手短に現況報告

・だいぶ長いこと音沙汰無しですみませんでした。
・この間、報告しなくてはならないことが色々とあった(はず)ですが、パッと思い出せないので、現況のみを。
・ただいま、妻が出産のため、娘を連れて、実家に長期帰省しております。すでに御報告済みの方もありますが、予定日は十月下旬です。このため久しぶりに独身生活中なのですが、花の独身生活を満喫するどころでは全くなく、炊事洗濯掃除ですでに手一杯です。昼夜逆転している身にはゴミ出しもきついです。一人暮らしの社会人がいかに頑張ってるか、そしてふだんの自分がいかに腑抜けていたか、よく分かります。妻に先立たれたか熟年離婚した中高年男性と状況としては全く変わらず、家のなかのどこに何があるのか分からないことしばしば。一人暮らしになって一週間ちょっとなのですが、情けないことに、もういいわ、という感じです。ふだんは憧れている外食が自由にできるのも一人暮らしの特権なわけですが、これもそう長くはもちそうにありません。とくに大学(授業)が本格的に始まったらどうなるのか、いまから心配です。まあこれでも十年以上一人暮らしをしていた人間なので、そのうち勘が戻るでしょう。で、やっと戻った頃に、妻子が乳飲み子と共に帰ってきて、さらなる修羅場が待っているわけですが。
これのオペラ版がでるそうで、妻が共著者の一人となっております。ちょうどつわりの時期に頑張って書いておりました。私はもっぱら資料集め&文章チェック係。いつまでもうだつの上がらない=本が出せないダンナを尻目に、あちらの主婦様は着々と業績を重ねておられます。で、この企画、主幹者が目下出国中とのことですが、もうすぐ出るんですよね? 出産までに出ますか?
・出産といえば、神谷整子という自宅出産を専門にやっている助産師さんがおり、一人目の出産のとき、われわれが北区の出産準備講座に参加したら、この人が講師でした。区がやってる企画だからどうせたいしたことないだろう、とタカをくくって行ったのですが、大間違いで、「出産哲学」とも呼びうる神谷先生のお話は無料で聞いてしまって良いのかと思えるほど充実したものでした。「皆さん、病院に入ったら自然に赤ちゃんが産まれる、病院の先生が産ませてくれると思ってませんか? 違います。自分が産むんです。どこで産もうが、産むのは自分です。自分の力しか頼れないんです。」という言葉が(自分は産まない身ながら)今でも強く心に残っています。彼女はこれでもかというくらい妊婦に対して「厳しい」のですが、それが一々説得的・合理的で、本当に恐れ入りました。大袈裟に言えば、自分は太古の昔からの人類普遍の智慧(この場合は産むための技法)を次世代に継承しているんだという崇高な自覚=オーラすら感じました。ただ者じゃないとは思ったのですが、後で家に帰って調べたら、も書いてる人でした。それを思い出したのは、最近、NHKの番組「プロフェッショナル」に彼女が出演していたのを見たからなのですが、かなりのカリスマになられているようですね。自宅出産に興味のない方(うちもそうですが)も、一度話を聞いてみることをお奨めします。いまも区の仕事を続けているかどうか知りませんが、このブログを読んでいる北区で出産予定の方(いるか?)は、ぜひ問い合わせて行ってみてください。
N響のプログラムノートにブラームス交響曲の解説と、『フィルハーモニー』に「聴取の考古学」なる論考を書きました。後者は自分としては初めてのテーマに挑戦したものです。何を書いてもいいという編集側の珍しい(粋な)計らいがあったので、ブラームスの曲目解説とリンクさせて、これまで考えていながらちゃんと文章にしたことがない、一九世紀後半(つまり大衆化した聴衆の教養低下が自覚され始めた時代)の作曲技法と聴取の結びつきを論じました。聴取論はやろうと思うと難しく、あのアドルノでさえ「ちゃんと聴かなくちゃダメよ」みたいな陳腐な主張に終始してしまうので、今回はまず、複製メディア出現以前の「一発勝負」の演奏会の聴取体験を今日われわれが想像するのがいかに困難か、ということから考えはじめ、徹底的に歴史的(考古学的)スタンスから論じたわけです。多分、今月中には出ると思うので、感想を頂ければ嬉しいです。オングやキトラーの仕事を踏まえ、聴取の様態史として音楽史を再-記述することが、今音楽学者に求められていると思いますが、誰もやらなければ、私が次にやりたい大きな仕事にしたいですね。
・今から資源ゴミを出しに行きます。