お久しぶりです

十月は大学人にとって鬼門です。後期授業の本格始動、学会とそれに伴う移動や会議、人事に関する諸事、来年度に向けての書類作成などなど。私みたいな下っ端の人間はこれらすべてにモロに巻き込まれて毎年ヒーヒー言わされるわけです。自分の体力以外、誰も助けてはくれません。神無月とはよく言ったものです。さらに極私的な問題として十月はおおよそプロ野球の優勝決定期であり、おまけに今年は妻の出産シーズンも重なって、死にました。万一これに中日のリーグ優勝が重なっていたら、比喩でなく死んでいた(あるいは仕事の一部を放棄して大顰蹙)と思うので、途中で優勝争いから脱落してもらって不幸中の幸い。日本中日党党首のハセガワQ氏(伝説の雑誌編集者)からは「プラチナチケットと予想して買い占めたものの紙屑化したチケット(第一次大戦時のマルクのごとし)が大量にあるので、シーズン最終戦の横浜戦で外野で大勢集まって飲み会をやる」という素敵な企画のお誘いを受けたのですが、カタギの人間としてもちろん丁重にお断りしました。そういえば去年はみんなで東京ドームで胴上げ見たなあ。

とにかく移動が多い一ヶ月でした。今手帳を繰ったら、九月末から一ヶ月の間に新幹線に七回も(往復だから計十四回)乗ってます。じつに二日に一度のペースですわ(実際には日帰りもあるわけですが)。こんなに移動したのはちょっと記憶にないですね。きっと自己ベスト(気分的にはワースト)でしょう。新幹線のなかって空気が乾いているので、おかげで喉の風邪を長く患ってしまいました。

今週になってようやく長距離移動から解放され、ようやく日常生活が回復されたのですが、日頃あれほどキツイと思っていた週五(今週末はうち主催の研究会があるので週六だけど)の平常業務が、不思議と楽ちんに感じられます。これがいわゆる錯覚ってやつですね。おかげで来年度以降の研究生活の下部構造を決定する例の大事な書類作りも何とか提出できました。ガッツリ行きたいですよね、みなさん。しかし何がありえないって、この歳になって、しかもこの「ハイテク」の時代に、「糊付け」ですよ。しかもプリッツ駄目って言うから、古典的なチューブタイプの糊を使って、手をべたべたにしながら、八部を作成しました。

そんなこんなで報告が遅れましたが、14日の早朝に、二人目の子供が無事に産まれました。またも女の子です。おかげさまで母子ともに安泰です。予定日よりもだいぶ前だったのですが、本当に偶然ですが、関西方面の出張と重なったために、出産に立ち会うことができました。難産だった一人目と違って、非常に短時間(病院に入ってから五時間)で出てきたので、前みたいに深夜に連絡をもらって東京から新幹線の始発(のぞみ1号)で向かっていたらきっと間に合わなかったことでしょう。本当に怖いくらいの偶然。というか、生まれてくる子が私を呼び寄せたとしか思えません。名前はもう決めましたが、出生届はまだ出していません。出したらまた色々書類ワークが待ってますなあ。保険関連(職場、役所)、出産一時金の申請、幼児医療費証の発行、あと何かあったかな? よく考えたら、平日に役所に行く時間あるのかな、オレ。

妻が執筆者の一人である『CD付き もう一度学びたいオペラ』(クラシックの続編)は、最終版ゲラが出産で入院する直前に来たので、私が最終チェックをしました(出産前後はあまり目を使わない方がいいというのが定説)。それを出産後の妻と確認した後、先方に連絡し校了。もうすぐ出るはずです(11月初めには書店に並ぶとの情報)。緊急事態とはいえ、仕事柄、私が代わりにできたので、迷惑をかけずに済んで良かったです。夫婦同業(厳密には違うけど)の数少ないメリットでしょう。この本の監修者であるおさーむ氏がウィーンから一時帰国するというので、彼を含めて著者数人(もともとみんな飲み友達なわけですが)が集まる飲み会が日暮里であって、木曜日に三コマ授業した後に「四コマ目」として参加したのですが、今振り返ると、あの日に無理して致命的に風邪をひきましたね。

早稲田の後期の講義「感性の問いへの現在」が始まっています。「聴覚文化論」というテーマを立てていて、すでに二回私が喋りました。非楽器音の歴史、シンセサイザーYMOゲーム音楽、テレミン、ケージ、未来派、といったことをやっています。大学の授業で、オウム真理教の音楽を流し、またエミュレータでゲームをプレイしている様子がプロジェクタに映されたのは、おそらく史上初なのではないでしょうか。菊地なにがしを髣髴とさせるこの手の講義を受けてみたかった、といった感想があり、ちょっといい気になってます。早稲田では初めて教えましたが、さすがに学生のレベル高いですね。この講義では、ゲストスピーカーとして11月8日に種子田郷さん、11月15日にELEKTELのpolymoogさんをお招きします(polymoogさんは最近でた『大人の科学 テレミン』にも記事を執筆してます)。もぐりも大歓迎です。すでに多数おります。

この間、知り合いの編集者や著者から御贈呈頂いた本を、御礼の意味をかねて紹介します。
・伊東信宏編『ピアノはいつピアノになったのか?』(大阪大学出版会):ドイツ・ナショナリズム研究でいつもお世話になっている松本彰さんから。
・Th. W. アドルノ著/龍村あや子訳『新音楽の哲学』(平凡社):平凡社の編集さんから。『アドルノ 音楽・メディア論集』と同じシリーズです。
・ジェフリー・ペイザント著/宮澤淳一訳『グレン・グールド、音楽、精神』(みすず書房):国立音大で懇意にさせて頂いている宮澤さんから。ペイザントはカナダの音楽学者で、ハンスリック研究者でもあります。
・Takashi NUMAGUCHI. Beethovens Missa Solemnis (Verlag Dohr):同じく国立音大の沼口隆さんから。ドルトムント大学に提出した博士論文。近年ドイツの音楽学で盛んないわゆる受容史研究の、良質なアウトプット。一つの作品を対象にしたものとはいえ、一人でやりきるのはすごい。ただこれだけの厚さのドイツ語の本なので、一生読み終えることができない予感。
・『MAMEのすべてがわかる! 究極マスター』(晋遊舎):いつもゲーム関係のネタを提供してもらっている若い友人、吉田裕一くんから。同時期に出た『エミュ研』アーケード版がソフト(ロム)に特化しているのに対抗して、こちらはハード面(エミュレータ本体、基盤、筐体)に特化してます。
川村邦光『聖戦のイコノグラフィー』(青弓社):青弓社さんの編集さんから。
・竹峰義和『アドルノ、複製技術へのまなざし』(青弓社):青弓社の編集さんから。そういえば私が竹峰さんを紹介した気がするが、出版で先を越されてしまい、少なからず焦り気味(笑)。
・『Cirque TZARA』n. 2 par Club Tzara:多摩美の築野友衣子さんから。私もかつてやっていたから分かるのですが、この種の同人誌を半年に一度出すのは、すごいエネルギーを要します。熱意、若さ、実行力、プラスアルファがなければ無理です。彼女にはこれらがすべて揃っているのでしょう。学生時代にこういう仕事ができる人は、将来どんな業界に入っても成功するでしょう。
自分の本の仕事がまったく進んでいないばかりか、こうして頂いた本ですら、まともに読み終えられないのが歯痒い限りですが、遠からず恩返しいたしますので、しばしご猶予を頂ければ幸いです。

またクラシック音楽関連の仕事として、以下が出ました。前者の論考は、後者の曲目解説とリンクしていますので、ぜひ合わせてお読み下さい。
「19世紀の人々はどのように音楽を聴いたのか?──「聴くこと」の考古学に向けて」(『フィルハーモニー』2007年10月号)
ブラームス 交響曲第一番」「同 交響曲第四番」「同 ピアノ協奏曲第一番」(NHK交響楽団定期公演プログラム、2007年10月)

また某美術大学の紀要に「テレビ・ゲームの感性学に向けて」という原稿を投稿しました。テーマが斬新すぎるのでリジェクトされてもいいや(というより、あちらの反応を試してやろう)と思っていたのですが、どうやら掲載されるようですので(さすが、懐が深いですね。恐れ入りやした)出版が近くなったらまたアナウンスします。私としては初めての「アカデミックなゲーム論」です。エレメカレーシングゲームからクラッシュ・バンディグーまでの、画面のスクロールの問題が主題となっています。本当はダイレクトにゲーム音楽論に行きたいのですが、まともなゲーム論(四方田さんの記号論的マンガ論に対応するような)がないために、私が土台からやらなくてはならないのは少々キツイです。楽しいからいいんですが。

では皆様、良いお年を(おいおい)。