構造なき聖域改革

今日は西宮から妻の両親がうちに子守&片付けの手伝いに来てくれたので、昼間は義父のミニバンで自宅から研究室に荷物を運搬する。これも御縁だなと思いますが、義父は立命館出身で、衣笠キャンパスに足を踏み入れるのは三十年ぶりとか。「まったく違うよ。こんなきれいじゃなかったよ。」とある意味当たり前すぎる感想を言っていましたが、東大などは昔の面影が結構残っているわけですから、私学ならではの変貌ぶりなのかも知れません。
自宅の部屋の本棚の配置がなかなか決まらないゆえ、自宅に置いておくべき本と研究室に持って行くべき本の区分が決まらないゆえ、なかなかダンボールを空けて本を出せないゆえ、原稿の仕事や研究会の準備がまったく進められないゆえ、本日せっぱ詰まって「文庫と新書サイズ以外の本は原則としてすべて大学にもっていく」という蛮勇的決定を暫定的に下す。ただし例外として「今現在読んでいる本のみは自宅に持ち込み可」とする。「語学辞典等のリファレンスも研究室に置くこと」と取りあえずしてみた。さてどうなるか。これで晴れて、生産手段を自らの手元に所有しない、古典的定義通りのプロレタリアートとなりました。
私は元々、高校時代から、友人達のように図書館等では勉強に集中できず、絶対「勉強は家で」派だったので、この度の決定については、この先オレの研究生活ホンマに大丈夫かいなと自分でも大変心配。ただし今回は(1)自宅内での自分のスペースが減少、(2)家ではなかなか研究に集中できない、という理由から、やむを得ない決断でした。
(1)東京時代よりも自室は広くなった(四畳半→六畳に格上げ)とはいえ、自室以外に私の荷物がはみ出るのを家族内世論(=妻)から禁じられたがゆえに、モノをおけるスペースは実質的にほぼ半減。結婚してから初めて、私の部屋一つに私のモノがすべて収まりました。家中にありとあらゆるところに本や雑誌が散らばっていた独身時代には考えられなかったことです。かつ、自室の窓が二面に増えたために、たいへん明るいのはいいが、その代わり、本棚を置ける壁が減少。どちらかといえば、もっと光を、というより、もっと壁を、です。まだ本棚も組み立ててないのですが、「文庫と新書サイズの本」と「CD&DVD」を並べたら、それだけで壁面全封鎖になりそうな悪寒が。できれば、それ以外の本も最低限、自宅に置きたったのですが…。まあ優先順位から言うと、これでいいのかも知れませんが。だって、置く場所を交代して、研究室の壁が「文庫と新書サイズの本」と「CD&DVD」で一杯になったら、大学の研究室というより「ここって何の店?」あるいは「ここって何オフ?」みたいな感じになりますので。いい加減聞かないCD捨てなさいよ、という家族内世論の声もそろそろ聞こえてきそうです。いやでも、こっちも頑張って「聖域なき構造改革」を続けてきたんですから…。えっ、お前がやってきたのは単に「構造なき聖域改革」だろって? ギクッ!
(2)子供が複数いて、比較的家にいる時間の長い研究者(人文系)の方々、皆さんお仕事はどこでどのようにやっておりますのでしょうか? この春から新たに同僚(先輩)となった方に、三人子供がいて、かつ奥さんが仕事持ちだからあまり家におらず、子供の世話や食事ももっぱら自分でやってる、かつ研究・教育活動も普通の人の数倍こなしてる、というスーパーマンのような方がいますが、そういう方を見てると、何一つ満足にできない自分がホント情けなくなります。まあ人と比較しても仕方ないから、いいんですけどね。一体誰に似たのでしょうか、まるで機関銃のように喋る子がおりまして、しかも最近ではこちらが思いもつかないようなラディカルなアイディアをバンバン提示してくるものですから、もう何もできません。「メルちゃんとハナちゃんって、お名前が似てるねー! どっちも「ちゃん」だもんねー! あれー、どーしてかなー!」とか、ひらがなのシールみたいなやつを並べて「えーと、これは二番目の「お」(註:「を」のこと)だ。じゃあ「をほしさま」…」とか言われた日には、もう何もできません。研究どころか、仕事のメールを打つのもやっと。よく励ましてもらうように、子供が大きくなれば多少は楽になると予想できますが、そうこうしている間に、私の「青春」が終わってしまいます。脳が固まってしまいます(イメージ=油を固めて捨てるやつ)。下の子が小学校にあがるときに、私は何と不惑をむかえるわけです。このままろくに本も書けないままに脳が固まってポイって…。はぁ、恐いわー。「子供のどんな初歩的&ナンセンスな質問にも本気で答える」という私の育児理念=倫理がそろそろ限界をむかえているのかも知れません。かといって「お父さんそれよく知らないから」とか「お母さんに聞きなさい」とか「学校の先生に聞きなさい」って誰だって最初は言いたくないですよね。子供の教育の「外注」は、やはり近代資本主義的家族システムにとって必然的なのでしょうか? まぁ、幼稚園とか行きだしたら、今度はこっちが寂しくなるくらい父離れするかも知れないから、せいぜい今のうちは付き合うか…。と思ってはや何年。
で、その後夜は、家族四人で、京都に来てから初めてのちゃんとした外食。長屋を改造したワイナリーのある、とても落ち着いたイタリア料理屋さん。いやー、こんなお店がすぐ近所にあるなんて、京の都はやはりエエどすな! しかしながらシチュエーションがきわめてありえないもので、全部で八人の集まりだったのですが、何の因果か、残りの四人は、現役の国会議員が三人とその秘書の方が一人ですよ。まあ詳しくは書きませんけど、三人のうち一人は大阪選出で、私の学部時代の同期生(超ヒント)。一応わたくしめを含めたほぼ全員が「先生」状態なわけですが、そうした状況でも彼(女)らが互いを「先生」と呼び合うことを確認しました。尊称というか、単なる接尾辞ね。それはさておき、皆様、過密スケジュールをぬって、私たち一家のためにわざわざお集まり頂き、本当にありがとうございました。皆さんのハードな毎日のお話を伺うにつけ、同じく「先生」と呼ばれていても、大学の教師など、何て気楽な商売なんだと思いましたよ。まあ本人はそれですら精一杯ですし、何しろ儲からないんで許してください。夫婦共々、色々と勉強させて頂きました。大人でも普通はありえないような会食の場に、上の子供は気が張りすぎてか、お料理もほとんど口に入らず、途中で眠ってしまいました。大人の都合に付き合わせてしまって、ごめんなさい、今度は同じお店に家族水入らずで行きますんで、御容赦を(追記:結局、次の日知恵熱が出て病院行きました)。
週明けには、お呼ばれで、任天堂の本社に初めてお邪魔いたします。もろゲーム&ウォッチファミコン世代の私にとっては聖地みたいなものです。ワクワク。これも京都に来たことの大きなメリットですな。
とまあ、京都に来てちょうど一ヶ月経ちまして、引越モードも少し和らいで(片付けはまだまだですが)、お陰様で、元気に日常生活を回復しつつあります。相変わらず脳天気なことだけしか書いてませんが、最近「踏み絵」みたいなことを色々な場面でやらされていて、ここらで身辺を自覚的に整理=構築しなおさなきゃいかんかなと思っているこの頃であります。ハァ。