五年一貫制博士課程のある大学院

筑波大学大学院(人文社会科学研究科、生命環境科学研究科)(1975年より)
京都大学大学院(アジア・アフリカ地域研究研究科)(1998年より)
立命館大学大学院(理工学研究科フロンティア理工学専攻先端総合学術研究科)(前者は2001年、後者は2003年より)
総合研究大学院大学(そのうちの五つの研究科)(2006年より)
同志社大学大学院(総合政策科学研究科のうちの技術・革新的経営専攻)(2009年より、届出手続中)

・ちょっと調べただけだが、これで全部だとすると思っていたよりも少ない。私立では現時点ではうちだけか。人文系(学際含む)は筑波、京都、そしてうちの三つか。なお天野郁夫「専門職業教育と大学院政策」(『大学財務経営研究』第1号, 2004)では、1998年時点で「5年一貫制博士課程の研究科=国立19、公立0、私立3、計22」とされているが詳細不明。
・ちなみに1974年6月に行われた大学院設置基準の制定及び学位規則の改正の中に「4)また、特定の学部に依存する従来の組織編成のほかに、複数の学部、研究所等と連携し、また、専任教員と専用施設によるいわゆる独立研究科を設けることができることを明らかにし、大学院の独立性を強化したこと」とともに「5)博士課程の編成方法について前期二年と後期三年の課程に区分して編成することも、区分を設けず五年一貫の博士課程として編成することもできるようにしたこと」が含まれている。
・とくにブームになった形跡はないが、流行が終わったという感じでもない。ただし上にあげた個々の例を見てみると、いまだに「実験的」な印象は拭えない。
・新設する以外で、既存の大学院が五年一貫制に改組・移行するような動き(かつての総研大のような)が今後あるのかどうか、見えない。
・多くの大学院がある時点でほぼ一斉に「修士課程→博士前期課程」と「博士課程→博士後期課程」と改称・改組を行ったと私は記憶するが、そのことと、五年一貫制博士課程という新制度との関係はどうなっていたのか(修士課程を制度的になくす方向は共通? でも修士課程+博士課程という二階建てはいまだに健在だしな)。
・カリキュラム云々とは別の次元で、修了生の履歴が(修士号を飛ばして)「学士→博士」となることに、とくにデメリットはないか? 自分を振り返れば、同じ専門領域で修士号と博士号を取得した後では修士号は経歴上、無くても別に困らない気もする。もちろん博士課程在学中の人や博士課程を満期退学した人の場合は、修士号が無いと困るけど。
・「博士学位の早期取得」を目的にする(質については問わないとして)なら、修士と博士を別々にやるよりも、五年一貫制でやる方が有効。修士に二年(プラスアルファ)、博士に三年(プラスアルファ)かける場合、全部を五年で終えるのは至難の業だが、五年一貫制の場合だと、博士予備論文(修士論文相当)に三年かけて、博士論文に二年かける、というのもありなので、大きなテーマを一つまとめるつもりなら、五年一貫制の方が向いている、と言える。逆に、テーマがまだ明確でない場合や、比較的短時間でまとまりそうなテーマを持っている場合は、修士課程にまず入る方がいいかも。
・それぞれの大学院が五年一貫制のメリットをどうマニフェストしているかは、以下。

「5年一貫制の博士課程のもとで、従来の修士課程、博士課程に分離されない統一研究テーマを遂行します。」(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
「5年一貫制博士課程「フロンティア理工学専攻」では、特に斬新で先端的なテーマをプロジェクトとして立ち上げ、1回生からこのプロジェクトに参加し課程博士学位の早期取得をめざします。」(立命館大学大学院理工学研究科フロンティア理工学専攻)
「研究者としての基礎訓練に力を入れ、前期課程と後期課程を区別しない一貫制博士課程(標準修業年限5年)を採用。」(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
「長期的な展望に立った体系的文理融合教育と計画的・継続的な博論研究指導の展開のために、本専攻では5年一貫教育を行います。」(同志社大学大学院総合政策科学研究科技術・革新的経営専攻)

一年間この新環境で仕事をして様々なことを経験し吸収してきたわけだが、ここいらで一度、それらを自分なりに整理・言語化する必要があろうかと思い、その手始めとして調べてみた次第。
例によって関心・関係のない人にはまったくつまらない話ですみません。