2011年度総括

をしようかなと思っているところ。つらつらと。新年度に向けて。
この三月末をもって今の職場で仕事を始めてから四年目が終わったことになる。
通常、大学教員は「四年務めれば一区切り」といわれる(つまり「着任して四年で異動」は、短めであるが、文句は言われない。言わせない)。
もっともこれは学生(学部)が四年で卒業するからであって、私の所属先は五年一貫制の(修士と博士の切れ目がない)独立研究科なので、少し事情は違うが。たぶん、短大や医学部などでもまた違う「一区切り」感があるのだろう。
私の前任者(親以上に年が離れている学会の大先輩)からは着任時に「三年我慢すれば結果が出ますから」と言われた記憶があるが、私の場合、三年では何も出なかった感があり(何かを「我慢した」感もなかったのだが)昨年の今頃は「うーむ、とうとうその三年が経ったか…」と虚しく思っていたのだが、それに比べて、今年は何かが出た感が少しはある。なので一旦ここでまとめておこうと。
・指導教員(主査)として博士学位を出した。ようやく四年目にして初めて、そしてこの先も毎年続くかどうかは怪しいが、今年は二本(二人)の博士論文を出すことができた。一人は日韓の少女漫画の比較研究で、もう一人はゲーム産業のイノベーション研究。前者は韓国で国立のマンガミュージアムで研究員をして、大学でも教え始めている。後者は、この四月からうちの研究科の研究指導助手を務める。博士論文の指導教員(主査)の仕事とは、ただ単に「学位を出す」ことではなく、その学生(の研究)をいかにして「世に出す」かというデザインを行うことに他ならない。だから、内容のチェックや指導はもちろんのこと、副査の人選や審査の方針、その後の出版や職探しの世話まで、その学生(の研究)を世の中のどのような知的水脈・社会的ニーズにつなげていくのか、ということを考えなくてはならない。その意味で指導教員は、研究そのもの(調査、実験、執筆)にはほとんど協力できないとはいえ、その研究の可能性と限界を(当の学生とは違う目線で)よく認識しているのだ。ということを初めて肌で分かった一年だった。これは(小さいかもしれないが)「一区切り」感がある出来事だった。
立命館大学ゲーム研究センター(RCGS)を事務局長として立ち上げた。これはかなり大きな出来事だった。私自身の研究生活、大学での役割・居場所が大きく変化した。それは一緒にセンターを運営している他の教員やスタッフにとっても同様だろう。さらに立命館大学全体にとってもインパクトがあった(けっこう話題になった)ようである。また学外(または外国)からの「見え方」としても「立命館(京都の大学)にこんなユニークなセンターがある!」ということで、個性を獲得しつつある。研究センターや共同研究プロジェクトの作り方としては「薄く広くテーマを設定して多くの人を取り込んでいく」方法もあるが、私としてはむしろ「個性的でピンポイントなテーマを設定し、それにのってこれる人を学際的に/大学以外からも取り込んでいく」方が結果(何をやっているのか)が見えやすくてよい、と思っているので、それを実践してみた。といっても、ゲームも今やそこそこ「薄く広い」テーマになりつつあるわけですが。ただし、単に「真新しい」だけで注目された一年目とは異なり、二年目(以降)は内容(結果)勝負になってくると思いますので、私ももっともっとアタマとカラダを使わねばならんと思っています。
文化庁メディア芸術祭の仕事を請け負った。ゲーム研究の立場から、メディアアートの世界に初めて足を踏み入れたわけだが、これは皮肉なことであった。私にとってゲームは「感性学(エステティックス)の最良のケーススタディ」であり、それ以上でも以下でもない。私は常々、芸術(アート)は感性学の対象としては扱いにくいと感じており、それをメインの対象として設定したことが「近代美学」の最大の躓きの石であったとさえ考えている。芸術(アート)を対象にすると、どうしても作家性や歴史性、思想(コンセプト)の話になり、肝心の「感性」の次元がしばしば考察から抜け落ちてしまうからだ(もっともゲームでも将来、同様な事態が生じないとは限らないが)。いずれにせよ「今後あまりアートにはかかわらないで・近づかないで感性(学)の研究をしよう」という動機からゲームに着目した私にとっては、ゲームを通じて再び(メディア)アートという枠組みに出会ったことは意外であったし、また困惑の種でもあった。実際、企画したシンポジウムやワークショップは試行錯誤の連続であった(その点でも協力してくれた方々には本当に感謝している)。ただし、ゲームはメディア芸術祭の中の「エンターテインメント部門」に入っている(今年の受賞作品をみるとゲームは壊滅状態だが)わけだが、いわゆる「アート」は難しくても、この「エンターテインメント」や「娯楽」という枠組みであれば、まだしも自分の(感性学の)問題として今後も引き受けていけるかなと思ったりもした。先日某研究会で発表したチクセントミハイなどを読み出したのも、その頃から。これは自分の研究にとって大きな発見だった。転んでもただでは起きなかったぞ、と。まあ、メディア芸術祭関連は基本的に「頼まれ仕事」なので、この先どうなるか全然分かりませんが、メディア芸術祭とは別フレームの文化庁の事業を請け負っていく予定は(これは立命館大学ゲーム研究センターとして)あります。
・諸々の人事案件(院生の就職)も今年は「一区切り」感があったのですが、それはこの場でどうこう言う話ではないので(でも言いたいこと、言わなくてはならないことは色々あるので)関係者にはまた別の機会に。とくにごく身近でも大きな肩の荷が幾つか下りて(まだまだ幾つもありますが)ホッとしております。
・他方で結果が出ずに不甲斐なかったのは、すでにだいぶ前から予告されている私の単著(ドイツ音楽論)です。こちら、三巻本で出すべく鋭意努力中ですので、しばらくお待ち下さい(すでに最初の一巻分は原稿を出版社に渡してあるのですが、中弛み(=書店でいつ見ても上巻だけが並んでいる状態)が怖いので、塩漬けにしているのです)。
・プライベートな領域では、妻がリトミックの講師を始めて一年経ちます。まだほんのお手伝い程度ですが、それなりに忙しくしております。とくにこの一年は、下の子の幼稚園の役員もやっていたので。上の子はこの春、小学校二年生になります。昨日一緒にトイレの壁に「かけ算九九」の表を貼りました。三の段までは諳んじられるよう。そんな年頃。下の子はこの春、幼稚園の年中になります。ようやくひらがなを読めるようになりました。書く方はまだ。「は(ha)」と「は(wa)」の区別もまだあやふや。そんな年頃。だんだん「育児」から「四人の人間の共同生活」へとフェイズが変わりつつあります。物理的・身体的な負担が軽くなってきた分、精神的な負担が増えてきたというか。あと経済的負担も(笑)。