キルヒャーの音響室が北区赤羽に出現

引越はとっくに終わったものの、部屋がまったく片づかない。ひとえに私がまったく家にいる時間がないためだ。
相変わらずのダンボール・キューブ・インスタレーション状態である。
今回の引越は総じてうまく事が運び、新居の不調箇所は大体直したり交換してもらったのだが、いまだに直らないのが換気扇。
換気扇のダンパー(風の逆行を防ぐ羽根)がおかしくなっていて、空気を吸い込むと逆にダンパーにはねかえって室内に戻り、コンロの火が激しくなびくという障害に気付いたのは入居後、二、三日経ってからだ。次から絶対入居前にチェックしようと肝に銘じた。

で、電気屋呼んで、交換までの取りあえずの応急措置として、ダンパーを外してもらった。その結果、室内の風はスムースに外に流れるが、その代わり、原理的には、外からの風もなかに入ってしまう。だが電気屋の説明だと、台風の場合などを除いて別段、問題が生じることはないとのこと。

ところがそうした途端、外の音がマル聞こえになったのである。道を通る車の音はもちろん、人の話し声まで、聴診器で音を拾ったがごとく、細部まで聞き取れるのだ。
これはまさしくアタナシウス・キルヒャーの『新音響論(フォヌルギア・ノヴァ)』(1673年)で解説されている集音室の原理に他ならない。中世ヨーロッパの城で、外の人々の話し声を部屋の壁にかかっている獅子の置物の口から聴いたり(喋る置物の部屋)あるいは、召使い達の雑談を別の部屋に集めて聴くという(いわば音響版パノプティコンだ)あの部屋の原理である。その場合、壁掛けの置物の口などが集音口になるわけだが、うちの換気扇口でそれが簡単に実現できてしまうとは! おそらくは四階建てのマンションの壁面全体で受けとめた空気振動がそこから伝わってくるのだ。ユリイカ
以上のようなことを、遅い夕飯(十一時過ぎ)を一人で頂きながら、嫁さんに熱くまくし立てたオレ。ほとんど家にいないものだから、我が家のことをほとんど批評家のように客観的かつ無責任に論評可能なのだ。しかし「住民」にとっては良い迷惑なだけだ。
こちらの空想が勝手に肥大化し、キルヒャーの音響室とカメラ・オブスキュアの因果関係にまで話が飛躍せんとするところで(この辺りでタモリ倶楽部終わる)そそくさと先に寝られてしまった。しょうがないからこの仮説はそのうち講義か研究会か何かのときのネタにしようか。
大家さん、キルヒャーの部屋はもういいんで、頼むからこの換気扇をはやく何とかして下さい。