アドルノの声を聴け

いや、比喩とか詩的表現じゃなくって、本当に声を聴けってことですよ。
ここから1965年のラジオ放送「《ドイツ的とは何か?》という問いに答えて」の録音がmp3でダウンロードできますので。
澄み渡った美声。さすがはイタリア系歌手を母に持つだけのことはあります。
彼の声を一度聴いたことがあるのと無いのとでは、彼の思想への理解や評価がまったく異なってくると思います。
少なくとも私は、声を聴いて、根本からアドルノ観が変わりました。
例えば、一緒に録音データがあがってるヤスパースの声と比べてみて下さいよ。どっちが思想家として、いやそもそも人として信頼できるか、歴然ですから(笑)。こういっちゃなんですが、ヤスパースのドイツ語は第三帝国の人の話し方にしか聞こえません。
それに引き替え、テディは、テキストはあんなに翻訳者泣かせなのにどうして?というくらい、とにかくやさしく、柔らかい声です。私のような外国人にもきわめて聴き取りやすい発音。
彼の思考の言葉、文字で書く言葉はいわば「楽譜」に相当し、彼の話し言葉は「演奏」といった関係でしょうか? かりにアドルノが自身の著作(講演原稿ではなく)を朗読している録音があったら、この両者の連続性/断絶がより明確になって、きわめて興味深いのですが。私の知る限り、ツェランの詩の朗読はありますが。他にもあったらどなたか教えて下さい。
ヴァーグナー論の序文を書いている中で、久しぶりにアドルノのことを色々と調べ、読み、考えています。かなり難航してるんですが、このラジオ講演の録音が聴けたのは、思わぬ拾いモノでした。テキストの字面では怒ってるんだけど、こうやって声を聴くと、諭してるんですよね。ちなみにこの講演はニーチェ善悪の彼岸』第八章と合わせて読む(聴く)べきものです。「ドイツ」をめぐるニーチェヴァーグナーアドルノというライン。ヴァーグナー論の、しかも序文なので、今はあっさりとしか触れられませんが、そのうち本格的に考えてみたいテーマです。優れた先行文献もありそうですし。
このヴァーグナー論を終わらせて、続けて近代ドイツ音楽論を出版したら、五感の思想史とビデオゲーム研究を本格的に始めたいのだが、その前に、やっぱりアドルノだよなあ。本当は博士課程のときにやろうと思っていた研究なわけだし。よく考えたら、翻訳をやっただけで、アドルノを主題とした論文・著作を一つも書いてないっていうのは、やっぱり良くないよなあ、浮気性で愛がまっとうできないのはダメだなあと、この声を聴いて改めて反省しました。
この先一体何年かかるんでしょうか。まあ一生かかってもやれるのなら本望ですが。