ジョナサン・スターン読書会

増田君が、関西の若手研究者(音楽学方面)集めて、Jonathan Sterne の The Audible Past の読書会やってると聞いたんで、さっそく出掛けてきました。
場所は梅田にある大阪第二ビルで、ここに市大の「文化交流センター」てやつが入ってる。自由に座れるホテルのラウンジみたいな感じのところで、英語文献の読書会をがっつり二、三時間。
そういえばこういう自発的な研究会が楽しくて、オレはこの道に進んだんだったよな、と忘れていた初心の喜びが久方ぶりに甦りました。ここ数年、忙しくて勉強会どころじゃなかったからなー。しかもホームグラウンドが変わって、一から出直し、という今のタイミングなので、嬉しさもひとしおです。
大学の教師がわれわれを含めて三人。大学院生は、阪大、京大、神戸大、民博から(面白いように)きっかり一人ずつ集まっており、さすがは増田君の人徳(もしくは男力)の賜物。もちろん内容もきわめて高度な研究会です。今度はぜひうちの学生も連れて行こうっと。関西の大学の現状や動向については、教師レベルでは色々と聞いていましたが、やはりあちこちの学生さんを直に見て、彼(女)らから話を聞くことが一番の情報収集になります。美学系、芸術学系の研究ができるのが、どこのどんな大学で、それぞれどんな先生や学生がおり、どういう人の動きがあるのか。そうしたことを知るためには、他大学の学生と接する機会はきわめて貴重ですね。まあそれは副産物として。
Sterne はご存じの通り、聴診器についての先駆的な論文(『聴覚文化リーダー』に入っているやつ)を書いていて、それについては昨年、私は福田さん(ちなみに良く誤解されるらしいが、彼はスターンの影響で聴診器研究を始めたわけではなく、たまたま同時期にやったとのこと)から色々と教わったのですが、この The Audible Past は、聴覚器具の歴史研究を押し広げて、いわばクレーリーの聴覚版をやろうとしている、野心的な仕事。しかも、彼が立てる「テクノロジーが先か、メディアが先か」という問いは(結論自体はどっちでもレトリカルな意味以上の価値を持たないと私は思ってますが)、クレーリー等では主題化されない、聴覚文化の分野ならではの話なので(だって蓄音機は聴覚の切り取りだけど、写真は視覚の切り取りではないし、ステレオスコープのような視覚器具はメディアとは呼べないし)場合によっては、すげーデカイ「近代噺」が出てくるかも、とワクワクしきりなんです。あっ、でもまだ肝心の本を買ってないんですがね。
「いやー、オモロイ本だねー。オレが助手とかやってて忙しくて勉強してなかった数年の間に、音楽学って進歩したんだねー。」と増田君にいったら、「いや、この本は吉田君が助手とかやる前に出とるで。2003年やから。」とあっさりバッサリ。
で、自己批判的に告白しますと、私は、方法論的にそれなりにきちんと消化しているのは、いわゆる(フランス)現代思想、(初期)カルチュラル・スタディーズ、それらを踏まえたニュー・ミュジコロジー、ポピュラー・ミュージック・スタディーズとか、せいぜいその辺までで、博論を書いている途中から良くも悪くも「自己流」に開き直ってしまい、その後の思潮って、自分の専門たる音楽学の内部のものですらまともにフォローしていないんですよね。渡辺裕先生のゼミでも、私が卒業して以降に、クックとか『聴覚文化リーダー』とか読んでいたらしいですから、今の博士の学生辺りとは、大分「世代の開き」(穴埋めを自分が勝手に放置しただけですが)があります。美術理論でもフリード、クラウスあたりまでしか知らないし。
怠慢でスミマセン、皆さん。ここ数年の遅れを取り戻すべく、これからガッツリ勉強しますんで、お許し下さい。研究者の「老化」はまずもって方法論的な新陳代謝の低下から始まる、という痛々しい実例を身近で散々目撃してきただけに(齢三〇幾らかでもう死に体をさらしている人々が学会等には実際おるわけです)自分はそうならないように必死です。
その後、同じ第二ビルの飲み屋で、読書会のじつに倍の時間の飲み会を開催し、久しぶりにひどい泥酔状態で帰京。大宮駅で降りるべきところを終点の河原町まで余裕で寝過ごし、ぎりぎりでまだ逆の電車があったので、二駅戻りました。
梅田近辺は、修士や博士なりたての頃、よく旅行客として来ていたところなので、ここがフツーに生活圏内に入った(自宅から一時間弱で着く)のかと思うと、何だか不思議な気分です。阪急東通りには、十年くらい前、今の嫁さんと初めて入った飲み屋とか、まだそのままあるのを発見しました。お初天神通りとか、この界隈、相変わらず大好きですね。
ところで私が関西に来てから、知事が交代したせいもあって、ニュースでは連日連夜、大阪府大阪市の行財政問題が取り上げられてます。よく分かりませんが、大阪がだいぶ酷い状況と言うことは伝わってきます。前から感じてたことですが、大阪と東京、都市の構造として何が一番違うかって、都心に住むか住まないか、ってことだと思います。東京はますます都心に住宅が密集する傾向にあるが、大阪は住宅地は都心から離れたところに形成される傾向にある。まあ後者のあり方がインターナショナルにはスタンダードなわけなので、むしろ東京が特殊なのでしょうが。恵比寿ガーデンプレイス六本木ヒルズみたいな超都心の高級住宅地は、大阪だとなかなかあり得ないんじゃないでしょうか。周囲の関西人に「大阪市だとどこに住むのがいいの?」と聞くと「大阪はどこも住みたくない」という反応がしばしば返ってきます。彼(女)らは、その多くが、通勤通学、買い物、娯楽などで大阪に行っているにも関わらず、です。その文化的、経済的繁栄を存分に享受していながら、絶対にそこには住みたくない。東京だったらありえない反応だと思います。
ただし東京は東京で相当酷い住宅事情にあるわけで、不動産の価値はほぼ中心からの距離のみで決定され(東京駅まで○分、新宿まで○分とかいうのが、その場所に関する説明よりも優先される売り言葉。)、一生もののローンを組んで買った家に住んでいる大多数の人間が、朝と晩の二回、満員列車・バスに押し込められる、しかも死ぬまで一生そう、今後も当分改善の見通し無し、という異常な事態が存続しています。高すぎる、というか人が多すぎるわけですね。私などは「仕方なく東京に住んでいる」「仕事さえなければ東京から脱出できるのに」と大人になってからずっと思っていたタイプなので、「仕事がないのに東京に集まって来る(留まっている)人」の気持ちがまったく理解できません。「チャンスを求めて東京に来る」といったタイプの若者はまだ存在しているんでしょうか? むしろ、そういう若者にわざと夢を見せて、結局は食い物にして、死ぬまで搾取して、ますます己を肥大させるのが、いまの「東京」である、といったらちょっとネガティヴに過ぎる見方でしょうか。「東京砂漠」とか言ってた時代の方が、まだ認識としてはより正確だったのかも知れません。いやそうは考えない、という方がおりましたら、スミマセン。ぜひ私に代わって花の都大東京で夢を実現させて、がっつり成功してください。
あっ、念のため言っておきますが、私、東京は全体として別に嫌いじゃないんですよ。ある種の消費文化的、高度資本主義的、搾取的な傾向が嫌いなだけで。あまのじゃくなもので。
そういう意味でも私には、小さい地方都市(京都には限りませんが)が性に合っているかもしれません。いくら「高級住宅地」に住めたとしても、毎日電車通勤で一時間、って自分の生活として考えられないし。
京都のことはまだよく分からんですが、現在最も人気が高い地区とされている(みたいです)御所南(学区)に新築されてるマンションに入る人達って、烏丸御池とか四条河原町辺りの企業に通うエリートサラリーマンなのでしょうか。だったら職場まで自転車か徒歩ですよね。そういうんだったら、まあ健全な気がしますが。まあそういう学区は、小学校とかで親同士の関係がきつそうなので、私はちょっと敬遠しますが。そういえば、旧学区が町内会の基本単位として、いまだに重要性を持っているのも、京都の特徴ですよね。うちの辺りは教業学区というのですが(ATOKでもキョウギョウって打つと変換されるし…)こっちに来てからすでに数人の京都人に「家は何学区?」と聞かれました。キョースマの特集号読んでなかったら、学区という概念自体、危うく知らずに引っ越すところでした。東京の(旧)学区とは全然意味が違いますわ。あと「インテリは左京区に住む」という湯川秀樹以来の京都的伝統をあえて無視して(そうした由緒正しいアドヴァイスをくれる方が結構おりましたもので)家探しをしたわけですが、立命館衣笠キャンパス)は左京区からはフツーに遠いですって。別にインテリじゃなくてもいいから、職場までは近い方がいいです、私。
明日は免許証の更新のため、伏見の方まで行ってくる予定。すんごく遠そうなんですが…。こればっかりは「地方に来た感」がありありだなー。世田谷のときは区内で出来たのにな…。赤羽のときだってせいぜいお隣の板橋で出来たのに…。電車で数十分、その後バスで数十分、しかもそのバスが数十分に一本って都会じゃありえねーな。訳の分からないお役所的な手続きのために(時間を割くのはやむを得ないとして)交通費なぞ一円たりともかけなくないオレとしては、ちょっとした転向が強いられるなあ。ついでに酒蔵でも寄ってくるか。一日がかりだなこりゃ。