表象文化論学会設立準備大会

ようやく書く時間が取れましたが、先週末の土日は表象文化論学会プレ大会でした。シンポジウムのパネリストとして呼ばれて久しぶりに駒場に行ってきました。

他学会の常のようにパネルを「ジャンル別」にしない、というのがこの学会のレゾンデートルのようで、私のパネルはアメリカ演劇における黒人性の表象(新田啓子氏)、日本のアングラ演劇(森山直人氏)とヴァーグナーにおける「ドイツ的なもの」(吉田)の三人という、これをどう回収するのかという、見事なバラバラ具合。
案の定というか、ディスカッションの時間が十分に取れなかったこともあり、議論がようやく噛み合い出したのは、終了後、三人で昼ご飯を食べている時というありさま。これを会場でやりたかった!と思うも時すでに遅し。聞いてみたら他のパネルも似たり寄ったり。
あえて「ジャンル別にしない」だけに、通常の学会以上によほど入念に事前の打ち合わせをしないと、シンポジウムの会場で議論の高まりを頂点にもっていくのは難しいと感じました。見に来てくれた人達には、ストレスのたまるパフォーマンスを上演してしまって申し訳なかったです。ただわれわれの場合、コメンテーターの尼ヶ崎彬氏の度量によって救われた感あり。他のパネルの感想を聞くにつけ、これは確かなようです。

でも久しぶりに昔の知人・友人にあえて、「同窓会」としては最高に盛り上がった二日間でした。

また一日目のシンポジウムでマニフェストされていた点、つまり、古典的芸術作品の研究(芸術学的方法)とも、文化的表象を社会的諸問題に還元する研究(社会学的方法)とも違う学問を確立しなければならない、という切実さはまったくもって同意できます。音楽研究の領域でも、最近は社会学的方法が目立っており、そのことに私はしばしば違和感を持つので、こうした「第三の道」の明快な提示は歓迎すべきかなと思っています。ただ実際にどのような研究成果を出すか、というのがむしろ問題で、その点ではまだ未知数でしょう。

よく東大の外の人からは「駒場と本郷って仲悪いの?」とか聞かれますが、私はいつも「全然そんなことないよ」と答えるようにしています。もちろんパフォーマティヴな効果を考えてのことです。私自身、かつてキャンバス横断的な研究会をやっていた時ほどには、今は「媒介者」の役割を果たせていませんが(もっぱら怠慢のゆえですが)今回の大会を一つの契機として、頑張ってみたいと思っています。不毛な対立を無化するためには自分が動くしかありませんので。