国木田独歩とトトロ

前回、トトロの話題が出たのでついでに。
最近、何年ぶりかに国木田独歩『武蔵野』が読みたくなって、家を探してもなくて、岩波も在庫切らしているようで書店にも並んでないので、わざわざ本郷の古本屋を回って100円でゲットしてきたのです。

独歩の描く「武蔵野」が三多摩や埼玉(さきたま)ではなく、じつは渋谷の風景であった、というのはよく知られるトレビアネタだけど、今回読み直して初めて気付いたのは、彼にとって武蔵野の理想が今でいう所沢(小手指)であったということ。「小手指原久米川」は『太平記』に出てくる古戦場らしく、そこに真の武蔵野の風景が広がっているに違いないが、残念ながらまだ独歩は小手指に行ったことがないので、代わりに手近な渋谷村で「武蔵野体験」を済ますわけです。

ただもちろん『太平記』の時代に武蔵野概念があったわけではなく、独歩が勝手に想像しているだけなのだが、いずれにせよ「武蔵野」は「オリエント」や「バルカン」と同様、相対的な方位概念でしかない、というわけです(ジジェク「バルカンはもっと東にある…」が参照できます)。

で、たしかトトロの舞台は狭山とか所沢とかあの辺りと言われてますよね(この二つの市の位置関係をよく知らず、私のメンタルマップ上では同一地域)。これは明らかに独歩の武蔵野概念と関係あるのではないでしょうか。映画をよく見ていないので確証がないですが、もし本当にそうなら、誰かすでに論じていてもいいですけど。ヒントになるとしたら「秋」ですかね。独歩の自然美体験は、ツルゲーネフに媒介されていて、日本の伝統的「花鳥風月」とは断絶しており、そのため彼は武蔵野の「春」には関心を示していない(そう考えると独歩の自然美概念っつーのも、重要な美学的テーマですな)。もしトトロが「秋」を舞台にしているならビンゴですね。いまは観てる時間がないので、誰か教えてくれると嬉しーなー。

あともう一つ改めて気付いたのが「忘れえぬ人々」の舞台が溝ノ口だということ。宿場町だったことを初めて知った。川崎から八王子に行く道すがら溝ノ口に宿泊して、宿の主人に東京の者だといったら「それなら道が変ですね」と言われるわけだけど、今読むとすんなり分かる話だ。私の場合、独歩あたりが、日本語のレベルでも地名のレベルでも「辞書なし」で直接に理解できるぎりぎりの古典文学なんだろうなあ、と感じ入る。あるいはこれが「東京」の成立ということなのかもしれないが。