2011年にもっとも驚いた偶然

昨年、私が事務局長になって「立命館大学ゲーム研究センター」(RCGS)なるものを設立しました。そのことはすでに何度かお知らせしている通りです。
そしてそこの客員研究員の第一号として、フィンランドからヤッコ・スオミネン(Jaakko Suominen)さんという産業政策論の研究者を受け入れました。それももしかしたら折に触れてこのブロクでもお知らせしているかも。
(ちなみに「スオミネン」というのはフィンランド語で「わが国の人」という意味です。日本語だったら大和さんといった感じでしょうか。「ヤッコ」はヤコブフィンランド語ですので、それなりに一般的な名前かと思われます。)
昨年、ヤッコさんは「ビデオゲーム産業における過去(のレガシー)の活用」というテーマで、フィンランドの国家技術庁(TEKES)のファンドを受けて、一年間のサバティカルで世界中を回っており、その最後に日本に立ち寄った格好です。彼の関心はとくに1980年代にあるので、やはり日本に来なくては、と思いながら、日本ではあまりその手の研究者を受け入れる学術機関がなく、困っていた矢先に、立命館大学がゲームを専門とする研究センターを作ったということを人伝に聞いて、連絡してきたのです(私と彼との間に二人が挟まっていました)。向こうにとってはRCGSの設立はまさに「渡りに船」でしたが、われわれとしても、そのような海外のゲーム研究者の受け入れ先(が現在の日本ではほとんど無いこと)を意識してこのセンターを作ったので、直ちに反響があって嬉しかったです。
ヤッコさんとは10月に行われたRCGSの「キックオフカンファレンス」や立命館大学国際言語文化研究所(言文研)との共催企画「グローバリゼーションのなかのビデオゲーム」でご一緒できた他、彼が京都で行ったゲームセンター&パチンコ屋のフィールドワークにも私が同伴しました。また彼は奥さんを連れてきていたので、こちらも自分の家族を紹介し、家族ぐるみでのお付き合いができました。わずか三ヶ月の滞在でしたが、たいへん充実した時間を持てました。惜しむらくは、ちょうどその時期私が忙しすぎたので、あまり密に勉強会やディスカッションが持てなかった(双方の研究へのきちんとしたリスポンスができなかった)ことですが。
ただし、今日書きたいのは直接彼のことではなく、別のことです。
以前、私が『ヴァーグナーの「ドイツ」』を書いたときに、一番影響を受けた先行研究がハンヌ・サルミ(Hannu Salmi)という人の『Imagined Germany』という本なのですが、これがフィンランド人の手によるものということは知っていたので、ヤッコさんに私の研究室でこの本を見せた際にそのことを伝えました。そうしたら何と、サルミ氏は彼の博士論文指導教授だと言うではないですか。確かにサルミ氏の本には「トゥルク大学文化史学部教授」というプロフィールがあり、ヤッコさんの名刺にも同じ名称が記してあります。世界が狭いのか、フィンランドの学術界が狭いのか(フィンランドの大学人は「国内市場」だけでは食べていけないらしい)、はたまた単なる偶然なのかは分かりませんが、これには驚かされました(もちろん、向こうは私がヴァーグナーの本を書いていることなど事前に知らなかったため、もっと驚いていましたが)。同じフィンランド人ということは知っていても、ヴァーグナービデオゲームとではあまりに遠すぎるので、両者の直接の結びつきに私の想像力が及びませんでした。
もっとも、日本でもヴァーグナーの本を出した人間がビデオゲーム研究をやっているのですから、フィンランドヴァーグナーの研究をしている学者がビデオゲームの博士論文を指導していても何の不思議もないですよね(?)。
このあり得ない「出会い」にいたく感激した私は、どうせ全部日本語だから読めないだろうと分かりつつ、自分にサルミ氏へのサインをして、人名索引の「サルミ、ハンヌ」の項に鉛筆で丸を付けて、ヤッコさんに託しました(本当は私がヴァーグナー論を英語かドイツ語でも出せたらいいのですが、今のところその予定はありません。御礼と御協力はたっぷりいたしますのでどなたかやってくださればと(笑))。
それ自体はけっこう前の話で、私もすっかり忘れていたのですが、昨年末にフィンランドに帰国したヤッコさんから本を手渡されたサルミ氏から、先日御礼のメールをいただき、つい今しがた返事を送ったところなので、思い出したついでにここに書いてみることにしました。昨年も本当に様々な偶然や幸運(だけではないですが)に見合われましたが、これはその中でも第一級の印象深い出来事でした。
今年も皆様ともに充実した一年を歩みたいと思っておりますので、引き続きよろしくお願いします。