義江彰夫先生退官記念パーティ

昨日(4/1)は駒場義江彰夫先生の退官記念パーティーに行ってきた。
学部一年のときのゼミで初めてお世話になったので、ほとんど同窓会のような感じ。
つねづね自分の活動環境にストレスが溜まっている私だが、同じく研究者の道に進んだ同期の人々を見回せば、「まだマシ」かなと少し反省も。まあ下を見たらキリがないわけだが。

考えてみたら、私が駒場に入ってからもう14年も経つ(1992年入学)。
何となく大きくなってきたつもりでいたが、明らかに現時点とは「切れてる」なと、昨日、初めてリアルに実感。
私が変わった以上に、駒場が、もっと言えば日本がすっかり変わってしまったのだ、と。

このゼミのOB・OGによる雑文集をもらって今日読んだ。義江先生の退官に際しては、日本史プロパーの弟子筋による記念論文集が三巻本で(スゲー)出るらしいが、門外漢の私にはそんなものよりも、傍流の弟子が集まったこのゼミの雑文集の方がよほど興味がある。忙しさに原稿募集に応じなかったことを激しく後悔。寝る時間がありながら、恩師の想い出のためにわずかな時間も割けなかったのか、この恩知らずの男は。

この雑文集のなかで、私より十年先に入学したあるOB(東洋思想研究者)が、駒場の想い出を振り返りながら、中沢新一問題(1988年)とオウム事件(1995年)を一続きに論じていて面白く読んだ。彼にとって後者は駒場を去ってからの出来事で、私にとって前者は駒場に進学する(ことを決める)以前の出来事である。だが確かにこれらは「駒場史」のなかでつながっている。で、ひょっとしたら、これら二つの事件に、いわゆる一連のカリキュラム改革(私の一年下の学年からスタートした)と駒場寮解体(1997年)を付け足せば、駒場が辿ってきた紆余曲折、あるいはあえて大げさに言えば、日本全体の知的状況の(必ずしも好ましくない)推移を描けるのではないか、ということを思いついた。
もちろん駒場がヤバイわけではなく、そこは日本のなかでももっともマシな場所の一つである(少なくとも、あった)。だからこそ、駒場がここ十数年で経験した出来事と変化は改めて考えるに値する。わずか十年前とはいえ、当然、今とはまるで違う。あの頃の私が今とはまるで違うように。それはすでに歴史だ。

神仏習合』(岩波新書)で一つのまとまりをみた、義江先生の日本宗教思想研究は、最近の言葉でいうアカルチュレーションの問題を扱った先駆的研究であり、かつテーマがものすごくでかい。なにしろ神と仏の問題である。こんなもの、逆に新書以外では書けないだろう。彼は比較宗教史の視点にたって、それをゲルマン民族キリスト教受容とパラレルに把握している。先生がよく「ワーグナーのいかがわしさ」を話題にするのはそのためだ。
ついでに言えば、ゲルマン民間信仰キリスト教の「習合」の結果生まれたクリスマスの風習が、日本でこうして「キリスト教の行事」として定着している様は、彼のいう「習合」の二乗、三乗の事態といえる。

十年来借りっぱなしになっていたアドルノ全集の第14巻(すでにTaschenbuch版をもっていたにも関わらず)をお詫びかたがた私の博士論文を付けて先生の新居にお送りし、こうして退官をお祝いした今、私の駒場時代は真の意味で終わろうとしているのかもしれない。

駒場寮以上に同窓会館に濃厚な記憶が残る私としては、ファカルティ・ハウスと名付けられたその新しく清潔感あふれる建物の敷地が、かつて寝泊まりした一軒家のどこに対応しているのかと途方に暮れながら、あそこを管理していた中年夫婦はいまどこで何をしているのかと想いを馳せるのだ。

さて、なかなか大人になれない私も明日から新生活が始まる。先生のお言葉を借りるなら「アイロニーの精神と温かい心を同時にもって」戦い続けねば。