「通り魔」という言葉はもうそろそろ限界だろう

「誰でもよかった」とはいえ、「どこでもよかった」訳ではないだろう。
わざわざ静岡くんだりから東京のど真ん中にまでやって来ているのだから。
どうして秋葉原だったのか?という点については、今後、色々な人達が色々なことを言うのであろう。
そのうちのいかほどが価値のある言説かは例によって疑わしいが、まあ解釈=物語の生産は専門家達に任せておこう。(「秋葉原… やっぱり… いつかこういう事件が起こると思ってました」的発言が識者達の口から出てくるのが目に浮かぶようだ。)
今はただ一点、各種報道の中でこれが「通り魔」事件と呼ばれていることに違和感がある。
「通り魔的」というのならギリギリ分からなくもないが、決して「通りすがり」の凶行ではないことは誰の目にも明らかだ。
確かに特定の人は狙っていないが、特定の場所を確実に狙っている。
繁華街あるいは電気街一般ではなく固有名詞としての秋葉原=アキバである。
そのために周到な下準備をしている。
素人が運転できる車のサイズとしては最大くらいだ、きっとそこまではきわめて模範的な安全運転で行ったのではなかろうか。
しかしこれを的確に表現する他の言葉がないのも事実だ。この手の犯罪に十全に適合する概念自体がまだ見つからないからだろう。
現時点では通り魔ではなく、テロ、場所を標的にした自爆テロ、というのが一番近いのだろうか。
しかしよりによって、新宿でも渋谷でも六本木でも霞ヶ関でもなく、秋葉原とは。
しかし何のテロなのか。そして秋葉原とはこの場合、何の謂いなのか?
そこに何がある(あった)のか?
アニメ、ゲーム、オタク、インターネットといった安易なキーワードを「使わず」にそれを説明しなくては、説明できなくては、いけない気がする。