1988年のクリスマスに君は何をしていたか?
少し前に話題になった「『丸山眞男』をひっぱたきたい」(『論座』1月号)がウェブ上で公開されているのを知り、読んだ。きわめて面白かったので、続けて著者・赤木智弘氏の『若者を見殺しにする国』を読んでみた。いやズバリ現代の名著でしょう。内容はもちろん、文体、スピード感、どれをとっても、ああ私の同時代人がここにいると思いましたよ。著者は1975年生なので、私より二歳下ですか。
若者が食い物にされている、あるいは資本によって搾取されているケースを、著者は様々にあげているのですが、もっとも印象に残ったのが「クリスマス」に関する一節です。なおこれは赤木氏のオリジナルな議論ではなく、堀井憲一郎『若者殺しの時代』に基づいたものです。
『anan(アンアン)』で初めてクリスマス特集が組まれた1983年を境に、クリスマスの意味が変化するという話です。簡単に言えば、それ以前は「家族の行事」「親からプレゼントをもらう日」だったのが、1983年以後は「カップルの行事」「彼女にプレゼントをあげる日」に変わった、ということです。雑誌が「おしゃれな若者」の行動様式をでっちあげて、この日に若者にお金を使わせるようにしたわけですね。1983年が「若者からの搾取のはじまり」と位置づけられるのはそのためです。そして少し遅れて、男性誌の『ポパイ』が初めてクリスマスに「彼女へのプレゼント特集」を組むのが1988年とのこと(それ以前は「欲しいもの特集」だった)。女性誌と比べて5年のタイムラグがあった、というのも面白いですね。
で、ここまで読んでハタと当時の自分自身の記憶が蘇ってきました。私はこれまでいつも「自分の人生の大きな転換期はいつ?」とか「いつ子供から大人になりましたか?」という問いに対して、「中学三年の時」と答えてきたのですが、それがちょうど1988年なんですよ。豊島区にある私立の中高一貫校の中学三年生だったのですが、周囲から距離を取って、マイペースで、本を読んだり、授業に出ずに街(主に池袋)をうろうろして喫茶店(主に今はなき蔵王)で時間をつぶしたり、古本屋をまわったり、学外の友人と付き合ったり、バンドを組んだり、あるいは生まれて最初に合コンなるものをしたり、そういう何というか、今の私に直結しているような行動様式が芽生えたのが、中学三年生のときだったんです。集団のなかでいかに自分のスタイルを通してやっていくかとか、世間に対するスタンスとか、人生の目標設定とか、金の使い方とか、そのときから今まであまり変わってないんですよね。で、よく思い出したら、私のクラスにも確かにいましたよ、『ポパイ』とか『メンズ・ノンノ』を読んでる奴ら。当時からろくに相手にしてなかった奴らなので、今回赤木氏の本を読まなかったら、一生記憶の底に沈殿したままだったと思いますが。あと、渋谷のセンター街を中心に「チーマー」と呼ばれる、チンピラ性とおしゃれ性を兼ね備えた若者達が出現したのも、ちょうどこの頃でした。友達の友達くらいの関係でそういう人達が結構いましたが、センター街には怖くて学生服では近づけなかったですね。ただ、今考えると何のことはない、彼らチーマーは、資本主義的に搾取されていたわけです。実際彼らの大半は、高卒または中退で「フリーター」を名乗ってました。フリーター=カッコイイ=もてる、という図式が見事に成り立っていた時代です。
これまで自分の中では、中学三年当時の私が自己を確立する過程で「反抗」していた相手は「学校」だと信じ込んでいたのですが(色々と厳しい学校だったので)、この本読んで分かったのは、あの当時の私はむしろ「社会」そのもの(マスメディア、流行)に抵抗していたんだな、ということ。だったら、それが今の私につながっていて当然です。そして、どうして1988年という年に私に「大変化」が起こったのかも、堀井=赤木の議論によって大体説明がつくような気がしました。つまり15歳の私は、格好良くいうとバブルを拒否した、格好悪くいえばそれに乗れなかったわけです。で、その時点で即座に行動様式や趣味がオヤジ化したわけです。それ以降の私にとって「おしゃれなクリスマスの過ごし方」は、お笑いのネタかもしくは都市神話の一つになりました。しかし将来私の嫁さんになる人は、四つ上なので、このとき大学一年生でバブルをモロに謳歌(自称)していたんですよね。そう考えるとズルい上に、ちょっとエロいですね(笑)。