私の一週間(5/29-6/4)

日記風に一週間を振り返って、なかなか会う時間が取れない人に向けての近況報告に変えようという思いつき。

5月29日(月)
本郷。客人が多い一日。オンデマンド出版で博士論文を出してもらう業者の人が見本を持ってくる。なかなかの出来だ。著書を出すまでの「つなぎ」としては十分だろうと思い、お願いすることに。ISBNは付かないとのことなので、懇意の出版社に分けてもらう画策中。下の階の社会学研究室の助手の宮本さんが新著をもって御挨拶に訪ねてくる。こうして「再会」するとは、不思議な因縁。すでに持っていたので献本は辞退する(もう少し買い控えていれば。残念! 私の論文が参考文献にあがっているのを知って即買っていたのだ)。彼女の切り口は「教養」で、方法は歴史社会学だが、私のドイツ音楽思想史研究と通じる部分が大きいと感じる。でも芸大から東大に移って社会学で博士論文を書いてしまうのだから天晴れだ。で、社会学でやる書評会でのコメンテーターを要請されたので、受けることに。久しぶりに社会学の若手と交流するのも楽しみ。

5月30日(火)
多摩美一限「美学」。ベンヤミンの複製技術論を読んでいるのだが、今日は寄り道としてレコード黎明期の話。ちょっと前にやった写真の黎明期の話よりも、学生の食いつきがよく、美大なのにと少々意外。来週は初期民族音楽学と鑞管レコードの話をしてしまおうと決意。二限の「音楽と美術」はバーベリアンの《ストリプソディ》を聴き、読譜した後、ペイター「ジョルジョーネ派」の話に入る。芸術境界論はさすがに常に学生の食いつきがよい。今年は半期なのでレッシングをきちんとやる時間がないのが残念。いつものように多摩センターで昼食を取ってから、国立音大に移動。四限はダールハウス絶対音楽の理念』の輪読。絶対音楽に対するヴァーグナーの微妙な立ち位置、それに輪をかけて微妙なニーチェ。それを整理するのが大変だし面白い。この授業は今年一番少人数で、学生も熱心。飲み会も計画中。雨が降りそうだったので、授業後はさっさと帰路へ。でも降られた。駅のアーケード部分端から家まで、走って一分程の間にびしょ濡れに。

5月31日(水)
赤羽で所用をこなした後、本郷へ。月末なので書類作業が多少煩瑣。聞いたこともないレコード会社がプロモーション用文章を書いてくれというので、取りあえずCDを送ってもらうことに。宗教絡みとかだったら困るなと思いつつ。生協書籍部に寄ったら高田里惠子『文学部をめぐる病』が文庫になっていたので、ニューズウィークの「高学歴難民」特集と一緒に購入。この種の「病」研究の音楽版(ケーベル先生とかが感染源)をやったら面白いと以前、秋庭さんと話していたことを思い出した。通帳をチェックしたら、共済の側の怠慢で国民年金が依然引き落とされていることに気付き、ちょいキレた。月に夫婦で二万六千円も余計に払えるか。妻に電話をかけてもらい、じんわりと締め上げてもらった。

6月1日(木)
桐朋で二限の講義。佐々木俊尚『グーグル』を題材にしたインターネット文化の功罪の話。手始めはグーグルニュースがもたらしたインパクトと諸問題。ちょっと難しいかも知れないから、ゆっくり消化してもらおう。その後、渋谷を経由して広尾に移動。今日はめずらしく渋谷で少し時間があったので、何年かぶりに古書センターに立ち寄れた。収穫はなし。聖心ではフィッシンガーの後期作品の話。木は週で唯一「早上がり」の日なので、赤羽に帰ってファックスで一本校正を送った後、三人で散歩、買い物、クリーニング屋など回る。

6月2日(金)
神保町の印刷所に学会誌の仕事のため家から直行。その後、少し本屋をひやかして、本郷へ。ゼミ、校務をこなした後、地下鉄に飛び込み、七時ぎりぎりに紀尾井ホールに。アルバン・ベルク四重奏団モーツァルトバルトーク・プログラム。S席を頂いたので、無理して仕事を片付けて駆けつけることができて良かった。ノーベル賞の小柴さんも同じ並びに(アンコールのときには帰ってました)。初めて聞いたバルトークの第四番に驚愕。奏法の斬新さに耳を奪われて、形式的工夫を十分に把握できなかったのが残念。ABQが全六曲録音しているので今度CDで聞いてみよう。昼間のゼミでは太田さんのバルトーク論を聞いたので、今日は思いがけずバルトーク・デイになった。お誘いがあった表象文化論のOB会はやむなく欠席。すみません>関係諸氏。帰ったら連載最終回が載ってる『フィルハーモニー』六月号が届いてた。

6月3日(土)
十時頃に起きて、先に近所の公園に出かけていた妻と娘に合流。娘は滑り台の階段を自力で登れるようになった。後ろに手を添えてないと危ないけど。昼食を食べてる(食べさせてる)うちに美学会の例会には間に合わない時間に。委員会だけ出席しに慶應に向かう。発表を聞かず会議だけとは不毛な気もするが、今日は大事な案件があるので仕方ない。委員会終了後、再開発が激しい慶應通り周辺の飲み屋エリアへ。どこかで取り壊す民家をそのまま移設してきたような「古民家風居酒屋」に入る。入れ替わりの激しいこのエリア。住宅地をつぶして建てたこの「古民家」が、二十年後には普通の住居として使われてたら面白いのにな、と想像。その店でどんな会話が繰り広げられたかはとても書けない。いや書くまい。

6月4日(日)
今日十分寝とかないと明日から辛いぞと思い、意識的に二度寝。しかし起きたらさっきまでいた妻子の姿がみえない。すわ逃げられたと思って電話したら東京駅の大丸で買物中とのこと。ああそいつは午前中からセレブな調子でよいざますねえ、とこちらは家で待機。赤羽駅で合流して、ものすごく久しぶりに家族で外食。前から狙ってたビーフシチュー・ランチを食べる。とはいえサンメリー(本店と工場が地元にあるのだ)なので三人で1,500円程度とリーズナブル。その後、魚屋で晩のおかずに旬のアジをおろしてもらい、近くのホームセンターで娘にワンワンをみせて帰宅。土日の赤羽はちょっとした「オマチ」状態で、近隣エリアからも車でわらわら人が集まってきて(足立、大宮ナンバーがいつも以上に多い)、ショッピングモールも明らかに非日常的な混み具合。子供連れも目立つ。休日に赤羽に連れてきてもらい満足してる子供はどう考えても親に騙されてると思うのだが。そのためか、いつも買ってるオムツがすでに売り切れで困った。

こうやって書いてみると、自分がいつ何をやったかよく分かってとても新鮮だ。慌ただしいだけの平板な毎日が過ぎてるように感じるが、振り返ることで一日一日の個性が際立つ(というか捏造されるわけだが)というのも悪くない。アリバイ作り(?)にもなるし。またやってもいいかしら。