私の一週間(6/5-6/11)

6月5日(月)
 本郷。先週電話をもらってたCDが届いてた。いかにも手作業で焼いたCD-Rで、ラベルすら貼ってない。紙切れに「奇想天外ロック」というタイトルが書かれて添付。プラスチックケースじゃなくてバンドルされてるCDによくあるビニール袋。何すかこれ。とりあえず死に舞君あたりにでも聞いてもらおうか。なんだかんだで大学出るのが遅くなって、顔を出そうと思っていたICCのレセプション&内覧会には行けずに残念でした。ごめんなさい。再起動期待してますので。>関係者の方々

6月6日(火)
 多摩美、国立音大とまわって講義。多摩美の二コマ目ではペイターの「ジョルジョーネ派」を読んでいる。これは「全ての芸術は音楽に憧れる」というテーゼで有名な論文なのだが、それ以外の点がきわめて微妙。とくに、美術史って百年でこんなに状況が変わったのかというくらい、作品の同定が今とは全然違う。例えばペイターはジョルジョーネ作として論じているが、今日ではティッツァーノ作、とかそんなのばかり。音楽の形式主義ロマン主義批評を経由して美術の世界に入り込み、それが二十世紀の抽象美術のパラダイムを準備した、というお話をするだけだから、具体例は二の次なのだが、こうまで修正すべき点が多いとせっかく図版を見せて解説してても力が入らない。困った。音楽史の場合は「モノ」だけが残っていて作者が不詳というケースが美術史よりも相対的に少ない(偽作問題はあるにせよ)ので、一昔前の批評や研究がここまで残酷かつ客観的に「読むに足らない」存在に転落することはあまりない気がする(方法論やスタンスが古いというのは別問題だ)。なかなか興味深い違いだ。まあそもそも「作者の同定を間違えているなら、その作品評を読んでも意味がない」と感じてしまうこと自体、「作者」概念のシバリなわけだが。

6月7日(水)
 遅くまで寝てたら急に大きな音がして飛び起きる。洗面所で歯磨きの練習中、娘がふざけて踏み台(洗濯物入れにベニアをのせたもの)から落ちた模様。頭を打っていたので心配するが、私が犬の鳴き真似をしたら泣きやみ、二軒となりのモモ(メス、五歳)に会いに連れて行くと機嫌も直ったので、一安心して本郷に。仕事はソフトランニングな一日。夕方から助手・職員懇親会。他学科の助手さんや事務や図書館の人と紙コップで酒を交わしつつ、互いに常日頃の労をねぎらう場。あと業務に関わる様々な裏技などを新米が伝授してもらう場(極秘)。ちょうど上の階で教授会の延長で「茶話会」をやってたので、「体制寄り」の人はそっちに流れて、こちらは反体制的なただの飲んべいが集まった模様(笑)。同じ建物内で仕事をしていながら、こうまで年齢もビルドゥングも人生観も業務内容も異なる(老若)男女が集うのは、不思議な感じだ。東大の事務の人がどういうリクルーティングによって集っているかなど初歩的な事柄から根ほり葉ほり質問。助手は西洋史駒場時代の同学年(隣のクラス)、英文が一年下(下クラス)と一部腐れ縁であるが、基本的には知らない人ばかりの雑多な集まりである。珍しく酔って帰宅。

6月8日(木)
 朝、JRが調子悪く、新宿の手前で二十分くらい車内で待たされる。荷物重いのに。家から新宿まで一時間近くかかったよ。ありえない。桐朋、聖心で講義をした後、広尾の喫茶店で時間つぶしに読書。宮本さんの『教養の歴史社会学』等をパラパラ。久しぶりにこういう時間が取れた気がする。サントリーホールで、大植英次ハノーファー北ドイツ放送フィルによるヴァーグナー・プログラム。プログラムノートに「『第九』神話を超えて──ベートーヴェンヴァーグナー」という文章を書きました。《ヴァルキューレ》をコンサート形式で堪能する。二曲もアンコールをやって、ちゃんと各幕の序奏もフォローしてくれました。多分今日の曲目を振らせたら彼は現在日本でトップの指揮者だろうと確信。途中、娘が熱を出したとの連絡を受けていたので、終わったらそそくさと帰宅。

6月9日(金)
 娘はどうやら突発性湿疹(赤ちゃん湿疹)かも知れない。まだ罹っていなかったので、ようやく来たかと一安心でもあるが、熱が出ていることに変わりはないので、心配は消えない。本郷に夕方までいて、神保町に移動して学会誌の校正作業。七時半をまわっていたので、古本屋が全部閉まっていて残念。帰宅後、夕食を取りながら、昼間電話をもらっていたCDのライナーノートの仕事の打ち合わせを電話で。一から調べなくてはならない内容だけに、一体どこにそんな時間あるのかと躊躇したが、他ならぬ友人を通した依頼なので引き受けてしまう。主体的に選択するよりも巻き込まれることで人生は進んでいく、というのが私の人生観なので、まあいつもの調子なのだが。

6月10日(土)
 大塚のホテルでいとこの結婚式。少し早く出て大塚駅周辺をうろうろ。天井の低い通路、ロータリー、都電の駅の雰囲気。この駅だけはホント、昔から変わってない。越澤明『東京都市計画物語』を読むと、1936年に決定された大塚駅前広場計画が戦後に実行され、図面をみてもほぼそのままのかたちで現在まで残っている。同じときに計画された新宿、渋谷、池袋がその後再開発で大変貌していることを考えれば、大塚は戦前の都市計画のプランが今日まで残る稀有な街だろう。式場のホテルはいかにも結婚式専用(日が良いのか知らないが五件くらい同時進行)で、お世辞にも品が良いとはいえないが、少なくとも私が高校の頃にはまだ建ってなかった気がする。なんでこんなところに建てたのか謎。その向かいにあるパチンコ屋は、中学の時の担任が授業の合間によく通っていた店で、なぜかこちらが学校をサボっているときに限って、その近辺で鉢合わせするのであった。そのパチンコ屋はまだあったが、担任は昨夏に帰らぬ人となっている。大塚は高校卒業してからほとんど行く機会がないため、どうも感傷的になっていけません。池袋や板橋はすでにノスタルジーが払拭されているのだが。

6月11日(日)
 雨の中、自転車で赤羽をうろうろ。たまりにたまっていた写真を現像に出し、学科旅行の差し入れのために赤羽の地酒「丸眞正宗」の純米酒を一升瓶で購入。珍しくドラゴンズの試合がテレビでやってたので見るが、ウッズのゲッツーにキレて消す。娘は熱が下がったのだが湿疹が出る様子はない。ただの風邪だったのか、残念(という言い方は変な気もするが)。どうせ一度来るものは早く来て欲しい。