RGN-uでゆるゆるとゲーム談義

井上明人さん(GLOCOM)が主催されている「RGN-u:コンピュータゲームのデザインと物語についての研究会」(詳細はココ)で、私が、これまでの自分のゲーム研究の軌跡を振り返る(+アルファの)話をさせていただきました。
Ustreamでも同時録音・配信しました。以下からご覧下さい。長いので三分割です。
[前]http://www.ustream.tv/recorded/15476815
[中]http://www.ustream.tv/recorded/15478866
[後]http://www.ustream.tv/recorded/15481211
他のメンバーは六本木のGLOCOMに集い、私だけ京都の自宅からスカイプで参加したのですが、そもそもスカイプを使ったことがなかったので、前日に井上さんのお手を煩わせてテストさせてもらいました。
「ゆるゆると」という会の趣旨(「u」は「Ustream」と「ゆるゆる」の「u」とのこと)に違わず、何と14:00に始めて終わったのが20:30過ぎ。スカイプによれば実に「通話終了6時間37分20秒」でした。
自宅のゲストルーム(というかオレ寝室)でやった(書斎は無線LANなので有線LANがつなげる部屋がそこしかなかった…)ので、子どもたちが闖入するアクシデントが一、二度ありましたが、何とか無事終了。終わって部屋を出たら、他の家族は三人ともパジャマを着て、(娘曰く)「江さま」を観てました。それを見て、ああ今日は日曜日だった、と。
石岡良治さん、井上明人さん、今井晋(死に舞)さん、戸粼茂雄さん、松永伸司さん。現在の、そしてこの先の日本のゲーム研究を牽引するトップの頭脳が集まっていたと言って過言ではありません。
で、ゲームの話ももちろんアツかったですが、「asthetics」をめぐる死に舞さんとのやり取りもアツかったです(twitter上での某クラスタ周辺でも話題になっていたみたいです)。私が言うような「感性学」は英米系の分析美学がすでに(ある程度)やっており、ライプニッツバウムガルテン周辺の再評価よりもそちらを先に参照すべきだ、という彼の指摘を受けて、もう少しそちらを勉強しなくてはという気になりました(で、さっそく本日手始めにとWeitzの論文を学内のJSTORからダウンロードした)。
哲学者・美学者集めて、同じようにSkypeUstreamで「ゆるゆる」研究会をしてもさぞかし楽しいだろうなあと想像してしまうほど、刺激的でした。
Skypeで参加すると終わった後に一緒に呑みに行けないのが難点ですが、むしろ呑まないと割り切ることで、ママ(あるいは嫁)も安心です(笑)。
以下がそのレジュメです。レジュメからしてその「ゆるゆる」ぶりが伝わると思います。

「〈ビデオゲームに固有なもの〉の感性学、その捏造の軌跡」
(1)ビデオゲーム研究における吉田の立ち位置
ビデオゲームをめぐる吉田の個人史
 ・ゲーム&ウォッチ(1980年)、スーパーカセットビジョン1984年)からスーパーファミコン(1990年)まで
 ・PC-8801などパソコンゲーム
 ・(とくに最近の)ゲームのことはほとんど知らない
・美学=感性学(aesthetics)の研究者として
 ・「美と芸術の学」としてのエステティックから遠く離れて cf. ヴェルシュ(1990)、ベーメ(2001)
 ・「感性学」を鍛え直すための実験場としてのビデオゲーム
(2)感性学とビデオゲームに固有のもの
・感性学とは何か?
 ・ライプニッツバウムガルテンの問題系=記号、認知、表象、想像力 etc.
 ・ライプニッツ
  ・「認識、真理、観念についての省察」(1684年)=曖昧な認識から十全な認識への階梯を分節化。
 ・バウムガルテン
  ・『形而上学』(1739年)=存在論宇宙論、心理学(感性学を含む)、自然神学の全四部。
  ・『感性学』(1750/58年)=発見論、配列論、記号論の全三章。第一章の途中で中断。
  ・「下位認識」の八種=再生的想像力/鋭敏さ/記憶/創作力/予見/判断/予知/表示能力(『形而上学』)
 ・カントによる「形而上学的」方向転換、ヘーゲルによる「芸術学的」方向転換
 ・一方、感覚と知覚の考察は、認知科学へと引き継がれる。
・「ビデオゲームに固有のもの」とは何か?
 ・「漫画を漫画たらしめている内的法則の検討」「漫画に固有の表象システムの領域」(四方田犬彦『漫画原論』1994年)
 →「ビデオゲームビデオゲームたらしめている内的法則の検討」「ビデオゲームに固有の表象システムの領域」
 ・「ビデオゲームを独自のメディアたらしめているものの中核」である四要素=アルゴリズム、プレイヤー行為、インターフェイス、グラフィックス(ウォルフ&ペロン、2003)
 ・「ゲームデザインの領域にはそれ自体に固有の感性学がある。」(フランツ・ランク、『ルール・オブ・プレイ』序、2004年)
(3)これまでやってきたこと(参考URL→http://d.hatena.ne.jp/aesthetica/20110618
2007
・スクロール論(当初『issues』用に執筆→色々あって『多摩美術大学研究紀要』に掲載)
2009
・GCOE「日本文化デジタルヒューマニティーズ」主催「第一回ビデオゲーム・カンファレンス」(ビデオゲームの固有のものを表象理論で分析)
2010
・GCOE「生存学」主催座談会→『生存学』Vol. 4(ビデオゲームと高齢化=エイジング)
神戸大学でのフォーラム「テレビゲームの感性的論理」→神戸大学芸術学研究室編『美学芸術学論集』第7号(主に擬似3D時代のビデオゲームにおける空間構築の仕方を、視点、スクロール、高さや奥行きの表現を中心に分析)
2011
・日本記号学会第31回大会でのセッション「ゲームにおける身体の位置──時間/イメージ/インターフェイス」(ビデオゲームの画面に独自なものを記号学的方法を用いて記述・言語化する試み)
(4)日本記号学会での発表を振り返る
ビデオゲームの画面の独自性はどこまで記号学的方法によって定義・記述できるのか?」
・「インターフェイス価値」の出現(シェリー・タークル)
ビデオゲームにおける「インターフェイス価値」の全面化とデスクトップ・メタファー
 →この主張はある程度自信があるが、言わずもがなの、当たり前の話とも言える。
・スクリーンにおけるイメージとシンボルの「二重化」(タークル、ジジェク、東)
 →タークルの議論を自説に結びつけるためのステップ。精神分析に深入りしないとはいえ、東の指摘する「二重化」は重要だと思われる。
ビデオゲームの画面におけるアイコン/イメージの二重性
 →「イメージ」という用語法に困難を感じるが、よい代案が思い付かず。記号/非記号、(記号の)意味論的側面/統語論的側面など?
ビデオゲームの画面における「意味論的」次元と「統語論的」次元の二重性
 →今回の発表の中心部分。
 →今井氏の用語法との相違と共通点が気になる。
 →「ジャンル」による違い(グラデーションのようなもの)をうまく解決できていない。
・語用論的次元の交差──「キャラクター」の存在
 →「おまけ」で付けた節なので、かなり厳密さに欠く。
 →だがモリスによれば「意味論/統語論/語用論」はあらゆる記号にあるはずなので、何らかのことは言えるはず。
 →そもそもビデオゲームを研究・理解する上で記号学が有用かどうか?
 →松永氏の「ビデオゲームにおける二種類の意味」における「物語的なもの」と「ゲーム的なもの」の区別もそうだが、視点や切り口こそ違え、ビデオゲームの中に「二重性」を見出すことは多くの研究者の関心事? ある種の常套手段? ジュールが指摘した “narratology versus ludology” (Juul 2005, 15-16) や “games and narratives” (ibid., 156-159) も同様。