産むより案ずるが安し?

厚生労働省発表の2005年の人口動態統計によると、出生率が過去最低だった前年を更新し、1.25まで落ち込んだらしい。東京都は0.98で初めて1.00を割り込んだとのこと。
この「出生率」とは、一人の女性が一生に産む子どもの数に相当する「合計特殊出生率」とのことで、どういった現実に対応するのか、いまいち分かりにくいが、大雑把に、今現在いる子供の数と仮定してみることにした。
うちの近所でいつも連んでいる子育て仲間がいて、うちも合わせて五世帯なのだが、一人っ子が三世帯、二人兄弟が二世帯だ。すなわち五人の母親に対して子供が七人いることになり、ちょうど一人当たり「1.25人」だということにさっきふと気が付いた。つまりこのコミュニティはまさに日本の平均なのだ(東京平均よりは高いが)。
ただし、この五世帯をみてると、数年のうちに子供があと二人くらいは増えそうだ。そうすると、五人の母親に対して子供が九人で、一人当たり1.8人となる。これは沖縄を抜く数字だ。ただし「長期的に人口を維持できる水準」である2.07にはまだ及ばない(全員が二人産んでもまだ足りない数字だから仕方ない)。
経験的な印象としては子供を産む人は一人に終わらないケースが多い。まったく産まない人に足を引っ張られる(言い方は悪いが)かたちで全体の率が下がっているだけで、産む人だけを対象にして統計をみたら、案外、昔と変わらない数値を示している(あわよくば2.07を超えている)という可能性はないのか(そういう風に応用がきく統計かどうかは知らないが)。ただし「三人目の壁」という言い方もあるくらいなので、二人までは「一人っ子はかわいそう」的な動機で産むことが多かろうとしても、三人目となると少し違う判断があるのだろう(無計画なら別だが)。その意味でも1.25という数字には意味がないので、あまりそれを正面から捉えない方がいいだろう。
むしろ注意を向けるべきは、産む人と産まない人(非婚者含む)のあいだの意識あるいは生活様式の隔たりの拡大である。少なくとも東京の都市部では、子供がいない人達にとっては子供がいる生活が不可視になっており、逆に、子供がいる人達にとっては子供がいない生活が不可視になっている、という傾向がありはしないか。実際、自分たちを反省しても、子供ができる前は、どこの百貨店に授乳室があるかなど知らなかったし関心もなかった。反対に今となっては、店を選ぶときもまず子供用の設備をチェックする。近所付き合いもおよそ同年代の子供がいる人達が中心だ。子供が学校にあがったらますます、子供を持たない近隣住民との接触は減ると思われる。少子化の問題から離れても、この「相互不可視性」は地域コミュニティを分裂させる危険なものである。両者をつなぐことは難しいとしても、せめて互いを「可視的」にするべきだろう。元来マーケティング用語とはいえ、「DINKS」なる概念の浸透も、都市部におけるこうした「隔たり」を助長・正当化するものとして警戒が必要である。
いずれにしても、政府が本気で対策を講じようとするなら、この両者の隔たりを直視して、はっきりと異なる二種類の処方箋を出すべきだろう。例えば、産む人(すでに産んでいる人)向けには「三人目の壁」の解消に力を入れ、産まない(産めない)人向けにはまず一人目を産めるような環境を整備する、などだ。後者はどこから手を付けていいか分からないとしても、前者は比較的手を付けやすい問題のはずだ。そして結果的に「三人産む女性」と「まったく産まない人」に二極分化したとしても、出生率1.5で今よりはマシなのだから、それでいいではないか。
まあこうして色々案じてもみても、結局は絵空事で、そもそも少子化は「上から」の努力でどうにかなる種類の問題とは思えない。言うまでもなくもっとも問題なのは、少子化そのものではなくて、少子化によって自己を維持できなくなる国家システムなので、出生率1.25でも持続可能な福祉厚生システムへの漸進的移行が政府としてはもっとも急務で現実的な解決法だと思うのですがね。