絶対A型に決まってはいるのだが

昔から何かと世事に疎い私だが、子供ができて以降、今まで無関心だった現代日本社会の諸問題に否応なく興味が向くようになった。
なかでも、現在の関心は血液型である。
先日、妻が娘を連れて検診に行ったときに、そろそろ血液型を調べてもらった方が良いのではないか、と訪ねたところ、その必要はない、と言われたそうだ。どうやら最近の赤ちゃんは、血液型の検査をしないのが一般的らしい。医者によれば、輸血の直前には必ず血液型を調べるから、別にふだんから知っておく必要はない、とのこと。ヨーロッパでは昔からこんな感じだったようだ。
最近、テレビ番組などでの血液型の話題を「人種差別」として問題視する声が高まっているが、そうした動きと関連してのことなのか、それともそれ以前からの傾向なのか、よく分からないが、いずれにしても、私が子供の頃は大半の子供が自分の血液型を知っていたはずである。また学校でも理科(生物)の授業で、血液型の遺伝の仕組みを習った記憶がある。ここ二〇年ほどのうちに、血液型診断をめぐる状況が変化したのだろうか。
確かに、血液型占いは人種差別の「もと」になりうる。でも、差別のもとは無限に存在するわけで、いちいち取り除いていってすべてを無くせるものではないだろう。「言葉狩り」が現状を何ら変えないことからも、それは自明である。もとを取り除くよりも、人種差別それ自体を取り除くよう努力すればいいのに。
私自身は仮に自分の血液型を知らずに育っても問題なかったと思うが(あくまで想像)、子供はどうなのか。血液型占いが子供達の一つの「文化」だとしたら、そこに参加させないことは、果たしてその子にとって良いことなのか、悪いことなのか、悩むところである。
そしてもし検査の結果、A型ではなかったら、今度は夫婦が悩む番である。