初節句

今日は、娘を小児科に連れて行った。三種混合の予防接種の第二回目。大泣き。とんだ初節句となりました。
この時期、複数の予防接種(BCG、ポリオなど)を打たねばならず、しかも組み合わせによってはその前後を一ヶ月とか取らねばならないので、赤ちゃんなのに、親よりもスケジュール埋まってます。
思えば初めて注射を打ちに行ったときは、何の権利があってうちの娘の真綿のような腕に針を通すのか、その前に予防接種の歴史性と正当性を教えてほしい、例えばツベルクリン反応にしたってアメリカと日本では解釈が正反対ではないか、こっちは散歩に行くといって連れ出したのに、この子を騙せというのか、そもそもこの子には嘘というものを教えるつもりはないんだ、というかこの手の領域を得意としているはずの研究者集団は一体何をやってるんだ、ラジオ体操の歴史の前に予防接種の歴史だろ、と夫婦で虚しく憤ったものだが、もう親子ともどもすっかり慣れました(笑)。

話ついでに、最近読んだ子供関連の本についてコメント。

赤川学子どもが減って何が悪いか!』
:「男女共同参画社会」構想が、いかにごく一部のライフスタイルの人々(男女ともヘテロ、入籍済、いわゆる正社員)の利害をしか代表していないか、そのようなものに国民の税金を費やすことにいかに正当的根拠があるのか、ということをリバタリアニズム的立場から批判したもの。前半部では「男女共同参画社会→少子化ストップ」という通念がいかに政府やマスメディアによって統計操作的に捏造されたかを、リサーチ・リテラシーの手法によって暴き、後半部で著者の主張の核心に入っていく、という構成。性の自由について私は著者と主義主張をまったく異にするが、結論にはまったく賛同できるし、何より、リサーチ・リテラシーなるものの手つきを垣間見れて有益であった。育児に関する知識は得られません、念のため。

品田知美『<子育て法>革命』
母子手帳や保健所が配る副読本の歴史的変化を手がかりにして、戦後日本の子育てのあり方がいつなぜどのように変わったのかを、考察している。内容を要約するなら、1970年代までの子育て(「風習の子育て」)と現代のそれ(「科学的子育て」)は大きく異なり、その変化の背景には核家族化・専業主婦化・子育て医学の発展などがあるが、その結果、現代日本の子育ては端的に、子供に時間をかけすぎるようになった。そのため、「添い寝」「抱っこ」「断乳」といったものの良し悪しの判断が、1970年代までとは完全に反転してしまった、と著者は指摘する。この子にとって何が本当に良いのか、を考えると、親はどうしても「真の」「自然な」子育てを追求しがちであるが、あえて自分の子育てスタイルを「技法」として意識化し、相対化することの重要性をこの書は教えてくれる。「第二の自然」を歴史的に批判する視点くらいは、アドルノ翻訳者の端くれとして(笑)こちらも当然持ち合わせていたつもりだが、現代日本の子育てが「悪い方向」に向かっている、という現実的な歴史認識は不覚にも欠いていた。子育てはもっと楽にやってよいし、そうすべきだ、という著者の一貫した実践的提言は、多くの若い親達を救うであろう。もっともこうした本を読むだけの時間的、精神的ゆとりがあれば、の話だが。