者によるフォーラム第四回)を覗きにいく(リンク先は佐藤守弘さんのところを借りました。公式サイトが見当たらなかったので)。当初の個人的目的は、旧友の近藤学氏(マティス研究、ハーヴァードに留学中)が無事に日本で社会復帰したかどうかを確認することであったが、その背後には、もちろん「せっかく京都にいるのだから自転車で行ける研究会・学会はすべて行こう」というきわめて高い私の志がある。一発目の近藤氏の発表にて、すでに彼が私以上に十分な社会復帰を済ませてることが判明したので、その辺で適当に飯でも食って古本屋見て家に帰ろうかとも思ったが、去りがたくて最後まで聞いてしまった。
科研のプロジェクトというと(これまでの私の狭い知見というか偏見によると)研究室の親分的存在の人が、後輩や弟子を集めて、特別なモティヴェーションも発展性もなく「仕方なく」やっているものだと思っていたが、全て院生世代から、しかもきわめて高いクオリティの発表者を六人も集めて、継続的に(今回で四回目だと言う)やっていることに、まず度肝を抜かれた。会場には、岡田さんの他は、ほぼ全員が(発表者も含めて)大学院生とかポスドクとかの血気盛んな連中。あとは私とか秋庭さんとか多賀さんとか、ちょいとエスタブリッシュされつつあるものの致命的に居場所がない連中(「連帯」の仕方が間違えてたら訂正しますので、スミマセン、指摘して下さい)。こういう場は東京時代にもまずなかった気がする。しかもここには大阪、東京のみならず、東北、北陸から集まってきている。事実、それに見合うだけの得るものはある。テーマ設定と発表内容、発表者のモティヴェーション、見ている地平、消化している文献の量、ディスカッションの質、会の進行(これはひとえに千葉雅也さんの才気溢れる司会技による)どれをとっても、最近私が見た、あらゆる芸術系研究会を凌ぐテンション、クオリティ、アクチュアリティ。関西表象系研究会(という括りは正確ではないかも知れないが)に今回、初めて顔を出したわけだが、やはり行ったかいがあった。岡田さんとも初めて少しお話しをさせてもらったが(美学会では話したことがなかった)、その仕事の質と量から受ける印象とは裏腹に(容姿から受ける印象とはさほどずれていなかったが)ぶっとんでるお方。ただやっぱりこういう研究会を組織、持続できる人だけあって、そのホスピタリティたるや流石です。研究レベルでは到底見習えないので、少なくともその部分は見習いたい(単に若者と共に酒を呑むという低次元にアプロプリエーションせずに)なあと、小生我が身を省みた次第。こういう研究会は、参加する院生達にとっても良いだろうし、先生自身にも大いに刺激になるだろうし、本当に幸せな場ですね。
実は京都に来てから京大の構内に足を踏み入れたのは今回が初めて(傍を通ることはしばしばだが)で、自由な空気(正確には管理の行き届かなさ)が懐かしい感じ。もう単純に、構内に自転車、バイクがバンバン入れるとか、チラシ貼りまくり、立て看立てまくりとか、そういうマテリアルなレベルで、うちとは大違い。あっ、これこれ、この感じ、俺はやっぱりこういうとこで育ったんだわ、と。まあ、色々一長一短ということはよく分かってるつもりだが、この時ばかりは(旧)国立大学はやっぱりいいわ、と思いました。あの「アジ文字」の伝統はわが衣笠山では(過去をよく知らないけど)とうに途絶えております。今度、吉田寮辺りから講師呼んで、アジ文字レタリング伝統継承のための講習会でもやったらいいんじゃないか? えっ、京都学というのはそういうんじゃないんですか? なんだ、残念ですね。
明日も午前から予定があるので帰ろうかなと思ったが、飲み会もついうっかり最後まで参加してしまう。その背景にももちろん「自転車で行ける飲み会はすべて行こう」というきわめて高い私の志があったわけです。大人数入れて異常に安くて普通にうまい(というか普通の味というのが意外と稀少)の店があったので、さすが京大周辺だなと、これも勉強になりました。その大座敷には「御飲食中に障子、襖、窓ガラスが壊れた場合には御客様に弁償して頂きます」との黄ばんだ張り紙があり、胸を打つ。天下の京大生様が、どんな御飲食中だよ。二次会で行ったバー(名前はあえて伏せる)もよかった。客が女優の名前を言うと、マスターがその女優の名のカクテルを作ってくれる。そしてそのカクテルは、その女優を表現したものというより、むしろ「批評」になっているのだ。ちなみに私が飲んだのは「マレーネ・ディートリッヒ」。予想通りの渋い見かけ、渋い味。むぅ、さすがはあのヒトラーも飲んだと言われる毒の花だ(註:この人は注文時点ですでに大分酔ってました)。常に毒殺の危機にあったとも言われる晩年のヒトラー気分で一気に飲み干す。「初音ミク」とか頼んでる奴がいたけど、やっぱり、完全なる合成物質風味だったのだろうか。左京区の辺りは、噂通り、いい感じ。よさげな食べ物屋さんが多いし。古本屋も多いし。通勤のことさえ考えなければ、オレもこの辺に住む手もあるのにな。交通不便なので絶対「左京区引き籠もり」になりそうだけど。
日曜日は大津市歴史博物館で大正イマジュリィ学会全国大会があり、先端研の学生が発表するので、聴きに行った。どこ? 滋賀? 遠いだろ? 自転車で行けないだろ? と最初はとまどいがあったが、地下鉄プラス京阪で、自宅から五十分程度で、あっけなく現地の駅に到着。なるほど、普通に皆さん滋賀(大津)から京都に通勤通学されている理由が分かりましたよ。市営地下鉄から京阪の四両編成に乗り換えて、よろよろと地上に出ると、急に狭い山道(谷)を走る感じになり、やがて前方に琵琶湖が見えてきます。これにはちょっと感動。標高的には高いところに上がっているはずなのだが、体感したのはむしろ逆の印象。ステレオタイプ的に言えば、ドイツ人がイタリア(ヴェネツィア)に行ったような、旅の開放感を得ました。京都はその中で色々多様性があるとはいえ、所詮、盆地で、海のない閉じた国です。いわば暗い。それに対して、湖は明るい。光っている。今日はとてもお天気がよかったせいもあり、そんな印象を持ったのかも。
「近世画家の大津絵に対するまなざし」という関大の方の発表があって、「大津絵」という広辞苑にも載ってる言葉でさえ今日まで知らなかったほど日本美術史に暗い私なのですが、その大津絵の発生にも関係している三井寺(みいでら)という有名なお寺が、すぐ近くにあった。ホント家から小一時間で来れるのだから、今度、家族で来よう、と思った。まず電車からの景色をとくに下の子に見せてやりたい。上の子は東京時代にベランダからいつも京浜東北線を見て育ったし、JR&地下鉄の駅が傍だったので、電車なるものが非常に身近な存在だったが、京都に来てからは、公共交通機関はバスか地下鉄しか乗らないので(阪急もうちの近辺は実質、地下鉄)、地下鉄だと車窓風景もないし、そもそも車体自体が不可視だから、下の子は電車の存在を知らないも同然なのである。
それにしても、本日日曜日は神戸大学「カント感性論の現在形」(第15回視聴覚文化研究会/第3回神戸芸術学研究会合同研究会)というのもあって、発表者・コメンテーターが全員知り合い(にも関わらず、互いにちゃんと研究発表を聞いたことがない、雑用仲間同志)なので是が非でも行きたかったのですが、そんな年度末の突貫工事ばりに(原理は同じですが)あちこちで同時多発でやられても、いかれへんつーの。科研費とかCOEとかGPとかそういう成果を出すのがどうしても年度末になるのはいたしかたないですが、別に「踏み絵」やってるわけじゃないんですから(やってたりして)発表者の確保、集客、あらゆる面からみて、三月の土日を奪い合うのは賢くないと思うのですがね。やっぱり二月二日辺りにやっとくべきですよ、なんつって。あと大学関係だと、だいぶ前に原稿出してても、ゲラとか送ってくるのが結局はどこもこの時期になるのな(泣)。
そんなこんなで土曜、日曜とほとんど家にいられなかったので、日曜の夜は、たまの家族サービス(あるいは何かのごまかし)として、河原町三条にある京都で古くから有名な回転寿司屋に行く。私も嫁さんも昔から、土日に混んでる街に出るのを極度に嫌うので、本来なら平日にしても良かったのだが、最近、平日はむしろ子供が(幼稚園で全力使い果たし)疲れて夜までもたないので、日曜日の河原町周辺はさぞかしクレージーだろうと危惧しつつ、まあ本人が行きたいと言ってるのだからいいか、と本日決行。
昨年末、幼稚園の友達がお寿司屋さん(イコール回転寿司)に行った話をするが自分は分からない、という話を(まだ生魚NGの分際でいっちょまえに)上の子がしてたので、あまり乗り気じゃなかったが、社会勉強だと思って、JR二条駅の近くにある回転寿司屋に連れて行った。全部オートマティック(しゃりはどれも同形状)で、すごく安いし、味も別に悪くないので、そのときはそれで満足してたのだが、今日この店に来て座るなり、「同じ回転寿司でも、こないだみたいな郊外型の店は、店の雰囲気や集まってる客層とか、何かイヤで、ここみたいに都心立地の方がやっぱオレは落ち着くわ」と言ってみたら、嫁さんもまったく同意見でした。思えば、われわれは二人ともいわゆる郊外型文化のなかで暮らした経験がないので、人混みが嫌いとか言ってても、結局、人がごちゃごちゃ集まってるところじゃないと生きて行けないのかもしれない。すっきりした感じ、すかすかした感じが、苦手なんですね、どうも(嫁さんは震災→更地→再開発というのを目の当たりにしてきたので、背景は私と少し異なると思うが)。普通、子供が二人いれば、車買って、郊外にちょっと広い家をもって、となりゆくのが一般的のようだが、うちはそうなってない、今後もなりそうにないのは、その辺りも原因だろう。うちは西に自転車で走ると郊外(千本通り方面)、東に同じくらい走ると都心(烏丸通り、河原町通り方面)という立地にあるので、買い物とかは西方面でも良いけど、これから外食は基本的に東方面に限るなと思いました。
安いし美味しいし活気もあるし店員さんもいいので、またそのうち来よう、それとお客さんが来た時でもここだったら連れてこれるね、という見解で嫁さんと一致。天気も良かったし、回転寿司行くのにタクシー使うことも無いだろうてということで、自転車二台で往復(片道十分ちょっとぐらい)。帰りの自転車では前の籠の子も後の席の子も爆睡でした。上の子(現在はかっぱ巻、納豆巻、たまご、いなりくらいしか食べられない)が生魚OKになる頃までには、近所で通える回らない寿司屋を見つけておかなくてはいかんな。